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2011年11月02日 イイね!

Mercedes Benz C-Class DTM 2007 G.Paffett

Mercedes Benz C-Class DTM 2007  G.Paffett 2007年のメルセデスベンツCクラス。
2007年シーズンのモデルですが、ベース車は2006年モデル。
新型車デビューシーズンということで新型を使えるチームは限られているため、旧モデルも混走することになります。
とはいってもこのモデルのドライバーも一流のトップドライバー、
イギリス人レーシングドライバー、ゲイリー・パフェットです。
F1でもお馴染み、長年マクラーレン・メルセデスのテストドライバーを務めています。

カート時代からメルセデスの秘蔵っ子(メルセデスの育成プログラム出身)として注目株であったパフェット。
F1へのステップアップを目指し2004年からDTMにフルシーズン参戦。
2005年、エクストロームやシュナイダーを退け24歳にして早くもDTMのチャンピオンとなります。
チャンピオンとなった翌年、2006年はDTMを退きマクレーレン・メルセデスのテストドライバーに専念します。
この頃からすぐにF1に参入してくると思われていたパフェットですが、その後のマクラーレンはハミルトン、アロンソなどの加入などがありシートは開かず、F1デビューは断念。
再度、DTMで戦うことになるのですがこれがDTMに復帰したときのモデル。
2007年以降もわずかな差でタイトルを逃しているシーズンが多いのですが、常にシリーズランキング上位に名を刻む優秀なドライバーです。

そしてこのモデルで注目したいのはスポンサー。
艶消しの鮮やかなブルーでとてもかっこいいお気に入りのモデルですが、スポンサーはLaureus(ローレウス)。
ローレウス世界スポーツ賞(The Laureus World Sports Awards)は日本ではあまり馴染みのない名前ですが、ローレウスはスポーツの各分野で活躍した選手や団体を選出して表彰する、スポーツ界のアカデミー賞。
過去、日本人では柔道の野村忠さんが年間最優秀復帰選手としてノミネートされています。(受賞はならず)
表彰の部門は、年間最優秀男子選手、年間最優秀女子選手、年間最優秀チーム、年間最優秀成長選手、年間最優秀復帰選手、年間最優秀障害者選手、年間最優秀Xスポーツ選手などがあります。
一部ですが過去の受賞者を紹介すると、年間最優秀選手でテニスのラファエル・ナダルやロジャー・フェデラー、セリーナ・ウィリアムズ。スキーアルペンのリンゼイ・ボン。陸上のウサイン・ボルト、エレーナ・イシンバエワ。年間最優秀Xスポーツ選手ではスノーボードのショーン・ホワイト。
年間最優秀復帰選手ではMotoGPのバレンティーノ・ロッシなどなど広く名の知られた著名人が名を連ねます。

F1での受賞者を紹介すると、年間最優秀男子選手を2002年、2004年と2回受賞したミハエル・シューマッハ。
最優秀成長選手では、2002年ファンパブロ・モントーヤ、2008年ルイス・ハミルトン、2010年ジェンソン・バトン。
年間最優秀チームとして、2010年ブラウンGP。
そしてミカ・ハッキネンがローレウスのアカデミー会員となっています。
ブラウンGPは違うやろ~wwと思うところでこれは絶対に選定ミスですよねww
ホンダが開発したシャシーと最強のメルセデスエンジンを手に入れただけでは?
年間最優秀成長選手で選ばれているブラウンGPの速いマシンに乗っかっただけのバトンも選定ミスでは?
バトンは今年の活躍が目覚ましかったので、来年の受賞の方がふさわしいと思いますね。
ローレウスの中でも最も栄誉のある年間最優秀男子選手に選ばれたF1ドライバーは現在シューマッハのみ。
ベッテルは昨年ノミネートされるも落選。
2年連続チャンプで来年は間違いなく受賞となるでしょう。(これでも落選したらかわいそうとしか...)

そんなローレウス世界スポーツ賞。
いまだ受賞した日本人はいませんが、今後、受賞するスポーツ選手が出てくることに期待したいですね♪
最後にこのミニカーでルーフに描かれたローレウスのマーク。
見事にメルセデスのスリーポインテッドスターの形状とマッチしていているのがグッドです♪
Posted at 2011/11/02 20:35:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | ミニカーコレクション | 日記
2011年10月26日 イイね!

