2022年08月24日
お盆が過ぎ、まだまだ暑い日が続きますが、涼を取ると言えば、そう、人外にまつわる『こわ―い話』
肝試しやお化け屋敷と並び、まんが日本昔ばなしでも、この季節はお化け妖怪話が企画されていたぐらい、一昔前は夏の風物詩でもあった心霊特番は、BPOやら何やらがうるさくなって、すっかりTVから姿を消してしまいまして、個人的にはまっこと寂しい限りでして、、、、
それなら、自分の体験を自分で語ってしまえと、以前、ご紹介した恐怖体験シリーズの第4章でございます。
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【ご注意】閲覧注意につき、自己責任でご覧ください。
・赤いシルビアのI先輩
前編>>>こちら 後編>>>こちら
・バス停で待つ女
前編>>>こちら 中編>>>こちら 後編>>>こちら
・人面>>>こちら
何度も申し上げますが、私自身、現実主義かつ理性的なスタンスでおりまして、『怪力乱神の類は、存在は認めるけど信じていない。』との相矛盾した結論に至ったのは、小さい頃から自分が望む望まないに関わらず、そうとしか説明できない体験をいくつかしてきたから。
今回ご紹介するのも、その一つでございます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー本編ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
大学1年生の夏、久々に里帰りした私ことFlyingVは、中学時代の友人たちと徹マン(一応お断りですが、徹夜でマージャンのことです。)をする約束をしておりまして、
と、その前に、私の実家は、愛知県のド田舎中のド田舎にあり、どのぐらいド田舎かというと、風光明媚と言うには聞こえがよく、実は、未だに土葬の風習が残るような僻地だったりします。
一年が稲作と一緒に過ぎていく、まさに太陰暦のようなここは、春は代掻きした田んぼの水面にカルガモ親子が泳ぎ、初夏には伸び盛りの稲から青畳に似た芳香が立ち込め、秋には、実りの黄金色の風景が広がり、冬には凍り付いた畝が伸びる、見渡す限りの田園地帯。
ある夏の日の夜11時に、古い豪農のツレの実家へとママチャリで向かっていた時のことです。
差し入れのビールを買い込むべく、同じく里帰りした別のツレと待ち合わせたのは約3㎞先のコンビニ。
そう、それは、今日のような、蒸し暑い日の夜でした。
20歳の私は、真っすぐに伸びた深夜の田んぼの細いあぜ道を、秋を待ちわびた気の早い虫の音がそこかしこから鳴き出し、また、それとは別に、得体のしれない動物たちの蠕動する気配がするのはいつものことながら、覚えたての麻雀がとにかく楽しみで、弱虫ペダル顔負けのチャリテクを駆使し、申し訳程度に敷かれだけの荒れたアスファルトの上を疾走しておりました。
そこまでの明かりと言えば、星明りと、ママチャリのライトが照らす前方数メートル、まばらな民家に、今にも消えそうな薄暗い街灯が一つ二つあるだけ。
目が慣れたとはいっても、薄闇が絶えず体の周りに纏い付き、田んぼから立ち上る生ぬるく湿った空気と虫や小動物が醸し出す微かな生物臭が鼻腔に入り込み、実家に帰ってきたことを実感させられる。
頭の中は、未だ見ぬ役満や、かの阿佐田哲也が愛した断么九三色一盃口(タンヤオサンショクイーペーコー)、そして、憧れの『哭きの竜』よろしく、「それ、カンだ。あんた背中が煤けてるぜ。」と裸単騎のまま、嶺上開花して、幻の役満と言える四槓子をツモる姿を思い浮かべ、ひたすらペダルを回していると、どこからともなく、人らしき声が聞こえてくるではありませんか。
どうやら、その人の声らしきものが、進行方向から向かって左側から発しているようで、近所の誰かが、田んぼ近くで話でもしているのかと思い、気にせずにいたところ、会話にしては同じ言葉を繰り返し、こちらに向かって呼びかけているかに聞こえてくるのです。
とは言っても、数十メートル先は、真っ暗。
一体どこの誰なのか、さっぱり見当はつかない。
「あれ?」と思い、チャリのスピードを落とし、注意して聞いてみると、それは低く唸るような大小さまざまな声で、
「V、、、」「V~、、、」「Vィィィ」「・・ブ、、、ブィィィィ」「ぶーいー」と、何度も私の名前を呼んでるじゃありませんか!!
