
日本でもリゾート地として有名なモルディブは、
1,192個(!)もの島々から構成されるのだとか。
そんなにたくさんあるのかと驚くと同時に、「
いい国(1192)作ろう鎌倉幕府」ではなくなった代わりに「島々が
いい国(1192)モルディブ」と覚えやすくもありますね。
あっそうそう。そう振っておいてなんですが、モルディブの島の数に驚いた貴方、でも
日本には14,125個(!!!)の島があるのですよ。世界有数の多島海国家、日本。
さて、そんな小ネタから入りつつ、モルディブからさらに南のインド洋のど真ん中に、
チャゴス諸島というところがあります。
チャゴス諸島?
そう、スピットファイアを載せたコンテナ船が、ロドリゲス島の傍を通った後、ちょうどチャゴス諸島近海を通過中なのです。British Indian Ocean Territory (イギリス領インド洋地域)と書かれているところが、チャゴス諸島です。
このチャゴス諸島には18世紀後半から入植が始まり、20世紀半ばには2000人程の住民が住んでいたそうです。その当時、
英領モーリシャス(植民地)がチャゴス諸島の自治権を持っていました。気候も平穏で農産物が豊富に採れたため村は繁栄し、学校や病院、教会、鉄道も整備され、生活に困ることはなかったそうで、
「夢の島」と形容されることもあったようです。
現在のチャゴス諸島は
イギリス領となっていて、夢の島だったはずの島には
一般住民は誰も住んでいません。今は、かつての居住地に廃墟が残るのみです(以下はプランテーション跡地)。
そこには複雑な背景があるようなのです。ちょっと勉強したので、今日は少しその話について。
まず、現在の
モーリシャスは独立国ですが、マダガスカル島の東側にある諸島からなる国です。前回のブログで書いたところですね。
チャゴス諸島は地理的にはモルディブに最も近いと思いますが、植民地時代に
モーリシャスと一緒に統治された関係でモーリシャスとの繋がりが強いようです。
1965年にモーリシャスがイギリスから独立する条件として、チャゴス諸島を分離して
イギリスに残す密約が交わされたのだそうです。合わせて、400万英ポンドの支払いも行われたのだとか。
400万英ポンドは、イングランド銀行提供するインフレ率計算機で計算すると、現在の価値で6751万英ポンド相当となるので、約132億円となります。領海の広さを考えると足下を見られてかなり安く買い叩かれたのでしょう。
この密約の背後には、イギリスによるモーリシャスへの
脅迫があったそうで、モーリシャスの自発的意思とは考えられていないようです。
分離されたチャゴス諸島は
現在もイギリス領のままです。この密約が交わされた同時期に、イギリスはアメリカとも交渉を行っていて、一番大きな島ディエゴガルシア島に後に
アメリカ軍基地が作られることになります。密約のあった翌年の1966年から50年間、アメリカの軍施設として使われることとなり、その後に20年延長され、今現在もそれが続いています。
下の写真は現在のディエゴガルシア島です。
滑走路が見え、軍事施設も確認できますね。環礁の内側にある巨大な礁湖は、艦船を荒波から守る安全な天然の避泊地として利用されているようです。たくさんの船舶が見えますが、全部軍用なのでしょう。
大きな出来事を時系列的に並べるとそうなるわけですが、冷戦下にあった
アメリカがインド洋に軍事基地を欲しがった方が先のようです。アメリカがイギリスに働きかけて、モーリシャスとの密約を取り付けさせたのでしょう。1961年は、アメリカ海軍の提督が、チャゴス諸島を調査のため訪れていることがわかっているそうです。イギリスは、アメリカに土地を租借する見返りとして、
ポラリス(核兵器)をアメリカから1,100万ポンドの値引きを受けて供与してもらったそうです。
アメリカはさらに、ディエゴガルシア島に基地を作るにあたって、チャゴス諸島の
全住民を追放することを望んだそうで、実際にすべての住民が
強制移住させられました。時期は資料によって揺らぎがあって、1968~74年だったり、1968~73年だったり、1967~71年だったりしますが、アメリカに租借してすぐのことです。
そのやり口はかなりひどかったようで、退去命令を出して
物資輸送の禁止から始まり、それでも残ろうとする住民に対して、約1000匹の
犬の見せしめ殺戮、すし詰めで船に乗せ一時的にセーシェルの
刑務所に収監、住居も仕事も用意せずにモーリシャスのインフラのない
放棄地に連行したのだとか。
植民地意識があったせいなのか知りませんが、よくもそんなことがまかり通ったものだと思います。そんなに昔の話ではないのですけどね。
住民を追放したかったのは、軍事施設や滑走路の建築、その後の24時間軍事運用で生じる騒音・落下物などの諸問題に対して、
住民の反対を気にする必要がないことを望んだためのようです。