Mercedes Benz C-Class DTM 2007 M.Häkkinen

Mercedes Benz C-Class DTM 2007  M.Häkkinen2007年のメルセデスベンツCクラス。
全身カーボン柄でとてもカッコいいこのモデル、ドライバーはフライングフィン、北欧の貴公子、ミカ・ハッキネン。
言うまでもないですが1998年、1999年のF1ワールドチャンピオン。
日本人のファンも多く、絶大な人気を誇ったドライバーです。
今思い出してもすごかったと思えるオールマイティなドライバー。
F1引退後、DTMには2005年から2007年までの3年間参戦するのですが、勝利数はわずか3勝でチャンピオン争いに絡むこともできませんでした。
なぜにあれほどの速さを持っていたハッキネンが??と思うところですが、ドライビングテクニックだけでなく、ドライビングスタイル、マシン、チーム、そして何よりライバルよりも勝るモチベーション。
全てが噛み合わされないと勝てないのがモータースポーツの難しさといったところなのでしょう。
僕の中でハッキネンについては速さのイメージしかないので、F1時代のその速さについて紹介しましょう。

ミカ・ハッキネンと言えば全盛期のミハエル・シューマッハのライバル。
カート時代から腕を交えることになるのですが、両者のライバル関係はマカオF3で確実なものとなり、そしてF1へと続いていきます。
F1は1991年、ハッキネンのマネージメントを手掛けるケケ・ロズベルグの後押しもあってロータスからデビューするのですが、かつての名門は予選通過もままならないほどのどん底状態。
同年、ジョーダンからデビューして一気に飛躍したシューマッハとはとても対照的なF1デビューです。
1992年はチームメイトとしてむかえたジョニー・ハーバートとともに奮闘し、明らかに戦闘力が劣るマシンながらも上位争いに加わる速さをみせつけます。
そして1993年、速さが認められF1引退まで在籍することになるマクラーレンへ移籍。
当時のマクラーレンはセナとアンドレッティというラインナップ。
ハッキネンはテストドライバーとなるのですが、不調のアンドレッティはシーズン途中でアメリカに帰国。
ハッキネンが変わりにポルトガルGPから出走するのですが、いきなり予選でセナを上回るタイムをたたき出し注目を集めます。
さらに次戦の鈴鹿では3位表彰台に立ちハッキネンの能力を誰もが認めることとなります。

ホンダのF1撤退により最高のパートナーを失い苦戦することになったマクラーレン。
1993年はフォードエンジン、1994年はプジョーエンジン、そして1995年からはメルセデスがマクラーレンのパートナーとなります。
エンジンが変わり続けた3年間の間でもハッキネンは優勝争いに加わる速さをみせることもあったのですが、エンジンの信頼性不足が足を引っ張る形となり結果は残せず。
さらに1995年のアデレートで行われたオーストラリアGPでの最終戦。
予選アタック中、スローパンクチャーによりコントロールを失ったハッキネンは高速状態のままバリアに激突。
その衝撃で舌をかみちぎり瀕死の重傷を負います。
この時、選手生命も危ぶまれたのですが、ハッキネンは無事回復、後遺症も無く復帰を果たします。

1996年はウィリアムズから移籍してきたデビッド・クルサードとともに、マクラーレン・メルセデスの戦闘力を向上させていきます。
そして、Westカラーになりシルバー・アローとなった1997年、最終戦のへレスで初優勝を飾ります。
1998年はルノーエンジンを失ったウィリアムズが失速。代わって優勝争いをすることになったのはメルセデスとのパートナーシップを年々強化するマクラーレン、さらにシューマッハ率いるフェラーリ。
勝ち方を覚えたハッキネンは開幕から快進撃を見せ、シューマッハとの激闘の末、ハッキネンは初のタイトルを獲得。
1999年はシューマッハが負傷し戦線離脱。アーバインとタイトル争いをすることになるのですが、ここでも競り勝ちハッキネンは2年連続のタイトルを手にすることとなります。
シューマッハがいなくなっていきなり本性を見せたアーバインが盛り上げてくれたシーズンですが、イギリスF3時代のハッキネンのライバルであり同じフィンランド人のミカ・サロ(シューマッハの代役としてフェラーリ入り)が驚くほどの速さを見せた面白いシーズンでした。
マクラーレンは2000年、2001年と次第に失速、代わってシューマッハ&フェラーリ黄金期を迎えるのですが、そんな中ハッキネンは2001年限りでのF1引退を表明。
それを聞いて目が点になっていたシューマッハの表情が印象的でした。
ライバルを失ったシューマッハ、非常に残念に思ったことでしょう。
今思い返しても早すぎる引退。それ以後シューマッハの時代となるのですが、ここにハッキネンがいたら.....。

