
(桜咲く)
昨日、東京都八王子市の北野天満社に立ち寄りました。国道16号倍バス沿い。既に桜が咲いてました。隣に北野児童館なるものがあり、あかちゃん~高校生まで対象らしい、今回はたまたまそこの幼児らしき数人が参拝中、鈴鳴らして一応頭下げて楽しそうな感じ。
近くの道路には参道跡か境内の生き残りのような土地があって祠がありました。また石器時代の住居跡もあり、このあたりがかつて村だった名残で「村内社」とか「村内安全」等の石碑あり、富士塚はありませんでした。
また、本殿裏に「板碑」を発見しました。板碑は中世武士の仏教に関係あるもの、神社に立てられているのは初めて見ました。
京王線北野駅のほど近くに鎮座する。北野の地名は当社に由来する。
創建年代は不詳だが、横山党の一族が、京都の北野天満宮から御分霊を勧請したものである。寛文4年(1664)龍華山大義寺(八王子市元横山町)の真上法印が社殿を再建したという。
江戸時代は朱印領5石を寄せられ、毎年一月、徳川将軍家へ武運長久の祈祷札を献上していた。境内には石器時代の住居の遺蹟があり、市の文化財に指定されている。また、末社の鹽竈神社は、安産の信仰を集めている。

横山党というのは平安時代後期から鎌倉時代にかけて、武蔵国多摩郡(現・東京都八王子市)横山荘を中心として、武蔵国(大里郡・比企郡 - 橘樹郡)および相模国北部に割拠した同族的武士団である。武蔵七党の一つ。武蔵七党系図の筆頭。有名人としては、中条家長(初代評定衆として御成敗式目の策定に関与)や愛甲季隆(弓の名手。
畠山重忠を討ち取る)が居る。和田合戦で姻戚関係にあった和田氏に与したが敗れ衰退した。なお猪俣党も一族である(Wiki)
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ここで 畠山重忠が出てきました。埼玉方面の探索で重忠ゆかりの土地にも出かけています。畠山重忠自身は陥れられた忠臣というイメージだから、それを討ち取ったといわれてもヒーローな感じはしない、しかし敵味方に分かれるも時の定め的な感覚かもしれません。
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Posted at 2013/03/27 19:30:03 | |
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