
先日公開したアーカイブサイトのスポーツカーカルチャーに関する記事ですが、SNSにて若干の反響をいただきました。
この記事です→
https://mx-5nb.com/2026/09/28/sportscar_culture/
機能派(チューニング派)もドレスアップ派も、オーナーごとに愛車の楽しみ方(プレイしているゲームのルール)が違うのだから、互いのスタンスをリスペクトしようぜ!という趣旨です。
同じようなトピックを本サイト(アーカイブサイト)に上げるのはくどいので、今回は備忘録、私がその記事を書くに至った理由について語りたいと思います。
なお、当該記事では「多様性を認めよう」と書いたばかりなのに、これから私が記載する内容は、私自身の「価値観の押し付け(これだから老害は……)」といった認定を受けてしまうリスクがあることも自覚しています。
実際「自分の買ったクルマなんだから、最初から好きにカスタマイズして何が悪いんだ」という意見がももっともだからです。
それでも、あえてこの補足記事を書くのは、昨今のSNSにおける一部の声があまりにも目に余ると感じたからです。
「スポーツカーに乗ってて純正車高は恥ずかしい」
「ホイールとマフラーくらい替えるのが当たり前」

つまり、ドレスアップ派であれ機能派であれ「純正仕様(ノーマル)」をイケてないと見なして、一部の方がマウントを取ってくる風潮です。
誤解のないよう書きますと、私自身は決して「純正至上主義者」ではありません。
愛車にはセミバケットシートを入れていますし、トレッドを稼ぐためにスペーサーも導入しています。自分の使い方に合わせてクルマをアジャストしていくのはスポーツカー趣味の醍醐味ですし、私自身もカスタマイズの楽しさを満喫している一人です。
そこで、私がそれらのパーツを導入したのは、自分なりの限界や不満点が見えてきたからです。
「座面を下げて、身体をホールドしたいからセミバケに」「諸元5mmアップでポルシェと同じトレッドになるので、それが体験したい」と意図をしたカスタマイズであり「とりあえず車高調を入れる」「とりあえず社外品に替える」というアプローチではありませんでした。
なぜなら、基本をじっくり試してから比較したほうが、私の性に合っているからです。解説したがりのクセですね。

ただ、【純正状態】というのは、決して「妥協を重ねた未完成品」ではありません。メーカーのトップエンジニアたちが、限られた予算、厳しい法規、そして様々な使用環境を想定し、何万キロものテスト走行を重ねて導き出した、最大公約数に対応するための「究極の最適解(バランス)」です。
例えば、純正の足回りは「しなやかにロールさせてタイヤのグリップを引き出す」というスポーツカーの基本動作を学ぶのに最高の教材です。マフラーも「規制のなかで最大限の官能性を追求した」ものでしょう。
その絶妙なバランスや、作り手の意図・メッセージを理解する前にパーツを替えてしまうのは、一流シェフが作った料理に、味見もせずにソースをドバドバとかけてしまうような「勿体なさ」があると(個人的に)思っています。

さらに言えば、新車であればそれを楽しむハードルは低いのですが、NBロードスターのように生産から20年以上が経過したネオクラシックと呼ばれる世代においては話が変わってきます。ブッシュは劣化し、部品は次々と廃盤になり、オークションも含めた中古パーツも容赦なく高騰していきます。
そんな厳しい環境下で、手軽な社外品の誘惑(あるいは妥協)に負けず、発売当時の「フィーリング」を保ち続けるのは、並大抵の努力では不可能です。それはもはや、ハードなチューニング以上に情熱とコストがかかる行為といっても過言ではありません。
年季の入ったスポーツカーにおいて「フルノーマル」であることは、それ自体が奇跡であり、ひとつの強烈なアイデンティティともいえる偉業です。だからこそ、私は本編の記事で「純正の最適解を味わい尽くすのも、立派なスポーツカー愛の形である」と明記しました。

「純正のままなんてダサい」と切り捨てるのは簡単です。しかし、そこにあるエンジニアの哲学や、維持し続けるオーナーの苦労に思いを馳せることができれば、同じスポーツカー乗りとして見えてくる世界はもっと広がるはずです。
機能派、ドレスアップ派、そして純正派。表面的な仕様の違いでマウントを取り合うのではなく、ベースにある「そのクルマの基本設計へのリスペクト」で繋がれる文化であってほしい。
口うるさい意見になってしまいましたが、そんな個人的な備忘録でした。
Posted at 2026/10/05 15:51:47 | |
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