※もちろん、本名で呼ばれています。
見晴らしのいい田舎では、知り合いのおっちゃんが、遠くの方からでっかい声で名前を呼ぶなんてこと日常茶飯事。
声の出どころは、私の進行方向から向かって左側の田んぼか林のどこか。
この時、当の私は、麻雀が楽しみ過ぎて、待ち合わせをしていたツレが、その左側の田んぼ方面からやってくることを思い出し、かつ、無類の酒好きのツレのこと、出発前に一杯ひっかけて酔っぱらったまま、私のママチャリのライトを見つけて、ふざけて名前を連呼しつつ暗いあぜ道をふらふらチャリンコを漕いでいるとばかり思い込み、田んぼに落ちたら大事につき、すぐ先の十字路でチャリンコを停めて、彼を待つことにいたしました。
ぽつんとオレンジ色の薄暗い街灯だけが灯る十字路。
右折して数㎞ほどまっすぐ行けば、待ち合わせ場所のコンビニがある。
周囲は膝ぐらいの植え込みと田んぼ、そして暗闇だけ。
「V~、、、」「V・・・・」「ブ~イ~」
私を呼ぶ声は、依然、遠からず近からず、断続的に低く響いている。
数分が経過し、ツレのチャリンコがもう見えてもおかしくない。
一向に現れないツレの姿に、
『あれ、おかしいな・・・』と首を傾げたその時、
重大な事実に気が付いたのです!!
それは、ツレが来ると待ち構えていた左側の道は、林に囲まれた墓地にしかつながっていないのです!!
『あかん、これヤバいやつや、、、、』と途端に背中が冷たくなり、慌てて、チャリンコを漕ぎ出そうとした、その時!!!
真っ暗闇の中から、目の前で、
「Vさん?」
と、はっきりとした女性の声が、私を呼び掛けてきたじゃないですか!!!!
「あぶぁ、&%@ ¥か *ふべば、、ごはああ、あ、、」
恐怖のあまり、声にならない声を挙げ、一心不乱にペダルをこぐも、背中には、墓地から響いてくる「V~」「ブイー」とした声が張り付いてくる。
どこをどうやってたどり着いたか分かりませんが、待ち合わせ場所のコンビニに着いた時には、その声も聞こえなくなり、過呼吸気味になりながら、駐車場にへたり込んでしまいました。
そこへ、件のツレが、チャリでやってきて、
「お待たせ~。お、なんだ、汗だくだな、徹マン前にそんな疲れてどうした?」と酒に酔っている風でもなく軽口を言うものですから、
「おい、さっき俺の名前ずっと呼んでたよな。」と聞いてみるも、
「はあ?そんな頭おかしいことするわけねえだろ。ていうか、まさか、お前、何かキメているのか、いや、お前の性格からして、やばいメンヘラにでも絡まれてるとか?」と訝しげな顔をするばかり。
「そりゃ、そうだよな~」と納得し、先ほどのいきさつを話すと、
「うへ~、なんだそれ、俺んちの方じゃねえか、怖えよ、マジで。」とビビり散らかしておりました。
で、徹マン会場である古い農家の納屋を改築した一室で、メンツ4人がそろったところで、雀卓を囲み、再びこの話をしたところ、対面になった農家の息子が私の後ろをおもむろに指さし、
「あ、V、お前の後ろのさ、あの髪の長い日本人形、、、動くぞ。」と恐怖のダメ押しをするオプションつき。
徹マンの結論から申し上げますと、私は四暗刻単騎を阻止し、面前清一色三暗刻ドラ2という3倍満を上がるなどし、爆勝ちを果たしたのでした。
果たして、あの私を呼ぶ声は一体何だったのか。
お盆に遊びに来ていた先人たちに、ただ、からかわれただけだったのか。
それとも、もし、名前を呼ばれたあの時に、私が返事をしていたら、、、、、
Posted at 2022/08/24 16:52:01 | |
