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2011年10月02日 イイね!

Mercedes Benz C-Class DTM 2006 M.Lauda

Mercedes Benz C-Class DTM 2006 M.Lauda2006年のメルセデスベンツCクラス。
ドライバーはマティアス・ラウダ。
ラウダといえばニキ・ラウダ。
マティアス・ラウダはニキ・ラウダの息子です。
誕生日は1981年1月30日とのことで僕が生まれる3日前ですww

ニキ・ラウダは一度離婚していますが、マティアスは最初の奥さんとの間の次男。
長男ルーカスはマティアスの活動をサポートをしていました。
ニキ・ラウダは2人目の奥さんとの間に還暦にして双子の子が生まれたと報じられていましたね。
さらにその他に未婚の相手との子も1人いたりします。
両親の離婚後、マティアスは母親と生活する事になるのですが、母親はレーシングドライバーになることにひどく反対したそうです。
その理由は、ニキ・ラウダが不死鳥と言われる由縁である1976年のニュルブルクリンクでの事故。
息子には絶対にあのような目に合わせたくないと思ったのでしょう。
それでもマティアスはレーシングドライバーへの道を歩みます。

マティアス・ラウダが初めてトップカテゴリーに参戦したのは2005年。
国際F3000に代わり新設されたGP2シリーズに参戦します。
注目は、時を超えたF1ワールドチャンピオンの2世対決。
GP2初代王者に輝いたのはケケ・ロズベルグの息子、ニコ・ロズベルグ。
そして1勝を記録したネルソン・ピケ2世、ネルソン・ピケJr.ことアンジェロ・ピケ。
(ピケJr.は2006年のGP2ではハミルトンとチャンピオン争いを繰り広げる活躍。)
それに続くのはニキ・ラウダの息子、マティアス・ラウダか?!
.....と思いきやマティアスはシリーズ21位...。
つまり....2世ドライバーと言えど言うほどの速さはもっていないということです。
2006年から2009年までDTMに参戦しますが、毎年シリーズランキング15位前後と目立った活躍もなく
最近はポルシェのワンメイクレースなどに参戦しているようです。

ということでさほどトピックスがないのですが、こうなると書きたくなるのがニキ・ラウダについて。
しかし、こんなところでラウダのレーシングヒストリーを書き表せるはずがありません。
興味のある方は8beatさんが紹介しているこちらをお読みくださいww
下記はニキ・ラウダをまとめた動画になっています。
Posted at 2011/10/02 21:04:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | ミニカーコレクション | 日記
2011年10月01日 イイね!

Opel Vectra GTS V8 DTM 2005 M.Reuter

Opel Vectra GTS V8 DTM 2005  M.Reuter 2005年のオペル ベクトラ。
ドライバーはマヌエル・ロイター。
名実ともにオペルのエースとして君臨した、ドイツではとても有名なレーシングドライバーです。

ドイツF3を経てツーリングカーの世界に踏み込むのですが、1987年、DTM参戦2年目にしてシリーズ2位の活躍で名を広めます。
その後、1989年にはル・マンに参戦し、メルセデスの名車、ザウバー・メルセデスC9で見事総合優勝。
一旦DTMからは離れ、ル・マンやIMASAで走ることになるのですが、1994年再びDTMに戻りオペルから復帰。
旧DTM(ITC)最終年の1996年、オペル・カリブラで、前年チャンピオンのメルセデス、シュナイダーに競り勝ち、ついにタイトルを獲得します。
そして2000年以降の新DTMとなってからもオペルから参戦。
しかし、新DTMでのオペルの戦闘力は低く苦戦を強いられ、2005年にオペルがDTMから撤退するとともにロイターも引退しました。

このミニカーのスポンサーはValvoline。
エンジンオイルメーカーですが、昔のF1やレーシングカーを知る人にはお馴染みでしょう。
そしてボディサイドにはOPCの文字が見られます。
オペル・パフォーマンス・センター。
これはオペルのモータースポーツ部門でスバルのSTiのような存在です。
現在もロイターはオペルの一員としてOPCに在籍しており、「オペルもDTMのレギュレーション変更とともに2012年にDTMに復帰すべきだ」と語っていました。
オペル復帰の可能性は今のところ無いに等しいですが、オペルもいつかは復帰して昔のような活躍を見せてくれるとうれしいですね。

下記動画は1996年、チャンピオンとなったロイターをまとめたものになっています♪Cliffカラーが渋い!
Posted at 2011/10/01 10:38:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | ミニカーコレクション | 日記
2011年09月28日 イイね!

Audi A4 DTM 2005 A.Mcnish

Audi A4 DTM 2005 A.Mcnish2005年のAudi A4。
ドライバーはF1好きにはお馴染み、スコットランド人のレーシングドライバー、アラン・マクニッシュ。
1990年からマクラーレンのテストドライバーを務め、その後、ベネトンのテストドライバーを経て2001年にはトヨタのテストドライバーとなり、2002年にようやくトヨタのF1、フルシーズン参戦のシートを手にします。
しかし、戦績は振るわずシートを失い、F1から去ります。

ですが、マクニッシュが結果を残しているのはF1ではなくル・マン。
1998年はローレン・アイエロ、ステファン・オルテリとともにポルシェ911GT1で総合優勝。
2000年以降はアウディのワークスドライバーとして活躍し、2008年に2度目の優勝を飾っています。
2005年の1年だけDTMに参戦しているのですが、これはその時のモデルということになります。
スポンサーはシーメンス。電子、電気、医療、をはじめインフラなど何でも手がけるドイツの巨大企業ですね。

