
2007年のメルセデスベンツCクラス。
全身カーボン柄でとてもカッコいいこのモデル、ドライバーはフライングフィン、北欧の貴公子、ミカ・ハッキネン。
言うまでもないですが1998年、1999年のF1ワールドチャンピオン。
日本人のファンも多く、絶大な人気を誇ったドライバーです。
今思い出してもすごかったと思えるオールマイティなドライバー。
F1引退後、DTMには2005年から2007年までの3年間参戦するのですが、勝利数はわずか3勝でチャンピオン争いに絡むこともできませんでした。
なぜにあれほどの速さを持っていたハッキネンが??と思うところですが、ドライビングテクニックだけでなく、ドライビングスタイル、マシン、チーム、そして何よりライバルよりも勝るモチベーション。
全てが噛み合わされないと勝てないのがモータースポーツの難しさといったところなのでしょう。
僕の中でハッキネンについては速さのイメージしかないので、F1時代のその速さについて紹介しましょう。
ミカ・ハッキネンと言えば全盛期のミハエル・シューマッハのライバル。
カート時代から腕を交えることになるのですが、両者のライバル関係はマカオF3で確実なものとなり、そしてF1へと続いていきます。
F1は1991年、ハッキネンのマネージメントを手掛けるケケ・ロズベルグの後押しもあってロータスからデビューするのですが、かつての名門は予選通過もままならないほどのどん底状態。
同年、ジョーダンからデビューして一気に飛躍したシューマッハとはとても対照的なF1デビューです。
1992年はチームメイトとしてむかえたジョニー・ハーバートとともに奮闘し、明らかに戦闘力が劣るマシンながらも上位争いに加わる速さをみせつけます。
そして1993年、速さが認められF1引退まで在籍することになるマクラーレンへ移籍。
当時のマクラーレンはセナとアンドレッティというラインナップ。
ハッキネンはテストドライバーとなるのですが、不調のアンドレッティはシーズン途中でアメリカに帰国。
ハッキネンが変わりにポルトガルGPから出走するのですが、いきなり予選でセナを上回るタイムをたたき出し注目を集めます。
さらに次戦の鈴鹿では3位表彰台に立ちハッキネンの能力を誰もが認めることとなります。
ホンダのF1撤退により最高のパートナーを失い苦戦することになったマクラーレン。
1993年はフォードエンジン、1994年はプジョーエンジン、そして1995年からはメルセデスがマクラーレンのパートナーとなります。
エンジンが変わり続けた3年間の間でもハッキネンは優勝争いに加わる速さをみせることもあったのですが、エンジンの信頼性不足が足を引っ張る形となり結果は残せず。
さらに1995年のアデレートで行われたオーストラリアGPでの最終戦。
予選アタック中、スローパンクチャーによりコントロールを失ったハッキネンは高速状態のままバリアに激突。
その衝撃で舌をかみちぎり瀕死の重傷を負います。
この時、選手生命も危ぶまれたのですが、ハッキネンは無事回復、後遺症も無く復帰を果たします。
1996年はウィリアムズから移籍してきたデビッド・クルサードとともに、マクラーレン・メルセデスの戦闘力を向上させていきます。
そして、Westカラーになりシルバー・アローとなった1997年、最終戦のへレスで初優勝を飾ります。
1998年はルノーエンジンを失ったウィリアムズが失速。代わって優勝争いをすることになったのはメルセデスとのパートナーシップを年々強化するマクラーレン、さらにシューマッハ率いるフェラーリ。
勝ち方を覚えたハッキネンは開幕から快進撃を見せ、シューマッハとの激闘の末、ハッキネンは初のタイトルを獲得。
1999年はシューマッハが負傷し戦線離脱。アーバインとタイトル争いをすることになるのですが、ここでも競り勝ちハッキネンは2年連続のタイトルを手にすることとなります。
シューマッハがいなくなっていきなり本性を見せたアーバインが盛り上げてくれたシーズンですが、イギリスF3時代のハッキネンのライバルであり同じフィンランド人のミカ・サロ(シューマッハの代役としてフェラーリ入り)が驚くほどの速さを見せた面白いシーズンでした。
マクラーレンは2000年、2001年と次第に失速、代わってシューマッハ&フェラーリ黄金期を迎えるのですが、そんな中ハッキネンは2001年限りでのF1引退を表明。
それを聞いて目が点になっていたシューマッハの表情が印象的でした。
ライバルを失ったシューマッハ、非常に残念に思ったことでしょう。
今思い返しても早すぎる引退。それ以後シューマッハの時代となるのですが、ここにハッキネンがいたら.....。
そんなハッキネンのヒストリーですが、ハッキネンと言えば何と言っても絶対的な速さ。
セナを予選で上回ったことからも分かる通りハッキネンは予選から見事に速さをみせます。
予選の一発を確実に決める冷静さと度胸。
マシントラブルなどで悪い結果となっても次では瞬時に気持ちが切り替えられているメンタル面の強さ。
チームからの信頼は絶対的なものがあります。
シューマッハのライバルとして数々の激戦を繰り広げましたが、信頼性のあるマシンに乗らせれば全盛期のシューマッハでも手におえないほどの速さ。
豪快な走りながらもタイヤのライフが長く、タイヤの壊れないぎりぎりのところで走ることができるテクニックを持っており、オーバーステアやアンダーステアが出た時の対応の早さ、ドライビングコントロールの柔軟性と体のセンサーの瞬発力は、当時のチーム代表であるロン・デニスをも驚かすほど。
まさに最強ドライバーというにふさわしいドライバーです。
1995年の生死をさまよった事故のことを書きましたが、その時、昏睡状態から目覚めた後の第一声が「オレのミスか?」だったと言われています。
普通であれば走ることへの恐怖心が先行しそうに思うところですが、なぜクラッシュしてしまったのかについて自問自答していたあたりにハッキネンの強さが見てとれます。
ここでもわかるメンタル面の強さ。どんなことがあっても、「また次があるさ」と切り替えられる柔軟性、苦しい時代を乗り越えながらも常に前向きだったハッキネン。
それを可能にしていたのは常に自分の腕を信じて疑わなかったからこそなせる技なのでしょう。
そんなハッキネンでも欠点があるとすればクリーンすぎる点でしょうか。
ワールドチャンピオンとなる人物、シューマッハやハミルトンは特にですが、彼らはルールで許される限界、それを超えてでも勝ちにいこうとします。
あのセナでも時にはそうだったし、アロンソも執念から強引さを見せるのでそのような面は無きにしもあらず。
しかし、ハッキネンは常にクリーンで常に正攻法。
シューマッハのようなずる賢さがあればもっと成功を収めていた可能性がありますが、ヒーロー的な印象がハッキネンの人気の理由でもありますね。
2度のワールドチャンピオン、しかしそれ以上の評価の高さを持つのがハッキネンの特徴。
とても好きなドライバーの1人です♪