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アンビリーバブル | 日記
2022年08月07日
前回のオイル交換は、小雪舞い散る氷点下、そして、今回は、日中の気温38度の炎天下と、遠い先祖か前世の私が北極圏と赤道直下で何かやらかしたとしか思えない、カルマの様相を呈してきた油脂類のメンテ。
そんな私の不浄な肉体が、熱波とアスファルトからの輻射熱で滅却させられる前に、少しでも作業が楽な時間帯をと、熱さが若干緩んだ夕方、ガレージからM3を引っ張り出して、オイル交換を断行いたしました。
この前のスイフトのオイル交換で予想はついていたものの、夕方とはいえ体温と同程度の外気は、気管を通るたびに粘膜を容赦なく蒸発させ、斜めに差し込む太陽放射で血液が沸騰して、今にも頭頂部から間欠泉となって噴出してしまいそうなほど。
熱さ対策として、アイスノンとポカリ、そして、暗くなると湧いてくるDQN、、、も含めた害虫対策に虫よけスプレーをくまなく噴射し、作業開始。
実は、この日の夜、学生時代、同じゼミだったツレが名古屋に転勤してきており、彼と食事をする約束があったので、2月のオイル交換の時のように、そう呑気に作業をしていられなかったのです。
ちなみ、10年前の正月にふらっと年賀状持ってやって来たアナーキストではありません。
とはいえ、Motulの代理店からお詫びでもらったEngineCleanも使うため、いつもより工程が多く、段取り良く進めなくては遅刻してしまう。
今回のオイルは、前回と同じくMotulのTrophyを使いたかったのですが、代金決済後に絶版(国内取り扱いなし?)となったことが判明。
仕方なくその後継であるCompetitionをチョイスし、そのお詫びでくっ付いてきたのがエンジンクリーナーでした。
後継といっても成分も変わっているため、一度、内部をリセットすべく、まずは、M3にウマをかけて、Cleanを投入後、15分暖気。
十分にCleanが燃焼室に回り切ったところで、下回りへと潜り込み、アチアチになったオイルに気を付けながら、ドレンボルトを抜き取るも、予想以上の熱さに手を放してしまい廃油パックへと落下、そのサルベージに痛恨のタイムロス。
石畳の上に引いた段ボールの上に仰向けになってM3の下へと潜っているうちに、背中へと熱が伝わり、じっくり低温調理されているローストチキンを疑似体験。
15分の暖気のおかげで、オイルの抜き取りもすぐに終わり、急いでフィルターを取り替え、新油を6.25L入れ、廃油パックを処理して作業終了。
廃油は、もともとのMotulの洗浄性能に加え、LOOPパワーショット2本と今回のEngineCleanの効果か、そこそこ汚れてはいるものの、臭いや鉄紛などの混入物もない非常にいい状態でした。
でもって、工具など大急ぎで片づけ、シャワーを浴び、いざ、M3でツレをピックアックしに出撃です。
S55の変化を楽しみながら、待ち合わせ場所に急ぐともうそこにツレの姿が。
私と違い、まっとうに卒業し、まっとうな会社に入り、まっとうに出世して、まっとうに家族を養う、どこかの牛丼怖いメタラーとは対極の人生を送る、至極常識人な彼は、深夜までかかるといわれていた大規模システム障害を定時に片づけ、待ち合わせ時間5分前に到着しているシゴデキぶり。
ただし、彼の家族も知らない、ある一点に関しては、もはやアブノーマルを超越した、解脱の域に達しているということをここで付け加えさせていただき、その話はまたの機会においとくとして、、、