そんなハッキネンのヒストリーですが、ハッキネンと言えば何と言っても絶対的な速さ。
セナを予選で上回ったことからも分かる通りハッキネンは予選から見事に速さをみせます。
予選の一発を確実に決める冷静さと度胸。
マシントラブルなどで悪い結果となっても次では瞬時に気持ちが切り替えられているメンタル面の強さ。
チームからの信頼は絶対的なものがあります。
シューマッハのライバルとして数々の激戦を繰り広げましたが、信頼性のあるマシンに乗らせれば全盛期のシューマッハでも手におえないほどの速さ。
豪快な走りながらもタイヤのライフが長く、タイヤの壊れないぎりぎりのところで走ることができるテクニックを持っており、オーバーステアやアンダーステアが出た時の対応の早さ、ドライビングコントロールの柔軟性と体のセンサーの瞬発力は、当時のチーム代表であるロン・デニスをも驚かすほど。
まさに最強ドライバーというにふさわしいドライバーです。

1995年の生死をさまよった事故のことを書きましたが、その時、昏睡状態から目覚めた後の第一声が「オレのミスか?」だったと言われています。
普通であれば走ることへの恐怖心が先行しそうに思うところですが、なぜクラッシュしてしまったのかについて自問自答していたあたりにハッキネンの強さが見てとれます。
ここでもわかるメンタル面の強さ。どんなことがあっても、「また次があるさ」と切り替えられる柔軟性、苦しい時代を乗り越えながらも常に前向きだったハッキネン。
それを可能にしていたのは常に自分の腕を信じて疑わなかったからこそなせる技なのでしょう。

そんなハッキネンでも欠点があるとすればクリーンすぎる点でしょうか。
ワールドチャンピオンとなる人物、シューマッハやハミルトンは特にですが、彼らはルールで許される限界、それを超えてでも勝ちにいこうとします。
あのセナでも時にはそうだったし、アロンソも執念から強引さを見せるのでそのような面は無きにしもあらず。
しかし、ハッキネンは常にクリーンで常に正攻法。
シューマッハのようなずる賢さがあればもっと成功を収めていた可能性がありますが、ヒーロー的な印象がハッキネンの人気の理由でもありますね。
2度のワールドチャンピオン、しかしそれ以上の評価の高さを持つのがハッキネンの特徴。
とても好きなドライバーの1人です♪
Posted at 2011/10/26 20:03:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | ミニカーコレクション | 日記
2011年10月21日 イイね!

Mercedes Benz C-Class DTM 2007 B.Schneider

Mercedes Benz C-Class DTM 2007  B.Schneider今回は2007年のメルセデスベンツCクラス。
この年からメルセデスは新型シャシーを投入。
現行Cクラス、W204型がベースとなっています。
現在はマイナーチェンジでフェイスリフトされてますけどね。
スリーポインテッドスターをグリルに配置したアヴァンギャルドをベースとしたこの顔はかっこよすぎです♪
現行車ということでDTMミニカー紹介もようやく現代に。
もう少しで終わり?と思いきや、まだまだここからもミニカーはあるので紹介は大変ですww

カーナンバー1のこのマシン、ドライバーはミスターDTMことベルント・シュナイダー。
2006年、F1予備軍的なワールドクラスの腕を持った若手ドライバーが増え始めてきたころですが、その中でシュナイダーはベテランの力を見せつけ見事チャンピオンに返り咲きます。
これで通算5度目のDTMチャンピオン。ミスターDTMの名は伊達ではありません。
そして2007年、シュナイダーの2年連続チャンプなるか?!ということで始まったシーズンですが、この新型車両は完成度が低く苦戦を強いられます。
速さが足りず前年型のマシンに抜かれることもあるほど...。
最終的にはアウディに惨敗し、この年はマティアス・エクストロームがチャンピオンに返り咲きます。

