![チバラギ漫遊 消えた250円拉麺の夢・今は昔にあらず三里塚闘争 チバラギ漫遊 消えた250円拉麺の夢・今は昔にあらず三里塚闘争](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/blog/000/045/514/289/45514289/p1m.jpg?ct=d4a62205b41c)
デフレ基調となって早30年が経つ日本。デフレというのは本来、そんなに長続きするものではないとは思うのだけれど、ともかくも、30年続いちまった。世界史上およそ類例がないと思われる。
「珍げ」が生えたかどうかなという微妙な頃合いの年頃のときに、東京の下町に200円ラーメンという看板を掲げたお店があって、じきに250円に値上げされたけれど、それでも安いなと思っていた(昭和から平成にかけての頃)。
令和の現在でも250円のラーメンはデフレとは関係なさそうだけれども、ともかくもそういうお店があるらしい。そう、東京という符牒をやたら使うあの愛すべき千葉に。
ちなみに、前日は、神奈川入り。地元みたいなものなんで。
まさかの川崎二連チャン
伊能忠敬先生が作成してくださった地図のおかげで、途中、バイエルンの高出力マシン(ドライバーは鼻くそをほじくってました)にせっつかれながら、消費資本主義の影響にもめげずにいにしえからの自動車を愛好している人たちと車両を見学してきた。
47スターレットが一番古かったのかな。いや、フロンテSSS、いや、スバル360か。年式によってはワーゲン?
この辺りの前後関係はよくわからないけれど、印象に残ったのはカムリとカリーナGT(FFの最終モデルのやつ)で、それはたぶんに私の過去のクルマ道楽と関係しているが、詳細に書き連ねると、一大論文になってしまい、危うくノーベル賞をもらいそうになるので、やめておこう。元来が抑制的で謙虚な人間なのだ、私。あらかたの写真も他の諸氏にだいぶをお譲りすることにする。
スープラで東葛地域旧車交流会に参加した。【10月3日編】
東葛飾旧車交流会 10月
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ゴロンさんよりパクリ
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みにいかさんよりパクリ
さて、千葉県といえば、チバラギ集団(チバラギ仕様にしているクルマのことではないので、悪しからず)のことに留意せねばならないけれども、やはり、多数いらしていて、250円ラーメンを求めて田舎道を走ること少々。前を走っていたのがR2だったんだけれど、ほのぼのとした走りで
和やかな気持ちになる。クネクネ道マイスターの羊さんが乗るにはちょうどいいかもしれない(笑)
で、くだんの250円ラーメンのお店だけれど、休業日とのことで、500円玉一枚しかもっていなかった私はこっそりと錬金術を施して、何食わぬ顔で、ロカビリーな髪型のマスターが
印象的な「リバーサイド」へ。何気に10年以上前から訪問したことがあり、そのときはまだ富士重工のクルマではなかった。
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※ドラレコ映像より抽出
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みにいかさんよりパクリ。
ゼブラマスク有りとグリルレスの並び!
印西町役場スペシャルを注文。ここのメニューはとてもおいしいのだけれど、とかくデカ盛りで、食べられるかどうか不明だったけれど、いままでずっと完食してきたので、ともかくも注文。今回はあっさり食べることができた。おそらく、戦後の焼け野原から解放されて、豊かな食生活を歩むようになり、私の胃袋も大きくなったのだろう。
羊さんお手製の「クネクネ道R2スペシャル」もいただきました。ありがとうございました(笑)
前々から立ち寄りたいところがあった。が、さすがは人間通で気配りの権化であるSSAWSさんで、私の秘匿情報をカミングアウトしたところ、案内してくださるという。ありがたい。
道中が山あり谷なしで面白い道であった。昼間の参道を通ったのも15年ぶりだろうか。
成田空港が近づく。私はむしろ、芝山千代田鉄道(その理由は後述→後述してなかったですね・笑)が気になっていて、数年前に乗車しようと駐車場に停めようとしたときに、アクシデントがあったのだけれど、千葉のお店やホームセンターの人たちの類まれな人情により、大過なく、結局、丸昇という社交場で、中2さんとお話をさせていただいたのであった。
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※以上二点ドラレコ記録映像より抽出
「成田空港空と大地の博物館」という博物館で、まことにこじんまりとしている。隣の航空科学博物館がにぎわっているせいか、余計に閑散としている感が強い。しかし、これでいい。
昭和の時代に三里塚闘争というのがあったことをご記憶の諸兄も多いだろう。テレビでしばしば反対派と国家との衝突場面が放映されていたし、子供の頃に親のクルマが検問にあい(一台づつ、隅々まで検問するという厳しいものであった)、多少の実感があった。
戦後日本の特質をあぶりだす上では欠かせないと思っている。
三里塚を含めて、あの頃の闘争は常に反権力で語られることが多いことがどうも腑に落ちなかった。実際にそういう面もあったのだろう。毛沢東語録を片手にしていた人たちもいたようだし(となると、民青を代表とした共産党系ではない)、階級闘争の美名のもとに反対運動が繰り広げてきた面は否めない。しかし、現代のどこかの日本国のように、特措法をでっちあげて、強制的に土地を接収したり、抵抗を抑えたりするという手法は、階級闘争や暴力性があったという点を入れても、なお私にとっては国家の暴力としか思えなかった。ちなみに、私は左が好きではなく、保守主義(保守的や体制派という意味ではない。西部邁や佐伯啓思に近いのかな)ではあるが、
戦後の日本は民主化されたとはいうものの、私はそれは違うと思う。なるほど、確かに言論の自由度は増しただろう。
でも、周りの雰囲気に応じてしか発言できなかったり、多数派の圧力に従ってしまうような
国に民主性などあるのだろうか。フーコー的にいえば、「身体に対する刑罰から精神に対する刑罰」が相対的に際立ってきただけのように思える。だからこそ、今、三里塚闘争を見直してみたかった。展示は中立的だと思う。イデオロギーの悪臭はなく、びっくりするくらいに淡々と構想の歴史を解説し、展示している。
そうそう、付記するけれども、反対派の訓練も竹槍で敵来襲に備えたときとさして変わらないように思えた。また、両者の抗争も堀で行われることがあり、もはや鎌倉・室町の頃と変わっていないのではないかとすら思った。
もちろん、近代兵器がすべていいというわけではなく、竹槍訓練的な風景が私には不気味なのだ。まるで個性がない。兵隊とはそういうものだろうし、近代の集団戦法ではそうあるべきだろうが、そんな原始的な訓練を一部分にせよしているところに脱力感のようなものも覚えた。
SSAWSさんとYS‐11や富士重工のビジネス飛行機を観たりして、ひこうきの丘(だっけ?私がよく目撃される場所・笑)で夕日とともに離陸する飛行機を眺める。
素敵な時間を提供してくださり、ありがとうございました。
で、ここで終わらないのが私で(笑)、高速道路を使い、すぐさま都心に戻り、葛飾の奥戸で談合。お腹は空いてなかったので、ポテトフライとドリバのみ。
バイエルンの駆け抜けるクルマに乗っている方が住んでいる場所の近く(揺れている建物を見つけることはできなかった)で、だべだべしたあと解散と相成った。
今日も家庭円満だったのだろうか。
そのことが心配でよく眠れた。
[1973] 辺田部落 【三里塚】住民vs機動隊
↑言論統制を敷いているユーチューブ動画より
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オフ会 | クルマ
Posted at
2021/10/04 09:44:30