群馬県太田市付近は探索することも多くD'station Racers にも時々行ってますが、今回は電車移動で太田市を訪れました。移動中に読書などできるのでたまには電車移動もいいものですが、結局車より時間がかかります。走行距離を年間2万キロに抑えるという管理目標も意識してます。
将来的にスポーツカーであっても自動運転機能も搭載されると目的地(峠、サーキットなでおも)、スポーツ走行自体の楽しみはなくならないと思いますが、そこに行くまでは自動運転だと“移動中に読書などできる”となるのでしょうか。スポーツというのは競技という意味になるので、例えば(「マラソンで)42.195キロわざわざ走らなくても車で移動すればいいじゃん」となるわけないように、「AIがレースだってできるんだからわざわざ人間がサーキット走ったり峠攻めたりしなくていいじゃん」というのはズレているわけでして......
そういえば昨年のサーキットイベント(NISMO festival ?)で「どんどん便利になっていくんだけど、そうすると人としての喜びはどこにあるんだ、ってなるわけで」と語ってる人がいました。
さて、以前より太田駅の近くを通りかかるとなんかオシャレな感じの建物があるなと気づいてはいたのですが、それが太田市美術館・図書間で、今回初めて中に入ってみました。なかなかアートな作りです。たくさん本があるのではなくて空間をつくるアイテムとしてある感じです。たまたまやっていたのが
本と美術の展覧会vol.2
「ことばをながめる、ことばとあるく——詩と歌のある風景」
詩を綴る文字が記号としてだけでなく造形のようにあるのですが、詩というのは普段読んでません。今回感じたのは、表現したいことを言論や主張としてやると炎上とかポリティカル・コレクトネスとか何かと不自由な世の中ですが、詩という形であると自由ということ、逆に言えば詩とか芸術とかそういう分野にまで政治的な干渉とか「それは正しくない」とか言われるようになったら余も末かな... と。何かtと統制されていることが好きな人々が一定数いるよううなんですが。
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「ことばをながめる、ことばとあるく——詩と歌のある風景」は、美術館と図書館の複合施設である太田市美術館・図書館が「本」と「美術」の架橋を目指して実施する〈本と美術の展覧会〉第2弾として開催するものです。
今回のテーマは詩と歌(短歌)。画家が絵具を素材とするように、言葉を用いて表現・思考の新たな地平を切り開く詩人・歌人たちの作品が、グラフィックデザイナー・画家・イラストレーターたちとの共同によって、当館の展示空間に展開されます。
『死んでしまう系のぼくらに』をはじめとする詩集や小説、エッセイのほか、ウェブでのアニメやゲーム、アプリなど、その繊細かつ鮮烈な言葉を本だけにかぎらず多面的に展開する気鋭の詩人・最果タヒ。その詩を、これまで、最果の著書の装丁を手がけた佐々木俊、祖父江慎、そして雑誌『真夜中』誌面でアートディレクションを担った服部一成という三人のグラフィックデザイナーが、それぞれ異なる解釈とアプローチによってグラフィックで表現します[1.詩×グラフィック]。地形・気象・旅による意識の変容を主題として、現代文学・思想・芸術と領域横断的な仕事を一貫して続けてきた詩人・管啓次郎とタッグを組むのは、神話や物語も含めた人々の記憶や風景を手がかりに絵画やインスタレーションを制作している美術作家・佐々木愛。2009年以来、管と佐々木が行なっている「WALKING」と題したプロジェクトは、その名の通り二人が各地を歩くことによって生まれた詩と絵画の合作であり、本展ではこれまでの成果を、太田の散策も経て制作された新作とともに展示します[2.詩×絵画]。こうした当館での言葉の表現への注目は、当地で詩や短歌などの表現者が戦前から戦後にかけて生まれていることによります。ともに歌人であり、のちに生涯の伴侶となった大槻三好・松枝夫妻の仕事を、シンプルな線描と色彩で印象的な少女や風景を描き出すイラストレーター・惣田紗希の、太田の風景をモチーフにした描き下ろしの壁画とともにご紹介します[3.短歌×イラストレーション]。
本とは別の居場所を得た詩や歌は、はたしてどのような姿でわたしたちの目の前にあらわれるでしょうか。そしてそれは詩や歌を「読む」という行為に、どのような変化をもたらすでしょうか。本展では、鑑賞者が美術館という空間のなかにおける言葉を眺め、それらの言葉とともに歩き、さまざまな視覚表現とともに鑑賞することで、詩と歌の新たな鑑賞体験の獲得を目指します。
Posted at 2018/09/29 06:20:22 | |
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