
← の本を読みまして
音楽といってもポップが主で例えばVowWowなどは出てこないが、はっぴいえんど、YMO、中田ヤスタカ(perfume etc)などが出てくるのはちょうど頭の整理をしたかった分野。
特に昔聴き込んだYMOについても知らなかったことが結構あり、またYMO前夜くらいの認識であったはっぴいえんどの存在の大きさを知ることになった。日本語ロック論争も興味深い。
海外のロック⇒(技巧の深化に対する)アンチとしてのパンク⇒ポストパンクなどに絡めて、「リスナー型ミュージシャン」、内と外、今と今でないいつか、などの視点で流れがわかりやすく解説されている。大きくJポップ以前と以後に分かれているのだが、Jポップというものはもともと日本が「音楽の本場ではない感」を内包しているのか? 内と外の区別はもうなくなったと述べられているが、であればJポップも(あえてJポップと名乗ることは)存在意味はなく、おそらくそれを葬送と述べているのだろう。しかし、未だに「本場でない感」根強いと私には思われる。そしてそれを打破してくれそうなアーチストが渇望され続ける、という段階ではなかろうか。
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はっぴいえんどはリアルタイムでは聞いていませんでしたが、YMOファンだから存在くらいは知っていました。CDは持っておらず、今回“マスターピース”を購入。

アルバム「はっぴいえんど」「風街ロマン」のデジタルりマスターCDとLP+ハイレゾDL、写真集風のパンフレットなど。CDも紙ジャケットだと無機質感がだいぶ和らぎます。はっぴいえんどはいまとなってはマニアックな音源かもしれませんが、日本語のロックのはしりでメンバーがその後の音楽に与えた影響も大きい、大瀧詠一もその一人でした。
曲は今聴くとどこにも力が入っていないような癒されるような感じがします。その辺のところも冒頭の本に解説されていますが、例えば
こんな感じなんですね。
ところで、LPの帯も復刻されていますが、

わざわざ「日本語のロック誕生」とあります。そもそもロックは日本語ではできない、英語でやるべきという議論があったりしたわけで、日本語のロック誕生以前には舶来のビートルズなどを英語で聴いてはこれが本場の音楽だ、という感覚だったのかもしれません。
まあ、逆に徹底して日本人向けに迎合?することを避け全曲英語のVowWowなんかも「日本のロック」だと思いますが。
Posted at 2015/01/16 20:39:50 | |
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