ちなみに、その触りとして、子供に見せたくない哺乳類トップ2を独占(FlyingV調べ)する『変態犬さん』と『ピーピングトム氏』などは、溢れ出るリビドーが際限なく外側に向かっていったのに対し、彼の場合は、それが内側というか、自己への耽溺へと深く沈んでいったと言いましょうか、学生時代、彼の二つ名は『マスターセ〇ズラー』と呼ばれ、数々の自己犠牲とフロンティアスピリットは、我々の敬意と畏怖の対象であったことだけ、彼の名誉のためにお伝えしておきます。
オイル交換ぐらいで時間ぎりぎりだったとはとても言えず、彼を拾って、リクエストした名古屋飯へ。
M3に乗り込んだ、彼の第一声が、
「おお、M3か!青いのどうした?」
そうなんです、ずいぶん前に、名古屋に遊びに来た際、愛してやまなかったE36M3Limoに乗せたことがあったのです。
「あれは色々あって乗り換えたよ。」
「そうか、確か超レアなモデルだったよな。おい、なんだこれ、マニュアルじゃないのか?」
などなど質問攻めにされ、彼のリクエストで、最初に向かったのは、
抹茶シロノワールなど変わり種を提供してくれる和風コメダ『おかげ庵』
鉄板ナポリタンも美味なここで、やることと言えば、こちら。
※画像は、どこかのWEBから拝借しております。
隣のテーブルでは、初々しい大学生らしい男女が仲睦まじく、「ウフフフ💛」とみたらしを焼く横で、おっさん二人が、猥雑な話に「ゲヘヘヘヘヘ。」と下品な笑いを浮かべながら、ちまちまとひっくり返すという地獄のコントラストが。
次のリクエストは、名古屋発祥ながら、岐阜で愛され、その名を冠することとなった岐阜タンメンへ。
深夜0時近くにも、順番待ちの列が店外に。
寛解したとはいえ、唐辛子などの刺激物は禁忌につき、私は辛さゼロを注文。
それに反し、ヤツは、あろうことか、ニンニク無限トッピングをオプションで。
深夜に麺類を食べる背徳感がスパイスとなって、大変おいしゅうございました。
すっかりお腹がくちくなって満足したツレを社宅まで送り届けた後、ちょいとMotul Competitionのインプレに。
EngineCleanの効果は分かりませんでしたが、前回入れていたTrophyが、フリクションがなく、まるで氷の上を滑るように、アクセル開度以上にシリンダーが鋭利に回っていったのに対し、フリクションがないのは相変わらずながら、ソリッドなフィーリングになったというか、アクセルの踏み代と回り方が感覚的にシンクロしたようなメリハリとキレを感じました。
鋭利なカミソリが、よく切れるナタになったといった風です。
翌日、M3のドアを開けて、猛烈なニンニクの残り香に、吸血鬼のごとく体をのけぞらせたメタラーの姿が目撃されたのでした(涙)
そして、ニンニクで精を付けたヤツがどうしたか、知る由もなかったという。。。
Posted at 2022/08/08 10:14:07 | |
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F80M3 | 日記
2022年08月04日
すいません、心底どうでもいいことを前回、前々回と書きつらねておりまして、皆様においてはお目汚し極まりなく、五体投地でも謝罪し足りないない心持でおりますFlyingVです。
ここまで来たら、最後までUPして後始末するのが責務と心得、期待値ゼロでご覧いただければ幸甚です。
【とある酔いどれチー牛メタラーの独白 後編】
「こ、ここからは、口に出すのも、あまりに恐ろしい、、、、
ちょっと、シラフじゃ何だから一杯ひっかけながらでもいいか?
