
岡山遠征1日目(10月26日)の続きです。
平成水門完成5周年記念カードをげっとして、わざわざ岡山まで来た目的を果たすも、この日は日帰りするか?車中泊するか?迷いがありました。
というのも、翌日行きたい場所が岡山からの帰り道にあったからです。
ゴーゴーカレーを食べながら決断したのは車中泊することです。 一応、車中泊の準備してましたし。
車中泊するとなると、いったん帰宅する必要が無いので時間的余裕が生まれました。
そこで、急遽ネット検索で近くのお城を探し、岡山市内でお城巡りしてみることにしました。
検索で見つけた手頃なお城が撫川城(なつかわじょう)と庭瀬城(にわせじょう)です。
撫川城と庭瀬城は、もともと戦国時代には1つのお城だったのが、江戸時代に2つのお城に分かれたとのことで、近接する2つのお城をセットで巡るのがお勧めとの情報でした。
まずは、撫川城です。

住宅地の中にあり、ここまで辿り着くのに入り組んだ極狭の路地を通るのが非常に辛かったです。
カマロの大きさだと厳しくて、極狭な直角カーブを曲がるのに住宅のブロック塀の角に当たらぬよう慎重にハンドルを切り返して進みました。
城跡の南側に駐車可能なスペースがありました

周辺地図の看板とその先に門が見えてます。
撫川陣屋総門

入口にあるこの門は、撫川陣屋総門を明治時代になってからここに移築したものだそうです。
現在、撫川城は撫川城址公園として整備されています。
撫川城の周囲はお堀で囲まれていました。
門を潜って撫川城址公園に入ると、三神社という神社が鎮座。(-人-)
岡山県指定史跡 撫川城跡の説明看板。(平成9年3月)

撫川城は泥沼の地に築かれた典型的な「沼城(ぬまじろ)」です。 城の平面形状は、東西77m、南北57mの長方形を示し、幅15mの濠がぐるりと巡っています。
西半に高さ4m強の高石垣(野面積み)と東半には土塁が現存しています。 また北西隅には、櫓台と思われる石垣の張り出しが見られます。
この城は永禄2(1559)年に備中成羽城主三村家親が、備前の宇喜多直家の侵攻に備えて築城したといわれています。 備中高松の役(天正10〔1580〕年)には毛利方の国境防備の城「境目七城」の一つとなり、当時の城主井上有景と秀吉軍との間で激戦が交わされました。 その後は宇喜多の支配下になり廃城となりましたが、江戸時代に戸川氏の領するところとなりました。
戸川氏は安風(やすかぜ)(四代目)で断絶しますが、その弟達富(みちとみ)が撫川領分を継ぎ「庭瀬城」の本丸・二の丸に知行所を設けました。
撫川城跡と庭瀬城跡とに呼び分けられていますが、もともとは一体の城だったのです。
なお、
入口に現存する門は、撫川知行所総門を明治になって現在地に移築したものと伝えられています。
昭和30(1957)年5月、県の史跡に指定されました。
撫川城の本丸。
撫川城を出て、お堀の外側を歩いてみます。

西側から見える高さ4m強という野面積みの高石垣です。
撫川城については以上です。

庭瀬城はここから東に200mほどなので、カマロを置いたまま徒歩で庭瀬城に向かいました。
庭瀬城に到着です。

大きなお堀に囲まれています。 お堀には大賀ハス(古代ハス)が植栽されてるとのこと。
庭瀬城跡の石碑。

庭瀬城もまた現在は公園と神社(清山神社)になってます。
お堀に架かる橋を渡る。
こちらにも庭瀬城跡の石碑と清山神社の境内社。
庭瀬城の案内板。

室町時代の末ごろ(約400年前)備中松山の三村元親は備前の固めとしてこの地に築城した。
付近の地名から芝場(こうげ)城とも呼ばれた。 一帯は泥沼地でひじょうな難工事であった。 その後宇喜多の重臣戸川肥後守達安がはいり(1602)古城を拡げ城下町をととのえた。
元禄12年(1699)板倉氏の居城となり明治を迎えた。 自然石の石垣をめぐらした堀もよく残り、沼城の典型を示している。
寛政5年(1793)板倉勝喜は城内に清山神社を建て板倉氏中興の祖重昌、重矩父子を祭り歴代の遺品を収蔵した。(遺品は現在、吉備公民館に収蔵)
案内板には書かれてないけど、庭瀬城はもともと戦国時代には撫川城の一部でしたが、江戸時代に撫川城と庭瀬城の2つのお城に分かれています。
庭瀬城については以上です。
撫川城と庭瀬城、2つのお城をセットで巡ってみました。
住宅地の狭い路地をカマロで通るのは辛かったですが、歩きだしたら2つのお城とも平城ですしお城巡りは楽でしたね。
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実は、ちょっとお城巡りに勢いがついて、もう1つ城跡に行ってみようとしました。
それが岡山市北部にある徳倉城跡です。

(西側からの遠景)
徳倉城は標高232m、比高170mの山城でした。

本丸がある山上部には石垣などの遺構も多く残っており魅力的な城跡に思えました。
ところが、狭い山道をカマロで駆け上がると、坂道の途中で行き止まりになって身動きできなくなってしまいました。 この遠征で最大のピンチを抜けるのに慎重に慎重を重ねて数百mを鬼バックです。
元の道に戻れるまでは生きた心地がしなかった・・。 本当に心の余裕が無かったので危機場面の画像はありません。
なんとか無事に生還して時刻は既に16時半。 徳倉城の挑戦は断念しました。
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それからは岡山県内をひたすら北上。 やがて陽は落ちて夜になる。 車中泊の準備をしないと。
日帰り温泉を求めて辿り着いたのは、県北は新見市の山深い場所にある神郷温泉でした。

ナビを頼りに向かいましたが、山奥すぎて心細くなったところで到着。
神郷温泉を訪れるのは初めてです。

営業終了21時のところを20時過ぎに滑り込んだ。
自然に包まれた天然温泉に浸かり温まりました♪
お風呂に入ったら次は寝床だ。 さらに北上。 岡山県から鳥取県へ。
21時半、道の駅にちなん日野川の郷に着いてここで車中泊です。

車中泊は5月の山口防府遠征以来ですね。 車内ではリクライニング&寝袋利用です。
翌日はこのままこの道の駅で催される旧車イベントを見てから帰ることになります。

これが岡山からいったん帰宅せず、車中泊を選んだ理由です。
岡山遠征1日目(10月26日)

[ハイタッチ!drive] ハイタッチ!drive
2019年10月26日 06:07 - 21:33、
375.07 Km 15 時間 25 分、
3ハイタッチ、バッジ38個を獲得、テリトリーポイント320pt.を獲得
トリップメーター上の実走行距離:375.8Km、歩数計:11,702歩
既に岡山県を離れてるけど岡山遠征2日目は、道の駅にちなん日野川の郷での旧車イベントです。
続きます・・。