
自験の「実録」を「どぶろっく」バージョンでご紹介します。
少年時代は、田畑と雑木林に囲まれた野性的な環境でしたので、蚊との接近遭遇は、日常的でした。耳元に甲高い音が響き始めると、大抵複数の個体からのアタックを受けていました。
当時、蚊の飛来に関して、不思議に思っていたことがありました。自転車で走行しているときなどに、蚊の大群によく遭遇したものでした。まるで、柱のような状態で、規則性の感じられる動きかたをしていました。
経験の積み重ねにより、柱の状態になった蚊の大群に突っ込んでも刺されないことを学んでいました。さすがに吸い込まないようには気を付けていましたが、手で払えば特に害はありませんでした。たった1匹のアタックにも手を焼いていたのが、まるで嘘かのような大人しさでした。
蚊柱は、夏の季語です。小林一茶は、昆虫等の小動物を好んで句に用いており、一例として、「一つ二つから蚊柱となりにけり」を残しています。憎まれ,虐げられるものへの憐憫の情が、題材としての創作意欲を駆りたてていたのではないかと思われます。
最近になって、柱を作って飛行しているのが、やぶ蚊とは異なるユスリカであることを知りました。形態学的には蚊とそっくりなのですが、吸血器官はありません。刺されないのは、当たり前だったわけです。
さらに調べてみると、多くの種類のユスリカは、栄養を体内に入れるための口器官さえ持っていません。このため、長くても数日しか生きられず、生殖のためだけに成虫になる悲しい昆虫であることが分かりました。
集団飛行しているのは、メスの飛来を待つオス達らしく、寿命の最後を飾る結婚飛行を邪魔したくないと思いました。オスが集団になっているのは、単独行動をしているメスを誘うためであり、共同で目立つようにしているのです。集団で婚活をしている状態に等しく、そこには、DNAをめぐる生命の神秘と悲しい定めが凝縮されています。
例えとしてはよくありませんが、満員のコンサート会場で菊池桃子さんの登場を待つ自分の姿とオーバーラップしてしまいました。
実録は、以上です。
ここで、「どぶろっく」師匠の登場です。
デビュー40周年記念イヤーということもあり、桃柱が立つ機会が多くなっています。
桃子さんは、柱の中へ入ってくると、必ず会場の隅々まで丁寧に目を配り、それから第一声を発します。気づかいで、必ず間があるのです。
――もしかしてだけど、桃柱に入ってきた直後の桃子は、俺のことを探すのに必死なんじゃないの~。
いつだって俺は此処にいる。
だから、朝陽と出会い🎵
桃子は、自分の人生の朝陽です。
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2024/08/25 08:20:52