あー、、、よし、じゃあ、続きを始めようか。
そう、あの時、俺は牛丼を食べ終わり、席を立とうとした時、左目がやけに熱いことに気が付いた。
最初は、メガ肉が顔に付いた時、ツユでも入ったのかなぐらいに感じてたんだ。
紅生姜と七味が浸かっていたぐらいだから、多少の刺激は分かる。
だが、今、尋常ではない熱さになっている。
俺は店内のトイレで念入りに顔と目を洗った。
すると、何事もなかったかのように、さっぱりしたんだ。
鏡で目の中を見ても、異物は入っていない。
うん、大丈夫だと、店を出て、夜明け前の澄んだ外気の中を進んでいるうちに、再び、左目の中で、熱さがどんどんこみ上げてきた。
それとともに、眼球を無数の針で突き刺すような痛みが走り、俺は思わず、
「アアア!!」と叫んで、深夜の青梅街道脇でうずくまってしまった。
やばい、、、何かが起きている、、、涙が止まらなくなった左目を、ヘインズのTシャツの裾で押さえ、途中何度も「アァァーー!」と悶絶しながら自宅へと向かい、左目を開けてられるのも困難な状況になっていったんだ。
途中、痛みに耐えきれなくなり、無意識に体をもたれかかった自販機には、『明るい家族計画』の照明が灯っていてさ、以前、なけなしの1,000円(500円×2)を飲み込んでくれた因縁のヤツだよ。
皮肉なことに、あの時、俺の下半身を裏切ったヤツに、今、下半身を支えてもらってるんだ。
そこからどうやって帰ったのかは記憶にない。
身体をのけぞらせながら階段を上り、片手で開錠し、トイレに駆け込んで、無我夢中で目を洗った。
そうすると、痛みと熱はスッと引いていく。
「はぁ、、、よかった。」
座椅子に腰かけ、ほっとしたのもつかの間、途端に眼球表面が熱を持ち始め、痛みがぶり返してくる。
またトイレで目を洗う⇒痛みが引く⇒座椅子でくつろぐ⇒数分と経たずに眼球が煉獄に⇒再びトイレに駆け込む。
この無限ループを何度も周回している内に、脳内で、藤井隆が躍り出していた。
「ホット、ホット♪」
繰り返し言うが、洗面所の鏡では、なんの異物も視認されなかったんだ。
眼科に行くべきか、いや、今日は必須科目の後期試験がある。
教授のあの冷徹な性格からすると、追試は絶対に通らない上に、これを落とすと、留年V2にリーチがかる崖っぷちだ。
たまらず、アイスノンを左目に当てて、ごまかししつつ、それでも、灼熱の痛みは眼球表面へと容赦なく刺しこみ、反射行動で左目をぎゅっとつぶると、その痛みがスーパーひとし君かハンマーチャンス大成功となって押し寄せ、
「ぐ、あっ、ぐわあああああ!!!」と濁声が響き渡る。
もはや負の確変だよ、これ。
こうなったからには、布団に入って横になり、ひたすら、痛みが引くのを待つしかない。
洗面所に行くたびに鏡の中の左目は大リーグボール3号を投げ込む星飛雄馬のそれよりさらに血走り、何度洗おうが、眼球の上で陽キャたちのBBQパーティーが開催されてしまう。
明らかに、おかしい、、、
紅生姜と七味を載せていたとはいえ、たかが牛丼のツユで、ここまでなるとは、、、
確か、あの店には、長髪を後ろで縛り上げ、すっぴんのビジュアル系バンドっぽい風貌のバイトがいたような、、まさか、レッドホットジャンキーがブレイク間近と知って、俺を亡き者にすべく、謎の化学合成薬物でも混入されていたのだろうか。
いかん、痛みのせいで、妄想も疑心暗鬼も、めちゃくちゃ低レベルだ。
人の頭の中が読めるばかりに、調子こいて村人相手にヒャッハーして、囲炉裏からバチっと跳ねた薪でうっかり撃退された、妖怪サトリの気持ちが初めて分かった気がした。
現在、AM5:00、彼女はまだ寝ている。
留年どころか、ともすると視力を失うかもしれない・・・
眼球の上は、BBQパーティーから花火大会へと移行したようだ。
このまま軍事演習に突入するのも時間の問題だった。
そうこうしている内に、めざましテレビが始まると同時に日が昇り出し、一定周期で悶絶するも、痛みには多少慣れてきたこともあって、冷静に考えた結果、単位を諦めて眼科に行くと決めた。
こまめに目を洗いながら耐え続け、眼科が開く時間近くになったので、髭を剃ろうと、朝日が差し込む窓際の化粧鏡を見た時だった。
鏡の中の、毛細血管が真っ赤に膨張し、うっ血した左目をしげしげと見つめ、なにげなく瞼を裏返してみたのよ。
そしたら、そこに、何があったと思う?
