
2009年のアウディA4。
この前のシェイダーのモデルは真っ黒なので確認しにくいですが、このモデルでは複雑な空力処理がはっきり見てとれます。
従来とは異なる位置から出る大径のエキゾースト出口、ドアノブなどの形状はなんとか残されているものの空気の流路を作るために大きくえぐりとられたリアドアパネル、そしてリアフェンダーにかけての奇抜なデザインが特徴。
レーシングカーのデザインでは、低車高化とエアダムでボディ下部(底面)に大量の空気が流れ込まないようにしますが、エアダクト内もそれほどの空気を必要としません。
ル・マンのLMカーのようにフロントの開口部を無くし、ボディ上部へ全ての気流を流すことができればベストですが、ツーリングカーのようなスクエアなボディではそれができず、かと言って空気の抵抗を受ける壁にするわけにもいきません。
そのため、フロントには大きく口のように開いたエアダクトを設け、車体内部へ一旦空気を流し込みます。
この気流は冷却にも用いられますが、そのほとんどは内部を通過するだけで中央で分断され、極力抵抗の少ない形で両サイドのドアパネル下から外へ放出される仕組みとなっています。そのためボディサイドの穴から中を覗き込むと内部はフォーミュラカーのように絞り込まれていることがわかります。
DTMでは年々この絞り込みが過激になり、単なる空気の通路ではなく空力の重要な役割を果たすようになってきたのですが、これをさらに進化させたのがアウディのこのR14。
フロントのエアダクトから入った空気はエキゾーストと合流してサイドから吐き出すようになっています。
従来のサイド出しマフラー出口はリアドアの下あたりにちょこんと目立たないような形で出ていましたが、このモデルでは前方へ移動。
さらにかなりの大径で車体の進行方向に真っすぐ向き、出口は逆スラッシュ形状に切られています。
フロントのエアダクトから流れ込んだ気流はエキゾーストの流れと合流しフロアからリアフェンダーへ。
フェンダー前部では上中下と3方向に気流は分割され、下段中段はリアのホイールハウス側面に流れます。
上に流れた気流はフェンダー上を登り、ドアに彫り込まれたラインで気流を逃がさないようにカバーされ、車体前方からくる気流と合流しフェンダー後端まで空気を導くようになっています。
さらにこの気流を利用してホイールハウス内のエア抜き効率を向上させ、エア抜きの気流でアウディのDTMマシンの特徴であるリアフェンダーの多段ウィングでダウンフォースを発生。と車体に受ける気流は全て無駄なく利用するようにデザインされています。
メルセデスのドアパネルもリアフェンダー部でえぐれが見られますがアウディほどではなく、またドアパネル下部から出てきた気流は整流板で車外にもらさないように整流しリアフェンダー前で再度内部に取り込ませる流れ、とコンセプトが異なります。
このシステムがどれほど効果的なのかはわかりませんがデザインの派手さはでは断然アウディですね。
このように斬新で奇抜なデザインがDTMマシンの魅力であったのですが、来シーズンはレギュレーションによってシンプルになってしまうのが残念ですね。
ということでこのモデルですが、ドライバーはデンマーク出身のレーシングドライバー、トム・クリステンセン。
ミスタール・マン、別名、優勝請負人とまで言われるドライバー。
トム・クリステンセンのキャリアスタートはそれほど早くはなく、カートデビューしたのは17歳の時。
そこから一気に実力を伸ばし、4年後の1991年にはドイツF3でチャンピオンとなります。
しかし、欧州では上位フォーミュラにステップアップすることはできず日本に渡ることになります。
日本では1993年に全日本F3でチャンピオンになり、全日本F3000(現フォーミュラニッポン)にステップアップ。
平行してJTCC(全日本ツーリングカー選手権)、JGTC(全日本GT選手権:現SUPER GT)にも参戦します。
1996年には日本を離れ国際F3000にステップアップ。
そして転機が訪れたのが1997年。
チーム・ヨーストからポルシェでル・マン24時間レースに参戦することになるのですが、ベテランのチームメイト(元F1ドライバーのミケーレ・アルボレートとステファン・ヨハンソン)の助けもあり初参戦にして総合優勝を成し遂げます。
この活躍で1998年はBMWル・マンチームのワークスドライバーに抜擢されます。
しかし、1998年、1999年はBMWからBMW V12 LMRで参戦し速さを見せるもリタイア。
この時期は、1998年にティレルのテストドライバー、1999年はBMW F1テストチームにも加わりミシュランタイヤのテストを行っています。
そして2000年から始まることになる信じられないような快進撃。
2000年にアウディR8で優勝するや立て続けに勝利を重ね、連勝は2005年まで続いてなんと6連勝!
この時期、アウディ(ベントレー含むVWグループ)に匹敵するメーカーが存在しなかった点にも助けられていますが、チームの移籍やタッグを組むドライバーが変わっても優勝してしまう点はまさに優勝請負人。
2008年も再度チーム・ヨーストのアウディR15 TDIで総合優勝とル・マン通算8勝。その他、2002年にはALMS(アメリカン・ルマン・シリーズ)のタイトルも勝ちとっています。
そんなとんでもない記録を持つクリステンセンですが、現在もル・マン24時間レースへの参戦を続けています。
そしてDTMですが、DTMはル・マンでのアウディとの繋がりもあり、アウディのDTMワークス復帰の2004年と同時にチーム・アプトから参戦。
タイトルは獲得できませんでしたが、シリーズランキングは2005年と2006年に3位を記録しています。
この2009年モデルですが、ボンネットにはトム・クリステンセンのイラストが描かれており、そこには「Danke Tom(ありがとう、トム)」の文字。
2009年を最後にDTMを去ることになったトム・クリステンセン。このモデルはDTMラストレースのために用意された1戦のみの特別モデルです。
偉大なるドライバーのDTM引退、ファンに惜しまれつつDTMを去ることになります。
しかし、2011年。
第2戦のザントフォールトで優勝も記録していたアウディのDTMドライバーであるマイク・ロッケンフェラーがル・マン24時間レースでクラッシュ。
これにより負傷したロッケンフェラーは第4戦ユーロスピードウェイでのレースを欠場することになるのですが、その代役として抜擢されたのはなんとトム・クリステンセン。
1年ぶりにDTMに復帰してファンを沸かせました。
このような時にオファーがあるのはすごいことですし、復帰は良いことだと思うのですが....。
このモデルの存在意義っていったい??...ww