そんな残念な戦績はいいとして、この年復活したオリギナルタイレーのカラーリング。
ベース車の押しの強いデザイン、さらにこのカラーリング、ミニカーでも迫力あります。
これはメルセデスディーラーモデルですが、ミニチャンプス製で文句なしの出来です。
シュナイダーといえばD2カラー、そしてVodafoneカラーでしたが、この年からシュナイダーはオリギナルタイレカラーに。
今までオリギナルタイレカラーとシュナイダーの組み合わせはなかったのでとても気に入っているモデルです♪
Posted at 2011/10/21 21:11:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | ミニカーコレクション | 日記
2011年10月13日 イイね!

Audi A4 DTM 2006 H.H.Frentzen

Audi A4 DTM 2006 H.H.Frentzen2006年のアウディA4。
R12 plusと名付けられた2006年モデルはエンジンが新開発されボディにも改良が施されています。
ミニカーでも空力デバイスの細かな改良が見てとれます。
ドライバーはデイモン・ヒルに続き、これまた大好きな元F1ドライバー、ハインツ=ハラルド・フレンツェン。
フレンツェンはミハエル・シューマッハ、カール・ベンドリンガーとともにメルセデス初のジュニアドライバーとして英才教育を受けたドライバー。
彼らは大ベテランのヨッヘン・マスと共にWSPCに参戦するのですが、この中で最も速いと言われていたのがフレンツェン。
しかし、順当にF1にステップアップしたシューマッハに対し、フレンツェンは運に恵まれず機会を逃します。
その後、フレンツェンが進んだのは日本でのレース。
フォルカー・ヴァイドラーが突発性難聴で急遽現役引退。
その代わりとして全日本F3000に参戦し森脇さんのもとで腕を磨くことになります。

そして1994年、遂にザウバーからF1に参戦。
ザウバー時代はジョニー・ハーバートを凌ぐほどの速さを見せ、1997年、最強チームであるウィリアムズ・ルノーへの移籍を果たします。
ウィリアムズはチャンピオンとなったデイモン・ヒルを放出。
ヴィルヌーヴのチームメイトとしてフレンツェンを加入させることになるのですが、この裏には、デイモン・ヒルへの契約金の問題、後にBMWと契約するためドイツ人ライバーを抱えておく必要があったこと、など様々な政治的駆け引きがあったと言われています。

1997年はイモラで初優勝。速さではヴィルヌーヴに劣りますが、タイトル獲得のためチームプレイにも協力。
シリーズランキング2位の記録を残します。(ほんとはシューマッハが2位でしたが、シューマッハは最終戦での卑劣な行為によりシリーズから除外され記録末梢の処分。)
1998年、ウィリアムズはルノーエンジンを失い低迷していくのですが、1999年、移籍したジョーダンでチャンピオン争いに加わるほどの活躍をみせます。
最終的にはミカ・ハッキネン、エディ・アーバインに続くシリーズ3位となるのですが、この年がフレンツェンのハイライト。2003年にF1から退き、2004年からDTMに参戦することになります。
2004年、2005年はオペルで参戦しますが、オペルが撤退したためアウディに移籍。
このミニカーはアウディに移籍した2006年のモデル。
スポンサーはドイツではとても有名なビールブランド、VELTINS。
このカラーリングとA4のマッチングがとても良く、気に入っている1台です♪
この年を最後にフレンツェンはDTMを引退します。

その後、ル・マン24時間耐久レース(ベンドリンガーとともにアストンマーチンDBS9で参戦)、
ニュルブルクリンク24時間耐久レース(自ら立ち上げたプロジェクトのグンベルト・アポロをハイブリッドカーに改造したレーシングカー、HHFハイブリッド・コンセプトで参戦)、
その他、スピードカーシリーズにも出場するのですが、2009年をもって完全に現役引退してしまいました。

森脇さんはじめ、チーム関係者にフレンツェンについて聞くと、誰もが「ナイスガイ」と答えると言います。
とにかくいいヤツ。
フレンツェンはいいヤツすぎてダメと言われるほどいいヤツなのですww
Posted at 2011/10/13 22:59:32 | コメント(1) | トラックバック(0) | ミニカーコレクション | 日記
2011年10月05日 イイね!