最近のマクニッシュのニュースといえば今年2011年のル・マン24時間レースでの大クラッシュ。
マクニッシュのドライブするアウディR18はダンロップカーブでフェラーリ458と接触。
2台とも高速状態のままコースをはずれ、アウディはタイヤバリアに激突します。
ものすごいクラッシュで爆発と言っていいほどの破片の飛び散りようです。
バリア近辺にいたマーシャルやカメラマンに飛び散った破片が降りそそぐのですが奇跡的にも負傷者はなし。
マクニッシュもその後、原型をとどめていないR18から自力で脱出。ケガもなく奇跡の生還を果たしました。
観客席のフェンスまでわずか5m。
マシンの飛ぶ方向がわずかに違っていれば1955年のメルセデス300SLの再来ともなっていた大クラッシュ。
そして、モニターを見つめるアウディ・スポーツの責任者ヴォルフガング・ウルリッヒ。
マクニッシュがマシンから出てきた瞬間を見て安堵したウルリッヒの表情が印象的です。
最悪の状況を覚悟していたのでしょうね。
下記動画ではその一連の様子がコンパクトにまとめられています。
Posted at 2011/09/28 21:00:27 | コメント(1) | トラックバック(0) | ミニカーコレクション | 日記
2011年09月25日 イイね!

Opel Vectra GTS V8 DTM 2005 L.Aiello

Opel Vectra GTS V8 DTM 2005  L.Aiello2005年のオペルベクトラ。
2004年のPLAYBOYカラーのベクトラを紹介しましたが、これは2005年モデルです。
ドライバーも同様、ローレン・アイエロ。

これはアイエロのDTM引退記念モデルでフィギュア付きモデルとなっています。
(別にフィギュアはなくてよいと思うのですが...)
引退記念ということでカラーリングはオリジナル。
ボンネットには「メルシー、ローレン!」の文字とアイエロの姿が描かれています。
素晴らしいドライバーであったことを物語っていますね。

2005年限りでオペルはDTMから撤退。
それと合わせるかのようにアイエロもレース界を去りました。
この時アウディもDTMを辞めるという噂が出始め、DTMはまたも消滅の危機を迎えるのですが、アウディはなんとか踏みとどまり今に至ります。

アイエロはル・マンやツーリングカーで成功を収めたドライバーですが、元々はもちろんフォーミュラドライバー。
1990年のマカオF3というとシューマッハとハッキネンの激闘が有名ですが、そのときこの2人に続く速さを見せていたのがアイエロ。
同年代のF3にはミカ・サロやエディ・アーバインもいるのですが、彼らを上回る速さを持っていたそうです。
しかし、F3000の戦績は振るわず、ツーリングカーレースへの道を歩むこととなります。
F1ドライバーになることはありませんでしたが、BTCC、STW、DTMでのタイトル獲得。
さらにル・マン24時間耐久レースでの総合優勝と十分すぎる結果を残したドライバーですね。
Posted at 2011/09/25 18:19:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | ミニカーコレクション | 日記
2011年09月24日 イイね!

Mercedes Benz C-Class DTM 2005 B.Schneider

Mercedes Benz C-Class DTM 2005 B.Schneider 2005年のメルセデスベンツCクラス。
ドライバーはミスターDTMことベルント・シュナイダーです。
何度もシュナイダーについて書いてるので割愛...ww
(まだまだシュナイダーのモデルありますから...)

ということでまたまたスポンサーですが、このシュナイダーの車両のスポンサーはVodafone。
Vodafoneはイギリスに本社を置く多国籍携帯電話事業会社。
数年前、日本テレコムを買収し日本市場に参入してきたことで日本でもお馴染みですね。
今はその株を約1.8兆円という額でソフトバンクに売り払い、日本からVofafoneは消えましたが、ソフトバンクとは今でも提携関係にあるそうです。

2000年以降、DTMで象徴的であったD2カラーがVodafoneへと変化していくことにになります。
2000年、VodafoneはD2ネットワークを持つ複合企業、マンネスマンAGを買収。
これは世界的にももっとも大きな取引の1つで、ドイツ初となる外国資本による敵対買収と言われています。
(マンネスマンがイギリスのオレンジグループを買収したことが発端。オレンジグループと競争関係にあったVodafoneは喧嘩を売られたと思いマンネスマンの敵対買収に打って出る戦争のような買収劇)
Vodafoneが買収した後、マンネスマンの事業は分割されてそのほとんどは売却されたそうです。
とにかくドイツの携帯電話市場参入のためD2のネットワークが欲しかったのでしょう。

そういった流れで2002年からDTMのタイトルスポンサーはVodafoneとなり、2007年までDTMを支えます。
(ちなみに1995年、1996年の旧DTMではマンネスマン。2000年、2001年はマンネスマンの固定電話会社であったAircorと携帯電話事業のD2がタイトルスポンサー。)
F1ではマクラーレンの主要スポンサーとなっており、サイドポンツーンにVodafoneのロゴが見られます。
Vodafoneのマクラーレンへの投資額は相当なものでしょう。
タバコ広告規制によりドイツのWest(タバコブランド)からイギリスのVodafoneへ。
メルセデスGPの誕生によりマクラーレンとメルセデスのパートナーシップは若干薄れ、さらに、バトンとハミルトンのブリティッシュコンビでイギリス色が濃くなったマクラーレンですが、それはスポンサーからも見て取れるということです。
Posted at 2011/09/24 13:58:13 | コメント(0) | トラックバック(0) | ミニカーコレクション | 日記

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