鏡が、息で白くなる距離まで顔をくっつけて観察すると、上瞼の裏に、めちゃくちゃ小さな赤い破片が2個、張り付いているんだよ。
さらに、下瞼を思いきり引っ張り下げると、そこにも1㎜もないぐらいの微細な赤い破片が3個あるんだ!!
いやもう驚いたのなんのって。
マジダで洗面所に駆け込み、シャワーノズルの水流を眼球に当てて思い切り洗い流したら、赤い小さな破片が排水溝へと吸い込まれていくのが見えたね。
そう、俺の左目には、唐辛子の極小の破片5個が入り込んで、凡そ6時間にわたって辛み成分カプサイシンがジワジワと瞼の裏で染み出し、俺に地獄の責め苦を与えていたんだ。
痛みで瞼をぎゅっと閉じると、その圧力で、さらにカプサイシンが放出されるという、まさにメガ肉の呪いというべき悪魔のサイクルが出来上がっていたというわけだ。
洗面所の照明では、瞼の血管が保護色となって識別できなかったのが、太陽光の下で暴露されたんだ。
まさか、こんな微細な破片で、一晩中、眼球を焼かれ、体をよじるほどに悶絶させられていたとは。。。
改めて、その非人道的な破壊力たるや、国際条約で禁止されてないのが不思議だと怒りすら感じたね。
痛みが引き、安心した俺は、そのあと、布団に入ってまどろみ、必修の試験をぶっちぎって、無事、単位を落としたのは、またその後の話。
ま、こんな訳で、弩級のトラウマが刻まれ、俺は、金輪際、牛丼店の牛丼に箸をつけるはやめようと決めた。
な、退屈だったろ?これで話は終わり。さ、もう一人にさせてくれ。」
そう言って背中を向けると、「なんか、最近、若い奴らからチー牛って言われるんだけど、一体なんて意味だ?」と、誰に言うまでもない独り言とともにおぼつかない足取りで繁華街へと消えていったのでした。
でもって、日曜の昼に四半世紀を超えて食した牛丼は、あの時と変わらず、懐かしくも、おっかない味がしまして、子供たちからは、「なんか、目つぶって食べてる!!」と笑われましたが、もちろん、目をつぶって箸を進めたのは、決して、あの時の恐怖からではなく、深く味わうためであることを滔々と伝え、親の沽券を守ったのは言うまでもないという(汗)
ただ、この時、もう一つ、忌まわしき記憶とともに、深く沈んでいった思い出が蘇ってきたのです。
20代の頃、Z31で嫁と東京まで貧乏旅行に行った帰り、節約のため、深夜の1号線で名古屋までのんびり戻る道中、吉野家のあまりの多さに、嫁と一緒に数えた記憶。
途中で嫁は寝てしまい、名古屋まで何件の吉野家があったのは、結局、分からずじまいでしたが、今度はちゃんと数えられるたらいいなぁと、牛丼を頬張る嫁の横顔をチラ見しつつ、再び目をつぶって牛丼を口に運びながら、Z31の助手席でオレンジ色の看板を嬉しそうに数える、嫁の姿と重ね合わせたのでした。
とここまで、長々お付き合いいただきました饅頭怖いならぬ牛丼怖いの結末でした。
Posted at 2022/08/04 15:45:18 | |
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My Life | 日記
2022年08月03日
ある出来事がきっかけで、牛丼が食べられなくなったという、心底どうでもいい前回のブログと、その出来事を、ある社会不適合者の独白から時系列に紐解いていく、駄作と名高いフォースカインドをさらに超絶劣化させた前編です。
