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2009年09月26日 イイね!

◇French Modern Fighter(?)・・・Bloch MB152

◇French Modern Fighter(?)・・・Bloch MB152 ちょっとオーバーペース気味ですが、SWの最後に、とっても無名なフランスのブロッシュMB152がロールアウトしました。でもこの機体についての情報はほとんど無いので書くことがありません(笑)
側面図を見て格好良くてキットを手に入れましたが、立体的に見たら結構おとぼけな造形・・・でも好きになりました。
(ギャラリーもどうぞ)


 第二次大戦時のフランス軍が活躍する戦い、というのはほとんど見当たりません。なんと言っても独軍の電撃的な侵攻によって、半月ぐらいで占領されてしまったので、敗退、混乱、錯誤という言葉ばかりが続きます。その背景には第一次大戦の結果結ばれた、過酷な戦争賠償を含むベルサイユ条約によって、「ドイツがまた他国に戦争を仕掛けるのは不可能」という過信にあぐらをかき、あらゆる兵器や戦術の開発が停滞したことがあります。

 そんな事情の中で、航空機開発は独ナチスの台頭と共に急ピッチで進められました。金属製、単葉低翼、引込み脚といったフランスの近代的な戦闘機として開発された1機が、このMB152です。

以下はチェコのSMER製キットに入ってた解説の和訳です。(誤訳有りだと思いますので参考程度でw)

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 ドイツに対してフランス防衛に戦った数多くの近代的戦闘機の内の一機、このMB152は、1934-1935年フランス航空相発令の開発仕様に応えて開発・・・受難の開発が始まった試作機MB150-01号を元に開発された。オリジナルのMB150の設計と製作はRoussel社長の下、ブロッシュ航空工場で行われた。

 オリジナルのプロトタイプであるMB150モデルの開発は、すでに1936年7月に始まっていた。しかし、重大な設計の欠陥・・・特に主翼面積の不足による昇降性能の欠陥と、脚部のトラブルによって開発は停滞した。根本的な機体の再設計と、よりパワーのあるエンジン(ノームローン14No7 890馬力)の搭載によって開発は続行されたが、1937年の9月時点でもその性能は凡庸の域を出ず・・・1号機はたった435km/hしか速度が出なかった・・・しかし、開発続行にはゴーサインが出た。

 MB151として、1938年8月からテストされた機体は、空力的なカウルに、ノームローン14No11 870馬力を搭載。エンジンの出力軸(=プロペラ軸)は、機体軸に対して2.5°左に傾けられ、これはこの機体の個性の前触れとなる(?)。主翼断面はより幅広で薄い形に改められ、オイルクーラーは左翼下面に設置された。主脚のタイヤは胴体側に引き込まれる一方、尾脚はタイヤ式から固定のスライディング-シューズ付きのソリ式に取り替えられた。武装は7.7mmMAC1934機関銃を4丁、装弾数は各300発のカートリッジマガジンを装備した。

 MB151(1938年から151シリーズとしてリネーム)の開発は継続されたが、飛行特性と性能は軍の要求には到達しなかった。特に特殊なデザインのエンジンカウルによって、冷却不足に陥りオーバーヒートが多発、エンジンの性能を阻害した。これらの経験に基づき、この飛行機は短期間に更なる改修を受け、拡大バージョンのMB152として1938年11月からテストが始まった。
 
 MB152は、プロペラの後ろに広い冷却空気インテイクを開けたより大型のエンジンカウルを装備し、より強力な1080馬力のノームローン14No25エンジンが搭載された。

 独のフランス侵攻時には140機のMB151と、363機のMB152が8つの空軍スコードロン(1つの海軍派遣スコードロン含む)に配備され、独空軍に対抗した。チェコスロバキア人のパイロットもまた、MB152を駆って独空軍に挑み、例えば、後にソ連第一連隊司令官になるLt.Frantisek Fajtlもその一人だった。

テクニカルスペック
ブロッシュMB152戦闘機は 単発、単座、全金属製、低翼戦闘機。
単垂直尾翼、一般的な引込み式主脚とスライディング-シューズ付き固定ソリ式尾脚。
主翼と水平尾翼(支柱によって補強されている)は上反角を持つ。
全幅10.5m 全長9.1m 全高3.9m 主翼面積17.3㎡
自重2158kg 全装備重量(最大)2800kg 
最高速度 480-520km/h 巡航速度 446km 上昇率 6分(5000mまで)
上昇限界 10000m 航続距離 540-640km
武装 20mm×2(各60発) 7.5mm(各500発) 
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最後にチェコのパイロット云々の話が出てくるのは、このキットがチェコ製だからです。

ということで、良い週末を!

