スティーヴン・ハンターの代名詞、 “スワガー・サーガ” の初期4部作と言われている物を古本で集めて来たので、
1ヶ月で4作一気読みしてやろうと思ったものの…
…4作と言っても7冊ありまして…w
マジでギリギリ今日の夕方読み終えたという。( ̄▽ ̄;)
しかも1ヶ月と言いつつ、先月の20日くらいからフライングで始めてたりした。
スティーヴン・ハンター 『極大射程』 (1993)
原題『Point of Impact』
まずは既に読んでいる1作目のおさらいから。
ヴェトナム戦争に従軍経験のある元・海兵隊スナイパー、ボブ・リー・スワガーが、謎の組織の仕掛けた陰謀に嵌まり、大統領暗殺未遂犯として追われる。
改めて読んでみると「こんなに色んな要素を詰め込んであったのか」と驚く。
謎解き要素の伏線の多さや、答えに至るまでの二転三転の道筋、同じ物事を別のキャラ視点から見たときの描写の巧みさ。
最後のタネ明かしをわかって読むと、途中のボブの言動の意味がよくわかるし、尚更Coolなキャラだと思う。
何度も言ってますが、スティーヴン・ハンターはホンマ頭良いと思う。面白い。マジで。
元の感想文は
こちら。
『全てはここから始まった』
Red13指定 必読図書
『ダーティホワイトボーイズ』 (1994)
原題『dirty white boys』
↑の『極大射程』の解説で、初期4部作の2作目として挙げられていた本作だが、コレを読んだだけではボブ・スワガーとの関係性はどこにも無い。
本当にこれがサーガの一部なの?と思う。
が。
次作『ブラックライト』で一気に話が繋がっていくという。
オクラホマ州マカレスター重犯罪者刑務所に収監されていた終身囚ラマー・パイは、シャワールームで黒人受刑者といざこざになり相手を殴り殺す。黒人たちの報復を恐れたラマーは看守を脅し、子分2人を連れて脱獄する。
迷い無く邪魔者を殺して進む、生まれながらの悪の化身ともいうべきラマーとその一行は、銃を手にいれ車を奪い店を襲い、警察を嘲笑うかのように姿をくらまし、爆走し破壊し続ける。
ダークヒーロー、
ラマー・パイ。
そのいとこのオーデル・パイと、元美術教師のリチャードの3人の囚人が、大胆さと狡猾さを併せた清々しいまでの “悪の華” を咲かせるのに対し、
それを追う警察官
バド・ピューティは、不倫の泥沼にハマり、嘘で塗り固めた日々を過ごす。
この大袈裟なくらいわかりやすい対比が、ドラマにリズムをつけていて良い。
カッコいい悪役と、惨めな正義。
また、ラマーの精神的アイコンである “ライオン” を、
画家リチャードの視線から描く手法が素晴らしい。
ライオンにやたら執着するラマー。
自己のイメージを重ねているのだろうが、それをリチャードに絵にするように命じる。
ラマーにとってはそのイメージが非常に意味のある重要な事なのだ。
作中では遂にラマーの意図は語られずに終わるが、
そこをあれこれ想像する余地を読者に残している辺り(3作目を読んだ後にもまたそれを思い出させる辺り)がまた上手いと思う。
銃器に対するマニアックでリアルな拘りも素晴らしい。
「このモデルは弾倉が何発で、それをこのシーンで何発撃っているから残りの弾は何発」というような事をちゃんと計算してある。
当然と言えば当然なのだが、そういう “当たり前の事を当たり前にやる” のが物語の面白さを作る。
シリーズ通して、銃は単なる小道具ではなく
銃にまつわる背景・信念・哲学・美学やアメリカ銃社会、それを取り囲む産業の明暗も込められている。
日本人にはピンと来ない話もあるが、ある種、車のエンスー趣味の世界と通ずるモノもある。
敢えてそれを選ぶ理由・根拠や拘り、道具を持て余す素人や、逆にプロフェッショナルが使う事でより活きる道具。
結局は「人も道具も使い方」という所に行き着くのだが。
『ブラックライト』 (1996)
原題『BLACK LIGHT』
起承転結の見事な “転” の内容になっているepisode3。
1作目から4年後。隠遁生活を送るボブの元に、
2作目の不倫警官バドの息子、ラスが訪ねてくる。
(ちなみに、ここでボブには4歳になる娘ができている。この娘が後にスワガー・サーガの3世代目の主人公を務めることになる)
これまで何人もの人間がボブのもとを訪ね、彼の知っている事実を公表して本にしたいと言ってきたが、ラスは違った。
ラスは、ボブの父、アール・スワガーの事を書きたいと言う。