【とある酔いどれチー牛メタラーの独白】
「あの頃、、、、そう、思い出してきた、当時俺は22で、とにかく金がなかった。丁度、組んでいたビジュアル系バンドに結構メジャーなレコード会社からアプローチあったりして、デモテープ作るぞってすごい意気込みで、バイトを増やしていくつも掛け持ちしてさ、それでも、稼いだそばから全部、バンドに吸われて、おまけに、卒業単位が足りずに華麗に留年を決めたら、勘当扱いされて仕送り停止。塾講師やバーテンのバイト代だけではとても足りず、魂を削りながらヤ〇ザキパン工場の日雇いバイトやら怪しげな労働にいそしむも、冷蔵庫は大体いつも空っぽ、魚肉ソーセージをお湯でふやかしたり、水で薄くした小麦粉を焼いたり、その小麦粉がなくなってクリープを舐めて過ごしたり、メンバーの実家に転がり込んだり、彼女に泣きついてご飯食べさせてもらったりして、なんとか食いつないでいたのよ。
で、貧乏生活マニュアルとキン肉マンを心から愛していた俺にとって、バイトの給料日は、吉〇家で牛丼大盛りを注文することが一番の贅沢。
毎月、この日この時を楽しみに、ある給料日の深夜3時ごろかな、歩いて行ったの、いつもの吉〇家に。
で、牛丼大盛りツユダクを注文。
え?あの紅ショウガのやつ、やったのかって?いやいや、いくら貧乏生活マニュアルをレスペクトしていたとしても、さすがに、あの紅ショウガ丼だけは、レベチ過ぎて、どうしてもマネできなかったね。
その代わり、肉の表面を覆うほど七味をふりかけ、紅ショウガをバベルの塔のごとく盛り付けて食べてたんだ。
いつもシフトに入っている店員に顔を覚えられてさ、「うまい、やすい、はやい」のキャッチフレーズどころじゃないスピードで、着席&注文と同時に着丼してた。
後から知ったんだけど、あだ名?いや、二つ名もつけられてたよ。
西荻のRHJ、なんかカッコいいだろ?
バイトに知り合いがいるツレから聞いた話では、レッドホットジャンキーの略だってよ。
ま、当時、体脂肪率7%と、気味が悪いほどガリガリに痩せた長い金髪で青白い顔をしてたので、吉〇家のガラスに映った自分の顔を見て、夜勤明けのシャ〇中すっぴんニューハーフってこんな感じなんだろうなって変に納得してた。
いかんいかん、話が逸れた。
そうだ、この時の牛丼がまた格別で、まず、肉がやけに多い。
飴色に輝く玉ねぎが密度高く折り重なっている。
予想外の僥倖に、前世で徳を積んだ自分に感謝し、目の前で黄金色のオーラを放つ牛丼を手に取り、まずは、そのまま口の中へ。
美味い、、、、とんでもなく美味い、意識が飛ぶようだ。
おおっと、危ない、、あまりの空腹と美味さにビーストモードに突入し、俺の流儀を忘れて全部行くところだったぜ。
理性を取り戻し、3口ほど楽しんだ後に、七味、そして紅ショウガの出番だ。
グラミー賞の赤じゅうたんのごとく七味を敷き詰め、その上から地層を形成するかのように紅ショウガを盛り付け、あとは自分のペースで楽しむのが俺流。
月に一度の贅沢をかみしめながら、箸を進めていくと、何か、いつもと違う感覚があったのよ。
グランドの整地をするように肉と紅ショウガの位置を整えようと、真ん中付近の肉の端をつまんで引っ張ったところ、俺は、目が点になったね。
なにせ、紅ショウガの山からいくら引っ張っても、そのやたら長い肉はいつまでたってもズルズルと出てくるばかりで、端っこがちっとも見えてこない。
