
見る度に子供の頃の記憶が蘇る車、いすゞ117クーペ。
初めて覚えた車の名前と記憶されている。
小学校低学年くらいだったかな、そんな小さな子に親父は、「この車はジウジアーロデザインなんだ」と自慢げに話し、その話はいつも長かった。
ドアが二枚しかなく、後部座席に乗るには、シートを倒さなけばならなかったし、窓から顔も出せず、友達にバイバイも言えない狭苦しい車。
友達の家とは違う、不便で狭苦しいこの車で送られるのを成長とともに恥ずかしく、嫌に思っていた。
雨の日に、学校に送られた時などは、友達に見られる前にさっさと降りようにも、シートを倒さなければならない不便さに、へきへきした。
そういや入学前、幼稚園児くらいの時だろうか、自宅に着いて助手席で待っている時に、窓から顔を出し、何かを言おうとした際に、ドアのスイッチを手で押したか、踏んだかして、窓が上がり、首が挟まれ死にそうになったのも鮮明な記憶だ。
余談だが、あの頃のドアスイッチは、押すと上がる下がるの基準が統一されておらず、同じような事故が多くあり規制されたと記憶している。
とにかく、ドア二枚は嫌いだった。
少し成長し、ドアは四枚あるべきで、四枚ある車が良いと言ったこともある。
その他にも車はあったが、軽トラもドアは二枚だっし、今で言う足車は本田シビックだった訳で、こちらもドアは二枚。
四枚ドア買えやー!!!とは、言わなかったが、ドア二枚はもはや欠陥車だとさえ思っていたことに間違いはない。
その後、117クーペを買い替えることとなり、届いた車が「いすゞピアッツァ」、ドア二枚どころか、トランクらしき出っ張りさえ退化したのには出る言葉も無かった。
馬鹿野郎と思ったし、ドア二枚の車での送り迎えはずっと恥ずかしかった。
四枚ドアの車が良いと言う息子に、親父は「あれは人を乗せる車で、まるで運転手だ」と言っていた。
大人になってから、親父が初めて買った車がクラウンだったことを知った時は、あの話は何だったんだと騙された気分がした。
そんな俺は今、二枚ドア。親父が言っていた事も、考えも、車を選んだ気持ちさえも分かり、親子だと確かな実感さえある。
そんな記憶を蘇らせてくれる117クーペ、とてもセクシーだ。
良い出会いがあれば所有したいと思ってしまう。
なお、親父はまだ生きているし、かなり元気で、現役で仕事もしているので、ご心配ご無用。
これは、あの頃の親父をやっと理解出来たという息子の話。あの頃の親父より、今の俺は歳とっているがさ。
おしまい。
Posted at 2021/04/04 13:54:18 | |
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