
写真はシド・ワトキンス博士の著書「F1一瞬の死 F1専属医が見た生と死の軌跡」。
学生のころにF1に夢中になり、最も歴史で勉強したのは、日本史でも世界史でもなく、F1の歴史であると自身を持って言えるDELTAですが、当時はパソコンを持っておらず、昔のF1の知識を得るすべは書店か図書館にしかなく、F1に関する本を読みあさる毎日。
今思い返しても頭おかしいとしか思えないF1バカ学生です。
この本は、当時定期購読していたF1速報誌「AS+F」で発売告知されていたのですが、この著書の紹介内容を見た瞬間、「これは読みたい!」と思って予約してまで買った物です。
1970年代後半からF1の医療現場に携わってきた脳神経外科医のシド・ワトキンス。
多くのF1ドライバーが彼の手によって救われ、またF1ドライバーととても親密な関係にあったF1専属医です。
サーキットの医療体制が全く整っていなかった時代、多くの若いドライバーが事故により亡くなりました。
医師団は揃ってはいても、それに対して不安を抱くドライバーも多く、蘇生術をもった専属医を個人で雇っていたドライバーも珍しくなかったそうです。
事故に対する考えも、各サーキットや国で異なり、メディカルセンターの設備も不十分で救護体制もルール化されていませんでした。
今ではF1を開催するサーキットは、メディカルセンターや医療体制についてFIAの規定で事細かに決められており、常設のメディカルセンターがあることは当然で、最新の医療設備が備わっています。
この今日の体制を築くのに大きく貢献したのがシド・ワトキンスで、彼がいなければサーキットの安全性はここまで向上していなかったでしょう。
この著書には、シドが携わったF1ドライバー救命の全容を始め、各サーキットで医療体制を整えていく上で、F1界の超大物、バレストルやエクレストン、モズレーとのやりとりも出てくるのですが、彼らのユーモアのある会話はまるでコメディのようでとても面白い内容となっています。
そして、ロニー・ピーターソン、ジル・ヴィルヌーヴ、リカルド・パレッティ、ローランド・ラッツェンバーガー、そしてアイルトン・セナを襲った悲劇の事故。
その他、多くのF1ドライバーの紹介もされており、1970年代の錚々たるメンバー、アンドレッティ、シェクター、ロイテマン、ハント、ラウダ、ヴィルヌーヴ。80年代のプロスト、マンセル、ピケ、ベルガー。
そこから、1990年代を代表するミカ・ハッキネンやミハエル・シューマッハ、デイモン・ヒルなどなど。
たくさんのF1ドライバーとの会話や出来事が書かれています。
そして1994年5月1日。呪われたサンマリノでの出来事も克明に記されています。
シドがF1ドライバーの中で、最も仲が良く家族のような付き合いをしていたのがアイルトン・セナ。
セナはF1の安全性のみでなく、医療に対しても強い関心を示し、今思うとその行動は異常なほどだったとシドは言います。
サンマリノGP、金曜のフリー走行では、バリチェロが死亡しておかしくないような速度で離陸し大クラッシュ。
バリチェロは奇跡的に軽症で済みますが、翌日の予選ではローランド・ラッツェンバーガーがクラッシュし死亡。
ラッツェンバーガーのいる病院に誰よりも早くかけつけ、誰よりもラッツェンバーガーの死を悲しんだセナ。
セナのF1デビューは1984年。
1982年以来、F1ドライバーの死亡事故は発生していなかったので、これがセナにとって初めて死に直面する瞬間だったのです。
この日、セナが「もうレースをやめたい」と恋人に電話で漏らしていたという記録が残っています。
翌日、皆がラッツェンバーガーの死の悲しみに暮れる中、予定通りサンマリノGP決勝レースがスタート。
しかし、スタートでJ.J.レートとペドロ・ラミーが絡む事故が発生し、セーフティーカーが入ります。
(この事故の時に飛んだパーツの破片で観客数人が負傷。さらにレース中、ミナルディのタイヤが外れ、メカニックが負傷する事故も起こっています)
ひどいクラッシュでしたが赤旗中断はされずセーフティーカー導入。
その後、レースが再開されるのですが、シドはメディカルカーの中で急に悪い予感にさいなまれ「とんでもないひどい事故が起きそうな気がする!」と叫んだそうです。
その直後、タンブレロであの悪夢の事故が発生し、シド・ワトキンスの乗ったメディカルカーが現場に急行するのですが、その時、シドはクラッシュしたのはセナだということがなぜかわかっていたそうです。
幾度もの栄冠を手にしたセナ。もう無理に走る必要もなかったのに...。
シドはその前日の病院でセナに、「明日の決勝レースは走らずに今日限りで引退したらどうだ?」と引退をすすめました。
セナの返答は「逃げられない」。
「シド、世の中にはコントロールできないこともあるんだ。やめることなんてできないし、続けなければならない」
それがセナとシドの最後の会話だったそうです。
昨年、公開されたアイルトン・セナのドキュメンタリー映画、「音速の彼方へ」でも、セナのある言葉が記録されています。
1990年のへレスでの予選、マーティン・ドネリーがクラッシュし、ドネリーはマシンの外へ投げ出され、モニターに映し出されたその衝撃的な映像に各チームのピットは凍りつきます。
セナは吸い寄せられるかのように現場に向かいます。
負傷したドネリー、そしてその医療現場の光景を目の当たりにし、もうやめたいと思いながらも、その後、その恐怖を振り払うかのように全力でアタックしポールを獲得。
常に恐怖と対峙し、葛藤し、それでも全力で走ることが答えと信じ、攻め続けたセナ。
「恐怖のために、目標、夢、情熱を捨てるなんてことはできない。これが僕の人生」
セナの人生の全てがこの言葉に凝縮されているように思いますね。
セナの死後、F1の安全性は全面的に見直され、あれ以来F1ドライバーの死亡事故は発生していません。
しかし、いくら車体の安全性が向上したといっても、レースは常に死と隣り合わせ。
それは、サーキットの走行会、一般道のドライブもしかり。
クルマは便利で楽しい乗り物ですが、事故から目を背けてはならず、事故の可能性は常に意識しておく必要がありますね。
ということで長くなりましたが、元F1専属医シド・ワトキンスの紹介でした。
映画「音速の彼方へ」はセナについて、著書「F1一瞬の死」は死について。
どちらも心を打たれるもので、一見(一読)の価値ありです。