Posted at 2009/09/26 13:08:32 | コメント(2) | トラックバック(0) | ◇プラモ-その他国 | 趣味
2009年09月20日 イイね!

◇北国の救世主 フォッカーDXXI

◇北国の救世主 フォッカーDXXI 巨大なソ連の隣国、北の小国フィンランドは第二次世界大戦中二つの時期、圧倒的な戦力差の中、驚異的な10対1以上のキルレシオを記録しました。(もうちょっと詳しくはDf109G型の記事を参照下さい)その緒戦でフィンランドを救った(たったの)40機あまりの主力がこのフォッカーDXXIです。(ギャラリーもどうぞ)


 フォッカーDXXIという戦闘機は、第二次大戦前期に多くの小国で運用された機体ですが、その生まれはオランダです。オランダという小国で航空機産業が発達していた、という事がすでに驚異的なのですが、それには理由があります。

 フォッカーという名前は特に第一次大戦中、連合軍に恐れられた独の戦闘機の名として有名です。かのリヒトホーヘンの乗機として有名なフォッカーDr1(ちなみに、かのスヌーピーの「有名な撃墜王」のライバル)等は大変有名です。
 
 そんな事情もあり、第一次大戦中にドイツで腕を振るったアントニー・フォッカーは、本来なら戦勝国に身柄を拘束されてもおかしくないのに、身分を偽り、混乱するドイツ国内から、自身のみならず工場の資材までを貨物列車を連ねて、まんまとオランダ国内に「トンズラ」しました(ある意味快挙ですねw)。

 そしていくつかの民間旅客機を開発しつつ、オランダで航空機メーカーとして戦間期を過ごしていました。そして第二次大戦直前に、オランダの植民地軍用に開発されたのがこのフォッカーDXXIです(XXIは21ということです)。鋼管の骨組みに胴体前部は金属の外皮、後部は羽布貼り、主翼は木製で、主脚は固定の単葉機です。1936年初飛行で速度は300km/h後半、当時の新鋭機(Bf109ハリケーンスピットファイア等)に対しては性能的に劣っていました。

 しかし、オランダの有力な外貨獲得手段として、積極的に海外に販売(製造権も含めて)されました・・・比較的安価で、こなれた技術で設計され、製造も比較的容易だったため、多くの小国で少数ずつ運用されました・・・で、最も活躍したのが上記のフィンランドだった、というわけです。

 独のフランス侵攻時には、その通り道としてオランダも侵攻を受けました。第一次大戦からの名門要塞や飛行場は独の空挺作戦によって瞬く間に占領され、国内に配備されていたDXXI(約30機)は、初日のみ多少の戦果を上げましたが、そもそも性能差が大きい独Bf109の敵ではなく、数日で消耗してしまいました・・・同時にフォッカーというメーカーも、かつての朋友ドイツによって占領されることになりました。大戦後は民間旅客機の製造を再開しましたが、1996年にその幕を閉じました。

 今回のキットはフィンランド空軍のマーキングです。車輪をソリに変え、氷結した湖を滑走路として戦ったそうですので、雪原と雪の積もった木を作ってみました・・・ちなみに、雪は片栗粉製です(爆)。

 
Posted at 2009/09/20 21:53:59 | コメント(5) | トラックバック(0) | ◇プラモ-その他国 | 趣味
2008年12月30日 イイね!

◇鷹は舞い落ちた-カーチスHawk75A-3

◇鷹は舞い落ちた-カーチスHawk75A-3 年も押し迫ったこの時期に、忙しく働く妻を尻目に製作にいそしんでいたカーチス「ホーク75A-3」がロールアウトしました。全く新しいレシプロ戦闘機シムもやらなきゃいけないし、年末の特番も見たいし・・・師走は忙しいですなw
(ギャラリーもどうぞ)


 この機体は第二次大戦前、米陸軍航空隊の次期主力戦闘機として、セバスキーP-35との競作に破れたP-36の輸出バージョンです(少数ですがP-36として米軍にも購入されたようですが)。時代的には主翼が金属製片持ち単葉であり、引き込み式主脚を採用するなど新機軸を盛り込んだ次世代機でしたが、操縦性(運動性)は凡庸だったというのが一般的な評価だったようです。

 しかし、風雲急を告げる時代背景によって、フランス、オランダ植民地軍、フィンランド等へ輸出が行われ、大戦序盤にいくつかの戦線で実戦に投入されたようです。極めて短期間で降伏したフランスでも、国産のモラーヌ・ソルニエ M.S.406よりはマシ、ということで多くの機体が空に散りました。

