
もう終了してますが、先日上野の森美術館に「
ツタンカーメン展」を見に行きました。一度平日に行ってみたら数時間先の入場整理券を配っている有様だったのであきらめた経緯があります。今回も整理券を受け取っていったん銀座でぶらつき。
さて、内容はなかなか良く、まず今回は黄金に圧倒される感じアリ、が金の塊ではなくて木の表面に金が施してあるものが多い。で、
今回の展示は詐欺だという記事がネット上に飛び交っているという、それはあの
有名な黄金のマスクが展示されていると思ってきた人がたくさんいて、実は展示されておらず、画像のマスクのようなものは実は↓
展示されている棺形カノポス容器は、イシス女神と王の肝臓を守るイムセティ神に捧げられたものであり、実際この容器からは、ミイラの様に処理され布が巻かれた肝臓が発見されている。この棺形カノポス容器は、杖とから竿、ハゲワシとコブラ、ネメス頭巾など王権を示す象徴的な標章を身につけている。この棺形カノポス容器の形は、王のミイラを納めていた実物大の人型棺と非常に似ているが、ここに表わされた容貌はツタンカーメンにはあまり似ていない。ツタンカーメンと比べると頬はふっくらとしており、目は大きく、顎は小さく、鼻筋も整っている。この容器については、当初アクエンアテンの死後、そしてツタンカーメンが王になる前の短期間エジプトを統治したアンクケペルウラ―の名が刻まれていたことが知られている。従ってこのカノポス容器は、本来は少年王ツタンカーメンのために作られたのではなかったとも言われている。しかしいずれにせよこの容器は、ツタンカーメンの墓から出土した最も素晴らしい作品のひとつであると言えよう。
王家の谷は西谷・東谷があり西谷はまだ空き地というか墓が発見されてないエリアが広く残されているので、まだ何か出てくる可能性があるそうです。
ツタンカーメンが生まれ育った時代は、アメンヘテプ4世(アクエンアテン王)がそれまでのアメン神信仰を捨て、太陽神アテン一神教へと変えたいわゆる「アマルナ宗教改革」の時代である。都はアメン神官団の勢力が強いテーベから、ナイル川中流域のアケトアテン(現在のテル・エル=アマルナ)に移された。町の中心には大小二つのアテン神殿や官庁街、高官たちの居住区、美しい壁画が描かれた王宮などが造営されたほか、北と南にも居住地域が広がっていた。
アメンヘテプ4世は宗教改革に伴い、自らを「アテン神の輝ける霊」という意味であるアクエンアテンに改名し、この地で生まれたツタンカーメンも当初はアテン神の名を含むツタンカーテン(トゥト・アンク・アテン)という名であった。しかし、こうした思い切った宗教改革もアクエンアテンの死後は引き継がれず、幼少(9歳)で即位したツタンカーメンはアメン信仰へと復帰した。
とのことです。このように信仰する神が変わるのは、もともと広大な地域に異なる信仰が存在する地域をまとめるというのは日本人の感覚ではわからないものでしょう。彫像が童顔なのが多いのも記憶に残りました。
Posted at 2013/01/21 18:43:34 | |
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アート | 日記