紅ショウガを崩さないよう細心の注意を払いながらその肉を引き摺り出し、全貌が露になった時、俺は目を疑った。
「な、何なんだ、これは、、、」
その肉は、丼の端から端に掛かるどころか、そこから更に少し余るほどに巨大な躯体を、丼の中央で横たえていたのさ。
箸を持ったまま固まること数秒。
「ま、、、まさか、、この肉は、、、」
風の噂で聞いたことがあった。
何万、何十万という牛丼の中で、ごく稀に、精肉過程において、規格外の大きさで切り出されるバラ肉が混入していると。
コアラのマーチの幸運のコアラのように実在が確認されたものではなく、ただ噂が噂を呼び、都市伝説と化していたはずだった。
しかし、目の前には、UMAか奇跡といわれる、巨大な一枚肉があったのだ。
俺は、それを「メガ肉」と呼ぶことにした。
いやもうね、過呼吸になるんじゃないかってぐらい、興奮したね。
赤目なんか目じゃないってぐらいの伝承だよ、、、、まさにメガロドンが水揚げされたんだ、俺の目の前で!!
もうさ、矢追純一かムー編集部に電話しようかと思ったよ。
ああ、すまんすまん、ちょっと取り乱しちまった。
で、俺はその一生に出会えるかどうかの、メガ肉に七味をタップリかけて、かぶりついた。
でも一口で行くのは勿体ないから、途中で噛み切ろうとしたんだ。
箸でメガ肉を掴んで引っ張ったんだけど、さすがは伝説のレリック、そう簡単に噛み切れるものじゃない。
それに、ただ力任せに引っ張っていいものでもない。
反動で紅ショウガマウンテンが崩れれば被害は甚大、ともすれば丼自体が自由落下して大惨事になることだって考えられる。
相手は伝説、神話の類なのだ。
こういう時こそ、駆け引きが大事だと教えてくれたのは、四万十川のヌシと戦う釣り吉三平じゃないか。
俺は、メガ肉を口にくわえたまま、慎重にウィークポイントを見極める作戦に出た。
五感を研ぎ澄ませ、肉の端を歯で咥えながら箸で引っ張っては緩めてをしていると、とある部分だけ肉の繊維結合が他よりも少ないポイントがあった。
「ここだ!!」
俺は、箸をそのポイントめがけて移動させると、一気にテンションをそこ集中させて勝負に出た。
歯と箸の間でグーンと伸びきったそのポイントからプツプツと筋線維が千切れる音が聞こえる。
次々に赤みと脂身が切り離され、コカ・コーラボトルのウェストのような形状となり、ついに最後に残っていた太めのスジが「プツン」という音とともに切り離されたその瞬間、
「勝った!!」と確信したの同時に、顔の左半分全体に、ビターンと伸びきった巨大なメガ肉の半身が、反動で勢いよく張り付いてきたんだ。
それがメガ肉の最後の抵抗だったってわけだ。
俺は、張り付いたメガ肉の半身を口へと誘い、優雅に咀嚼しながら、何事もなかったかのように、落ち着いておしぼりで顔にベッタリと付いたツユを拭いた。
残った半身も幸運と一緒にかみしめた。
満足だった。
至高の時を賜ったことに感謝しながら丼の残りを平らげ、「ごちそうさん、、」と席を立とうとした時、ある異変が起きた。
それがこれから起きる悲劇の始まりだということを、まだこの時は知る由もなかったのさ。
【懲りずに後編へ続く】
Posted at 2022/08/03 15:26:35 | |
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My Life | 日記