Mercedes Benz C-Class DTM 2006 D.Hill

Mercedes Benz C-Class DTM 2006  D.Hill2006年のメルセデスベンツCクラス。
ラウダに続いてF1色が濃いですが、ドライバーはデイモン・ヒル。
シルバーから赤色ベースとなったVodafoneカラーですが、この年ベルント・シュナイダーはカーナンバー2のこのマシンで3年ぶりのチャンピオンとなります。

その前になぜにDTMにデイモン・ヒル?!となるところですが、これも2004年のライコネンと同じくDTMテストドライブを行ったときのものです。
当時、ヒルがDTMに参戦するという噂も出たのですが実現はしませんでした。

デイモン・ヒルは1996年のF1ワールドチャンピオン。
1994年、セナ亡き後、急遽ウィリアムズのナンバー1ドライバーとしてチームを率いることになったヒル。
この年は終盤に連勝しシューマッハに1ポイント差にまで迫るのですが、最終戦でのシューマッハの卑劣な行為の前に敗れ、1995年はチームのミス、自身のミスが重なりまたもシューマッハに敗れます。
そして1996年、この年シューマッハはフェラーリ復権のためにフェラーリに移籍。
そのためヒルがチャンピオンとなることはシーズン前から確実視されました。
しかし、その前に立ちはだかったのがチームメイトとしてウィリアムズに加入したジャック・ヴィルヌーヴ。
ワールドチャンピオンであるグラハム・ヒルの息子と、フェラーリの伝説の英雄ジル・ヴィルヌーヴの息子。
夢のような2世ドライバー同門対決が実現します。
インディからの移籍で実力未知数のジャック・ヴィルヌーヴはF1参戦初レースにしてポール・ポジションを獲得。
デビューウィンはなりませんでしたが、4戦目にして初勝利を成し遂げます。
....ってジャック・ヴィルヌーヴの話じゃなかった...ヒルも大好きなドライバーですが、この頃のヴィルヌーヴも好きすぎましてww

ヒルとヴィルヌーヴの争いは最終戦の鈴鹿までもつれこみます。
しかし、チャンピオンとなる可能性を残していたヴィルヌーヴはコースアウトしリタイア。
その瞬間、ヒルのチャンピオンが決定。
レース後の夕焼けの鈴鹿。ジョージ夫人とデイモン・ヒルが抱き合うシーンが今でも記憶に残ります。
1997年は中堅チームのアロウズ・ヤマハに移籍しますが、この年は苦戦を強いられるも、ハンガロリンクで見せた強さ、最終戦へレスでの一発の速さが印象的。
その後ジョーダンに移籍し1998年はジョーダン・無限ホンダを初優勝に導くも、1999年はチームメイトとして加入したハインツ・ハラルド・フレンツェンの影に沈むことに....この年を持って現役を退きます。

アラン・プロストに非常によく似ていると言われるヒルのドライビングスタイル。
ウィリアムズのテストドライバー時代からマンセル、プロスト、セナらとチームを共にし、研究熱心なヒルは最強ドライバーである彼ら全ての走りを知っているのですが、目指したのはプロストの走り。
ドライビングはとても丁寧で、エンジンにも無理をさせず、タイヤへのトラクションのかけ方も常に適切。
そこから生み出される速さはジャック・ヴィルヌーブも驚くほどだったと言います。
戦闘力の低いチームでも時折見せる速さ、その瞬間「やっぱりすごい!」と思わせるカッコよさはヒルならでは。
父グラハムもイギリスの紳士を象徴するかのような人格と言われていますが、デイモン・ヒルのもふるまいもとても紳士的。人間的にもとても好きなドライバーです。
ミハエル・シューマッハが相手となると熱くなるところはありますけどねww

そして現在、ヒルの息子、ジョシュア・ヒルがフォーミュラ・ルノーに参戦しています。
将来楽しみなドライバーで、3世代F1ドライバー、3世代チャンピオンとなることに期待したいですね♪
動画はとても好きなレースのひとつ、戦闘力の劣るアロウズのマシンで健闘した1997年のハンガロリンク。
ギアボックストラブルで勝利は逃すのですがとても感動的なレースでした。
Posted at 2011/10/05 22:08:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | ミニカーコレクション | 日記

プロフィール

「生誕15周年 http://cvw.jp/b/248150/45742041/
何シテル?   12/28 09:14
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