仕事の関係で大学の研究者
特に理系の基礎研究をしている人との付き合いがそこそこあるのだが
彼/彼女らは、どこか妖精さん的なイメージがある(悪く言っているのではない)
政治学や社会学などのフィールドもどこかそんな雰囲気のある領域だ
「自分の長年の研究は何だったのか」廣瀬陽子教授はウクライナ侵攻を予測できず悔やんだ。それでも研究を続ける理由とは?
(抜粋>感想)
そして人間は戦争を防げないのか、という絶望的な気持ちに苛まれた。
>理性や良心、そして善意など...そういったものとかけ離れた人間が一定数以上入るので無理って思います先生!
核を持つ好戦国が戦争を起こせば、その核が他国の介入をも抑止してしまうという現実に打ちひしがれている
>いえ、充分に想定できる話です...もともと拒否権があり、改選されない常任理事ってなに?って話です。先の大戦の戦勝国(たまたま当時の利害が一致したというだけで、アイデンティティーが異なり自国主義の彼らが心底相容れることは無いのは偉い学者さんでなくてもわかります)
それでは研究は戦争を止められないのか...。残念ながら止められないことは、今回の顛末からも明らかだ。
>当たり前です。事前に予知できても一研究者が吠えても大国には響きません
(私の住む自治会が、子供の通学路に危ないT字路があるからカーブミラーくらいつけろと言っても市役所が対応しませんから...あなたが吠えてもロシアは全く動じません)
かつての戦争や紛争を分析することで、その反省を次に活かすこともできていたと思うからだ。たとえば、今、ウクライナが大国ロシアに対して善戦しているのは、海外からのサポートに加え、2014年にクリミアを失い、東部の混乱を防げなかったことの反省を徹底的に分析し、その問題を乗り越えたからに他ならない。
>その通りですが、あなたの望む抑止にはなりません。「みんないつ何時大国に攻められるかもしれない」ので軍備を整えなさいと当たり前のことしか提案できていません(全く別発想の誰も気づいていない対処法はあるのかもしれなけれど)
今後は1人の人間が歴史を動かすという現実を分析に取り入れてゆく必要が出てくるのかもしれない。
>片腹痛いです。歴史上いつも一人(それを取り巻く人間も関与してはいるが)の暴れん坊で世の中はかき回されています(カエサルだってナポレオンだってヒトラーだって...)
この新しいパラダイムに挑戦できるのは総合政策的アプローチしかないと確信する。研究が世界平和に貢献できる日がくることを祈るばかりだ。
>他分野・多方面で研究分析をすることは必要ですが、肝心なのはその結果をどれだけ為政者に影響力をもって伝えられるかです
ただ、どんなに学者が結束して束になって文句を言っても独裁者が聞くとは思えません
ということで、とんでもない為政者をのさばらせない。いやそもそもそういった輩を選ばないって話です
然しながら、為政者の選出自体にこれぞっていう方法がなく。良かれと思って選んだ後に段々化けの皮がはがれてくることもあるので、突発的に出現する独裁者の排除は無理という話です
民主主義は、現在世界中にある色々な主義のなかで、ましなというだけで完成形ではありません
肌の色も、住む地域も、民族や文化、宗教も、氏素性も、育ちも学も違う何十億(75憶?)といる人類に共通の価値観を持たせること自体が不可能です
では、どうすれば良いのか!
つづく(笑)
Posted at 2022/04/09 22:46:52 | |
トラックバック(0) |
なんとなく話 | 日記