
埼玉県狭山市を探索しました。ナビ上に浅間神社が表示されたので行ってみましたが道が細く路駐は難しい状況。このため数百メートル離れたコンビニに駐車して徒歩。ここは初訪となります。
まずは麓に〇ろのマークの富士講碑があり、合目石が整備されていて富士塚決定。中腹には小御嶽もあり、山頂には富士浅間の石碑と「
広瀬富士」と明示した立札がありました。本格的な富士塚の様相ですが、登っていくと合目石では1合目と称する麓から7合目くらいまでは自然地形でその上だけが塚のようにも見えます。
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広瀬浅間神社は、土を富士山の形に盛った人造の小型富士山=富士塚で、万延元年(一八六〇)の創建です。祭神は「木花咲耶姫命」です。
江戸時代、富士浅間を信仰する富士講が数多く発生し、狭山市内でも富士講活動が盛んでした。このまつりを行っている水富〇ろ講も、その一つで、現在市内で残っている唯一のものです。
火まつりは、豊作・安産・富士山の噴火活動の鎮火を祈願するため富士吉田浅間神社の鎮火祭を模倣し、明治の初期から始められたといわれています。毎年八月二一日の夕方から夜にかけて行われ、現在では、夏の風物詩としての思いが強い行事です。
祭りの中心は、桑の枝を円柱状に束ねた大小二つのたいまつを燃やす「おたきあげ」で、近郷には見られない非常に貴重なものです。
また、安産の神様ともいわれ、頂上のロウソク立てのロウソクを貰い、陣痛の時に神棚へ上げて燈すと、燃え尽きるまでに安産するといわれています。(狭山市教育委員会・狭山市文化財保護審議会掲示より)
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久しぶりの富士塚探索のような気がしましたが、5月にも神奈川県で探索していました。
フォトギャラリー:埼玉県狭山市の探索
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Posted at 2021/07/07 21:32:22 | |
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