 またあり合わせの少数機で驚異的な戦果を挙げたフィンランド空軍にも「CU-」という機番で配備されましたが、多くのエースに愛されたブリュースター「バッファロー」より数段劣ると評価されたようです。

 この機体を元にして、エンジンをアリソン水冷に換装したP-40は多くの戦線で、馬車馬のように活躍しました。それを踏まえて、改めてこの機体を眺めると、エンジン直後のコックピット部分以降、胴体は縦長断面になっていて、むしろ当初から水冷エンジンを前提とした設計だったのでは?と思わせるフシもあります(詳細は不明です)。

 だいぶん前に古いアオシマのキットをボロボロに組み立てて以来、リベンジを心に秘めていましたが、今回それが果たせました(笑)

・・・今年は生産総数13機種14機(1/144は2機でセットになっているのもあるので)。昨年に比べると大幅な減産です。別に円高とか不況とか若者の飛行機離れ、とかそういう社会情勢とは、無関係ですがw
Posted at 2008/12/30 14:17:23 | コメント(4) | トラックバック(1) | ◇プラモ-その他国 | 趣味
2008年04月30日 イイね!

◇東欧小国の星 IAR-80

◇東欧小国の星 IAR-80 ルーマニア・・・東欧の小国ということくらいしか私は知りませんし、地図上でも指さすことも出来ませんでした。自宅を見渡しても「ルーマニア製品」は皆無、知っているルーマニアの人は30年近く前に活躍したナディア・コマネチ選手トランシルバニア(クリック注意w)のドラキュラ伯爵くらい。しかしこの国は第二次大戦時、北のソ連、西のドイツという軍事大国の狭間で、珍しくその立場を明確に戦った国でした。

 そしてその国が自国で開発した・・・そして大戦機としてはTOP5に入るであろうルックスの良い機体、I.A.R-80がロールアウトしました。(ギャラリーもどうぞ)

 ルーマニア空軍の創設は1911年(ちなみにライト兄弟の初飛行は1903年、日本での飛行機の初飛行は1910年)と意外なほど早かったのですが、さすがに小国では金のかかる空軍力の拡大、充実もままならず、細々と各国、特にポーランド機の輸入とライセンス生産から航空産業を立ち上げていきました。

 大戦勃発時には、ルーマニア("ローマ人の土地"という意味)は国名通り(?)、イタリアのファシスト政権に親近感を持ち、枢軸寄りの立場を取っていたようですが、ドイツのポーランド侵攻のドサクサに紛れてのソ連のルーマニア北部占領という事態をむかえ、当然ながらソ連に対する反感を持つに至りました。

 それまで頼っていたポーランドがドイツ軍に占領されたこと、大戦が勃発したヨーロッパ各国から飛行機の輸入が不可能となったこと等から、手っ取り早く近代的な国産戦闘機の開発する必要に迫られ、当時主力機だったポーランドのPZL P.24の胴体後部、外翼部をなるべく流用した機体がIAR(Industria Aeronautică Română)によって開発されました・・・流用したと言っても出来上がった機体は低翼の近代的な姿で、特に相当後退した位置に納まる、枠の少ないバブル型のキャノピーは、戦闘機と言うより高速レーサーという感じです。全体的なレイアウトは後の米海軍F4U「コルセア」を彷彿とさせます。

 さて大戦も独のソ連侵攻という大きなターニングポイントを迎えると、枢軸国の一員として、ルーマニア空軍は(たぶん)喜々として侵攻部隊の先頭に立ちました。当初はPLZ P.11等の古い機体で参加したのですが、混乱と弱体の極みにあったソ連空軍相手にそれなりの成果を上げたとか。

 一旦本国に戻ったルーマニア空軍は、独Bf109-EとこのIAR80に機種変更して再度ソ連空軍に対峙しました。その時にはソ連軍も立ち直り、高速の新鋭機も配備され始めたため、IAR80は次第に苦戦するようになったようです。そして米爆撃機によるルーマニア本土(枢軸軍の燃料を産出していたプロエシュティ油田)の爆撃を機にIAR80部隊は本国に呼び戻され本土防空の任に付きました。

 最初の米軍B24による長距離爆撃の際には、約50機のIAR80と30機のBF109-Eが迎撃に上がり54機を撃墜。帰路の不時着、墜落も多数有り、177機中帰還したのがたった92機という大打撃を与えました。その後もIAR80(と急降下爆撃も出来る派生型IAR81)は、B24に対する迎撃戦で多くの戦果を上げたそうです。

 ルーマニアは最終的には連合軍側に寝返り(ただし、結果的にその後数十年にわたりソ連の衛星国として苦汁をなめる事になりますが)IAR80(81)の最後の任務は、敗走する独軍の討伐だったとか。
 小国で開発されたIAR80(81)は総生産数461機。一部の機体は複座戦闘機に改造され、1952年までルーマニア空軍で運用されたそうです。

 ちなみにこのキット、手に入れるまで半年以上掛かりました(笑)
Posted at 2008/04/30 23:26:07 | コメント(1) | トラックバック(0) | ◇プラモ-その他国 | 趣味
2007年11月26日 イイね!

