ちょっとオーバーペース気味ですが、SWの最後に、とっても無名なフランスのブロッシュMB152がロールアウトしました。でもこの機体についての情報はほとんど無いので書くことがありません(笑)
側面図を見て格好良くてキットを手に入れましたが、立体的に見たら結構おとぼけな造形・・・でも好きになりました。
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ギャラリーもどうぞ)
第二次大戦時のフランス軍が活躍する戦い、というのはほとんど見当たりません。なんと言っても独軍の電撃的な侵攻によって、半月ぐらいで占領されてしまったので、敗退、混乱、錯誤という言葉ばかりが続きます。その背景には第一次大戦の結果結ばれた、過酷な戦争賠償を含む
ベルサイユ条約によって、「ドイツがまた他国に戦争を仕掛けるのは不可能」という過信にあぐらをかき、あらゆる兵器や戦術の開発が停滞したことがあります。
そんな事情の中で、航空機開発は独ナチスの台頭と共に急ピッチで進められました。金属製、単葉低翼、引込み脚といったフランスの近代的な戦闘機として開発された1機が、このMB152です。
以下はチェコのSMER製キットに入ってた解説の和訳です。(誤訳有りだと思いますので参考程度でw)
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ドイツに対してフランス防衛に戦った数多くの近代的戦闘機の内の一機、このMB152は、1934-1935年フランス航空相発令の開発仕様に応えて開発・・・受難の開発が始まった試作機MB150-01号を元に開発された。オリジナルのMB150の設計と製作はRoussel社長の下、ブロッシュ航空工場で行われた。
オリジナルのプロトタイプであるMB150モデルの開発は、すでに1936年7月に始まっていた。しかし、重大な設計の欠陥・・・特に主翼面積の不足による昇降性能の欠陥と、脚部のトラブルによって開発は停滞した。根本的な機体の再設計と、よりパワーのあるエンジン(ノームローン14No7 890馬力)の搭載によって開発は続行されたが、1937年の9月時点でもその性能は凡庸の域を出ず・・・1号機はたった435km/hしか速度が出なかった・・・しかし、開発続行にはゴーサインが出た。
MB151として、1938年8月からテストされた機体は、空力的なカウルに、ノームローン14No11 870馬力を搭載。エンジンの出力軸(=プロペラ軸)は、機体軸に対して2.5°左に傾けられ、これはこの機体の個性の前触れとなる(?)。主翼断面はより幅広で薄い形に改められ、オイルクーラーは左翼下面に設置された。主脚のタイヤは胴体側に引き込まれる一方、尾脚はタイヤ式から固定のスライディング-シューズ付きのソリ式に取り替えられた。武装は7.7mmMAC1934機関銃を4丁、装弾数は各300発のカートリッジマガジンを装備した。
MB151(1938年から151シリーズとしてリネーム)の開発は継続されたが、飛行特性と性能は軍の要求には到達しなかった。特に特殊なデザインのエンジンカウルによって、冷却不足に陥りオーバーヒートが多発、エンジンの性能を阻害した。これらの経験に基づき、この飛行機は短期間に更なる改修を受け、拡大バージョンのMB152として1938年11月からテストが始まった。
MB152は、プロペラの後ろに広い冷却空気インテイクを開けたより大型のエンジンカウルを装備し、より強力な1080馬力のノームローン14No25エンジンが搭載された。
独のフランス侵攻時には140機のMB151と、363機のMB152が8つの空軍スコードロン(1つの海軍派遣スコードロン含む)に配備され、独空軍に対抗した。チェコスロバキア人のパイロットもまた、MB152を駆って独空軍に挑み、例えば、後にソ連第一連隊司令官になるLt.Frantisek Fajtlもその一人だった。
テクニカルスペック
ブロッシュMB152戦闘機は 単発、単座、全金属製、低翼戦闘機。
単垂直尾翼、一般的な引込み式主脚とスライディング-シューズ付き固定ソリ式尾脚。
主翼と水平尾翼(支柱によって補強されている)は上反角を持つ。
全幅10.5m 全長9.1m 全高3.9m 主翼面積17.3㎡
自重2158kg 全装備重量(最大)2800kg
最高速度 480-520km/h 巡航速度 446km 上昇率 6分(5000mまで)
上昇限界 10000m 航続距離 540-640km
武装 20mm×2(各60発) 7.5mm(各500発)
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最後にチェコのパイロット云々の話が出てくるのは、このキットがチェコ製だからです。
ということで、良い週末を!
Posted at 2009/09/26 13:08:32 | |
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