セリカに乗って早30年近く経ち、その間にいろんなことを見聞きし知ることがあったんですが、そんな中“今さらながら”初めて知った事実がこれ。。。
とある会社の社史.
「雄大な富士の裾野に…」っていうナレーションが聞こえてきそうですけど…
こんなの作ってたあの会社です。
中には
という表題のもと…
…なんて懐かしい車の写真が並びます。
そう、この本の発行は“昭和53年”となってます(笑)
だからお馴染みじゃない方もいらっしゃるでしょうけど。。。
で、ページを進めると、こんな表題も見つけました。
「へっ、どういうこと?!」
…と不思議に思いながらもぱらぱらとページをめくる、捲る、メクル。。。
「ふ~ん」
「そうなんだ。」
…えっ?!
「マジっ?!」
…っておもわず声あげちゃったその車が
これ。
TA27セリカLBの1600シリーズ。
(誤記でKA27って書かれてるのはご愛嬌ですけど)
このクルマ、生産はトヨタ自動車工業株式会社の堤工場だということは、セリカマニアの中では当たり前のお話しでしたが、まさか開発がこの会社だったとは!?
驚きながらもこの意味が分からず、ちょっとページを読み進めると…こんな記載がされてました。
ふむふむ・・・デザインまではトヨタ、以降の開発はこの会社が行って再び生産はトヨタに戻した…んだって(汗)
へぇ~っ。。。
今の時代じゃあまり聞かないように思いますよね。
この当時といえば、昭和41年のカローラ登場を契機に、一気にモータリゼーションが花開いた時代。いけいけドンドンって感じで、次々と車種展開を増やしていったころですから…やはりトヨタ本体でも人手が足りなかったのかなぁ?!
…なんて当時がしのばれますね。
ちなみにこの会社、セリカとは実は深い縁がありまして…
あれは2006年2月のこと。
当時「セリカ祭」を主宰していた“あの方”より電話をもらい、「セリカが生産終了になるので、最終型ZZTセリカのシャットダウン式をやってもらうつもりで動いてます。ついてはそこに初代の皆さんも行きませんか?」ってお誘いを受けたような記憶があります。それには「地元のフジテレビ系ローカル放送局がセリカの生産終了を題材とした取材をしたいので、ぜひとも初代のメンバーさんの収録も兼ねて走って来てほしい」ってことだったかな?!
その数か月前には、愛知のセリカメンバーの“40万キロ走破”を祝して(?)のオールドタイマー取材に立ち合い雑誌が刊行したばかり。
なのでその方の話をテレビ局と話したら「その方を主体で番組構成しましょう!」ってことでトントン拍子に話が進み、我々愛知のメンバーの集会のシーンも含め、今となっては懐かしい光景をずっとカメラで追いかけてくれたんです。
あぁ、思い出しちゃった(笑)
で、行った先が…この会社でして
「あぁ、こんなところでセリカ作ってるんだなぁ」って感慨もひとしおに、最終ラインオフセレモニーに参加した覚えがあります。
この番組が放映されたのはちょっと遅くなったんですが…お蔵入りとなったシーンは数知れず。中には我が家にも来ていただいて「エンジン換装の様子」を撮っていただいたのは良い思い出でしたが…マニアックすぎるという上層部の一言であえなくカット(笑)
あるいは実家に置きっぱなしだった雑誌やカタログに埋もれてニタニタしてるシーンも…幻となってます(爆)
懐かしいなぁ。
あの時の写真…あっ、HDDに入れててクラッシュしちゃったんだっけ(泣)
はい、あの時の写真は…もう見られません。。。
さて、話は変わり…
この「開発だけ他社へ」といったものが今は無いのか…と考えてみます。
まっさきに浮かんだのが、パッソやブーン、タンクやトール、ルーミー、ジャスティの名前を冠してる一連のダイハツとの共同開発車両。
でもこれは基本的にダイハツ主導で開発し、生産ももちろんダイハツ。
他にはないなぁ…
と思ってたら、今のハチロクがこんな感じなのかなぁって気になりました。
で調べると、トヨタが企画・基本デザイン、以降の開発はスバルとトヨタが共同開発って言ってますね。生産はもちろんスバルですから…似たような経緯ですけど、やはり違うか!?
やはり当時ならではじゃなかったかと思いますけど…いかがでしょうか???
追加情報
皆さんにお馴染みのこの2車種も…この会社での開発だそうです!
なんか…いいかも!
Posted at 2017/12/01 13:12:43 | |
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