予報よりしっかり
雨。
洗濯物、すまん💧
それなりの週末、毎日がホリデージャパーン。
そんなホリデージャパーンの日常に問題が。
シネマを利用した車椅子ユーザーが、映画の鑑賞後、スタッフから今後は別の劇場を利用するよう伝えられたという趣旨の投稿をSNS上で出したところ、シネマ側の対応を巡り議論を呼んでいた。
「面倒な客はヨソに行けやワレ💢」
なのではなくかなり柔らかな伝え方をしているようだった。
けど受け取り方は人それぞれ。
「ここよりいいところがありますよと教えてもらえた」
と思うか
「二度とくんなゴルァ」
と言われたと思うか
そんなニュースのあとに
改正障害者差別解消法の施行により、4月1日から、障害のある人への合理的配慮の提供が企業や店舗などの事業者に義務づけられる。
なんだかちょっとイラッとした💢
障害者を見下したような感じがしたのだ。
義務づけなくても「みんながみんなに優しく」って子どもの頃に「道徳」って時間あったと思うんだけど。
障害のある人はえてして差別されていつもひどい扱いをうけているから法律で「それはダメ」って規制します。 えらいでしょ凸
って考えが「💢」。
法律で規制しないといかんような社会っていう現実がすごく情けないよ、と感じたのであります。
障害者というだけで「人間じゃない」のような視線をうけたり扱いをうけたり。。。。。
けど障害者という立場にちょっと甘えてるよな、って自覚とか藩政もったりしてた。
そんな中、タイムリーに
誤解がないようきちんと申し上げますと、「障がい」という言葉は、この現世だけの言葉なんです。そして「障がい」が何を指すかというと、この世の中を生きづらいという、非常に物質的な、または物理的な問題のことなんです。ですから魂の視点では、「個性」と言うんです。
個性を障がいと言うなら、この世の中に障がいを持っていない人は1人もいません。のんびり屋さんもいれば、せっかちさんもいるし、短気もいれば、気長もいるし、いろいろな人がいるわけです。足の長い人、短い人、痩せている人、太っている人、いろいろな個性がありますよね。だから「障がい」という言葉で洗脳されてしまうのはいけません。「障がい」とは、この現世のための、1つの習いとして(その名称が)つけられてしまっているだけ。
例えば学校とか役所的な判断とかもそうです。(「障がい」とカテゴライズすれば)学校だって支援学級に入ってもらうとか、障害者手帳をいただくとか、給付金の申請をするとか、そういうお役所的な問題に対処しやすいということなんです。あとはみんな個性。みんな誰しもが個性を持っている。だからみんなで寄り添いあって助け合う、っていうことが大切なんです。
って文章を読んでいた。
障害は個性だ、たまに見聞きしていていつも流して忘れたふりしてる。
規則規則で縛り付けるより、ふだんの生活の中でこういうことを学べたり意識したり考えたりする機会、きっかけってあったらいいのに。
ぶさいくな歩き方も、へちゃむくれの顔も、くそあつかましい性格も、、、、、
こ・・・・・個性^^; ←強引
そんな今夜は雨上がり、すっげー雲間から月にコンバンワ❤
いつも月に逢えるのも個性個性。 スキスキ言ってるのも個性個性。
あかんたれのあの人も、、、、そのあかんたれ度も個性と言い切ってしまえば無理矢理でも納得するしかないではないか💧
差別も偏見も、、、、、しかし個性というよりは.........
そんな車椅子ユーザーさんは「おまえが悪い」と叩かれ、映画館も「あかんやつ」と叩かれ。。。。
しかしどちらにも擁護する意見がたくさんあって。
こんなことで言い争うことのない世界が一番だから「そういうの禁止」にしたらいいのに^^;
キシダさんが「ネットの炎上は禁止」って規制法つくったらいいよ、ピチョッとでも好感度も上がるかもしれんよ。 おいらは上げんけどな(鬼)
障害者をわざわざ「みんなと一緒に」って言ってる時点ですっげーー差別があるってことに気づこうよ。
月の世界は差別も偏見もないぞ。
Posted at 2024/03/17 22:16:55 | |
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