そのディエゴガルシア島に造られた基地からは、1991年湾岸戦争でのイラクへの爆撃、2001年アフガニスタン空爆、2003年イラク戦争の爆撃が行われたそうです。アメリカが中東に軍事的影響力を与える拠点となっているわけです。また、この基地の
孤立性・秘匿性の高さから、CIAが"
black site"として利用しているという話もあるようです。
https://www.theguardian.com/world/2014/apr/13/cia-black-site-diego-garcia-uk-role
そして今現在も、重要戦略拠点としてステルス戦略爆撃機等が配備されています。空中給油機とセットでの運用で、いつでも爆撃できるぞと目の前で構えているわけです。
軍用艦が泊まる港もあり、そこを母港とする潜水艦もあるそうです。
Googleマップでアップで見てみると、4000m級の滑走路の近くに駐機している軍用機が少ないような‥‥
港に停泊している船に明らかな軍用艦はないような‥‥
Googleマップの衛星写真では、礁湖の中にもほとんど船が写っていないので、写真を選んでいるのか、加工しているのかも。
居住区を見ると、日本の低層の団地っぽい集合住宅が、基地の人の住まいなのでしょう。レストランや宿泊施設、テニスコートに野球場なんかもあるようです。
そんなチャゴス諸島ですが、元住民たちが帰島を願って活動してきた歴史があるようです。
これまでに、
・イギリス国内での
旧島民による訴訟、
・その違法性ありの判決の
枢密院による揉み消し、
・生活基盤を作らせないための
海洋保護区指定による島民帰還阻止の土俵作り、
・モーリシャスによる国際司法裁判所提訴とイギリスへの
統治終了勧告、
等を経て、ようやくつい
先日の5月22日に、イギリスとモーリシャスの両国が
チャゴス諸島の主権をモーリシャスに移譲する合意文書に調印したそうです。
元住民の活動は今現在も続いているようですが、詳しくは調べられていません。
コンテナ船が通ることでたまたま調べただけなのですが、偶然にもチャゴス諸島が
極めて重要な歴史的転換点を迎えているところだったということです。これは、米英のみならず西側諸国にとってそれなりに大きなニュースにも思えますが、日本ではまったくニュースになっていませんね。そもそも、このインド洋の島の存在すらあまり知られていないでしょう。
なお、昨年10月3日の両国の合意により、ディエゴガルシア島にある軍事基地は引き続き維持され、イギリスによる
99年間の運用が認められることとなっています。軍事基地の重要性が変わるわけではないので、そこが折り合いを付ける限度だったのでしょう。ただし、イギリスは年間1億100万ポンド(約190億円)のリース料をちゃんとモーリシャスに支払うそうです。
関連して、日本も従順に在日米軍駐留経費の負担ばかりしていないで、アメリカに米軍基地のための土地リース料を請求したらどうですかね。横田だけでも相当なもんなんじゃないですかね。不動産屋のトランプさんなら、主張の合理性は理解するんじゃないかな。うんとは言わないだろうけど、最初にハッタリをかましておくと落としどころで得をすると考えていらっしゃるようなので、こっちもやったらいかが?
チャゴス諸島はモーリシャスに返還されることにはなりましたが、
実際問題、住民帰還は叶うのでしょうかね?
ディエゴガルシア島は特別だとしても、それ以外の島々についても、もしかすると海洋保護区指定がされているために生活基盤を築く術がなくて、何も手出しができないのかもしれません。
ところで、ディエゴガルシア島は、アラブ諸国からのミサイル攻撃が届かない絶妙な位置にあるようです。この基地のおかげで、インド洋の安全が保たれているという言い方もできるようで、
私も米英側戦略の恩恵を受けている側かも知れません。実際、イエメンのフーシ派による紅海での攻撃を恐れて、現時点で西側の船舶はスエズ運河を通らなくなっていますが、もしもインド洋まで航行できなくなってしまうと大変なことになるでしょう。
そう、
世の中の不条理の上に私も生かされているということですね‥‥考えさせられます。
でも、そんな事実に気が付いてしまってもなお、
早く車が来ないかなと待ち遠しい思いが上回る煩悩まみれの人なのでした。
《おまけ》 船は今の航行速度で進むと、シンガポールに6/8 19時に着く計算になるようなのですが、入港予定はその1週間後の6/15 10時になっています。
また、海上で待機するのかなぁ。
東南アジアを中心とする世界各地の港は、
トランプ関税の影響で混乱している(滞貨で溢れている)という話もあるようなので、そのあおりを食う状況なのかもしれません。
で、シンガポールに寄港した後は、てっきり横浜に向かうものだと思っていたのですが、どうやらその前に釜山に寄るらしいんです。
う〜ん、となると‥‥‥きっと7月にずれ込むのかな‥‥‥果たしていつうちにやってくるのやら。