物語の前半は、
ボブの父、アール・スワガーと
ラマーの父、ジミー・パイが、互いに命を落とすことになった銃撃戦に至るまでの数日間にスポットが当たる。
アールがかつて従軍した硫黄島で戦死した戦友の息子、ジミー・パイ。
アールが後見人にも似た立場で面倒を見ていたジミー。
なぜその2人が互いに殺し合う事になったのか。
アールの最後の数日と、それを追うボブとラス。
過去と現在が交互に展開される。
そしてボブは、父アールの検死結果に不審な点が有ることに気付く。
弾痕の直径が異なる傷がある、と。
ジミーとの銃撃戦で受けた傷ではアールは死んでいなかった。
別の銃から放たれた弾丸で死んだのだ、と。
約40年前の過去を探り、アールの死の真相を暴こうとするボブとラス。
しかし、それが “不都合な真実” である者が2人の命を狙う。
と、
なかなか人物関係が複雑で、更に時間軸が行ったり来たりするので前半はちょっと頁をめくる手が重い。
が、後半に入ると一気に面白くなる。
序盤から散りばめられている情報を一つ一つ頭の片隅に留めておくと、終盤の興奮度合いがエライことにw
最後に投下される特大の爆弾も、序盤にそれとなく匂わせるくだりはあるものの、実に微かなさりげなさに埋められているので、「ん? なんかあるような気がするけど…?…まぁいいや」といった程度で、その辺りが実に上手いと思う。
とにもかくにも。
ここまで読み終えると、やはりこれは一連の物語だし、
“家族” “父と息子” の話になっているとわかる。
ただのシリーズ物ではなく「サーガ」と呼ばれる所以かなと。
『狩りのとき』 (1998)
原題『TIME TO HUNT』
起承転結の “結” 。
まず前半は、反戦活動真っ盛りの1971年のD.C.から始まり、
後にヴェトナムでボブのスポッター(監的手:スナイパーの補助、支援を行う)を務めることになるダニー・フェンが巻き込まれた事件が描かれる。
兵役が残り1年程となり、もはや “ナム” へ送られる事は無いはずだったダニーが、新婚ホヤホヤだったダニーがなぜ “ナム送り” になったのか。
そしてヴェトナムで巡りあったボブとのチームプレー。
1作目で少しだけ触れられた “アンロク谷の戦い” が前半のハイライト。
壊滅目前の味方前線基地に迫る敵の大隊をたった2人で足止めし、鬼神のごとき戦果をあげた。
しかし帰還予定日の前日に、敵スナイパーの銃弾からボブを庇おうとして還らぬ人となったダニー。
彼を仕留めた東側スナイパーの視点からも物語は語られる。
と、ここまでは既に1作目で与えられている情報が主であり、物語が動き出すのは下巻に入ってから。
そして現在。
スワガー一家がスナイパーの襲撃を受けた。
当初、ボブは自分が狙われたと思い込んでいたが、
実は狙われたのはダニーの未亡人である妻ジュリィではないのかと気付く。
そしてヴェトナムでも敵スナイパーは、スナイパーである自分ではなくスポッターのダニーを狙っていたのではないかと。
陰謀の発端は71年のD.C.。
ボブは亡き戦友と妻子への想いを胸にまたもや “狩りの時” に身を投じる。
実に巧みなプロットで唸らせてくれる。
ただ、著者は1作目を書いた時点では特に連作にするつもりはなかったのか、幾つか辻褄が合わない部分が出てくる。
まぁ、そこは著者も素直に認めているし、アレはアレ、コレはコレと割り切って楽しむべし。
だし、そんな細かいツッコミなんかどうでも良くなるくらい「良く出来た物語」である。
“アンロク谷” の戦闘シーンの胸熱感(笑)は数あるタクティカルアクション小説の中でもトップクラスと言える。
スナイパーとスポッターの役割分担や信頼関係、戦術面の技術的な描写まで臨場感抜群。
これこそ “ボブ・リー・スワガーの伝説” を象徴する名シーン。
しかし、その派手なアクションのみならず、
本作では終始スパイ小説的な要素も色濃い。
潜入スパイを炙り出す囮捜査や、ソ連崩壊後も実質的に続く東西冷戦。
スワガー・サーガはまだまだ続くが、
とりあえずここまで一区切りを読んでみて、
マーク・グリーニーの
『グレイマン』シリーズも当然スワガーから影響は受けているんだろうけど、
グレイマンはやはり色んな意味で “21世紀のエージェントヒーロー” なんだなと思う。
スワガーはあくまで20世紀のヒーロー。
本作で既に50歳のボブが今後どこまで時代に食らい付いていくのか気になる(笑)。