▽青いスワチカ Bf109G-6フィンランド空軍

▽青いスワチカ Bf109G-6フィンランド空軍欧州情勢は複雑怪奇!と叫んで辞職したのは極東の某小島国の首相でしたが、現代社会に生きる私にも当時の状況は確かに複雑。そんな強国の亡霊が闊歩する怪奇世界、軍事大国の狭間で驚異的な活躍を見せた小国の空軍がありました。
最終的に今回ロールアウトしたBf109G-6型を装備したフィンランド空軍の活躍をごく簡単にご紹介します。ギャラリーもどうぞ

 一般的に第二次世界大戦の勃発は、ナチスドイツのポーランド侵攻が発端とされています。しかし、この時、ナチスドイツと密約を交わし火事場泥棒のようにポーランドの一部に侵攻し支配権を獲得したソ連という怪物の話はあまり有名ではありません。後には連合軍に加わるこの怪物に対し、常に圧倒的な物量差の中で驚異的な戦果を上げたフィンランド空軍の活躍(苦闘)には感銘を受けざろうえません。

 ドイツがポーランドに侵攻した同時期、ソ連は独ソ不可侵条約に基づき共同戦線を張っていました。(それ以前にドイツ空軍の再建にソ連が空軍基地を提供していたという事実もあります。)また同時期にソ連は国境を接するフィンランドに対して言われなき恫喝外交を展開し、フィンランド側がそれを拒否するとソ連軍は国境を越え侵攻を始めました。1939年11月から3ヶ月半続くこの紛争を「冬戦争」と呼びます。

 危機を目前にし、フィンランド軍は、本国と植民地軍との行き違いで宙に浮いたオランダのフォッカーD21という戦闘機をたった7機手に入れ、他に国内で90機ほどライセンス生産しました。また各国から少数ずつ手に入れた爆撃機や偵察機なども含め、雑多な寄せ集め約200機体制。対するソ連軍はしぶとい抵抗に驚き、段階的に兵力を増強し1940年年明けには2000機規模となりました。この1対10という物量の差にもかかわらず、精鋭のフィンランド空軍は約70機の喪失に対し約800機(1対11)という驚異的な戦果を上げました。この紛争は結局スウェーデンの巧みな仲介で1940年3月に一部国土の割譲で一旦は終息します。

 フィンランドとしてはソ連の脅威に対抗するため独軍の国内駐留を認め、1941年6月の独のソ連侵攻開始と共にまたもやソ連と交戦状態に入ります。これから終戦までの3年半は「継続戦争」と呼ばれます。その頃までにはフォッカーD21以降、ブリュースター「バッファロー」フィアットG50モラーヌソルニエMS406カーチスH75「ホーク」(連合国、枢軸国入り乱れているところにご注目!)等、手当たり次第に買い求め空軍力増強を計っていました。例えばバッファローなどは太平洋戦線では日本軍機に全く対抗出来ない機体だったのに「丈夫さと卓越した運動性」によって信頼を得ていたとかパイロットの精鋭さがうかがえるエピソードも残っています。最終的にBf109G型が(やっと時代にあった新鋭機が)独より配備されますが、この継続戦争期間中約1500機ものソ連機を撃墜したそうです。

 その後、独軍の敗退に伴ってBf109の供給も途絶え、戦線を支える事は困難になり、1944年夏には「流血の夏」を迎えます。枢軸国側からの離脱を条件に単独講和を結びフィンランドにとっての戦争は終わりました。

 軍事強国の狭間で戦った小さな空軍の話は、語り継がれるべき歴史です。

※この機体の少し前の型 Bf109E型についてはこちらをどうぞ
Posted at 2007/11/26 21:52:10 | コメント(2) | トラックバック(0) | ◇プラモ-その他国 | 趣味

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何シテル?   06/02 08:25
アウトドアマンを自負するが、 この数年キャンプをしていないし、 この数年リフトに乗っていない。 釣り師を自負するが この数年ラインを交換していないし、 ...

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