ときは1970年 大阪で開催された”EXPO75”
僕は未だ 小学生であった。
僕はどうしてもEXPOに行きたくて両親に懇願した・・・
・・・・・裕福ではなかった我が家の経済力では その想いはかなわず
両親が与えてくれたのは 一冊の写真集であった。
その写真集は 当時としてはかなり立派なもので 僕は穴が開くほど眺め
そしてすべてのパビリオンやそれに関する記事を暗記した。
もちろん 学校では誰よりもEXPOに詳しかった。
・・・・だが 裕福なものはリアルにそれを体験し 僕にそのすごさを語った。
見当ハズレ&誤情報の混じった体験談を「バカめ」と思いながら聞いたのだが・・・・
・・・・・実際は うらやましかった ものすごくうらやましかった。
EXPOで一番見たかったもの それはもちろん象徴的な太陽の塔であり その内部
再生プロジェクトのおかげで
48年間の憧れを実現する日がついに来たのである。
今朝の朝の散歩でも
年甲斐も無く ”太陽の塔”の内部 見に行くんだ! と語り
前日の土曜日には ”あじさい祭り”を見るついでに アプローチなんかの下調べを実施。
万難を排したつもりだったが・・・日曜日のEXPOシティ周辺の駐車場こ混雑を舐めていた。
当初予定していた EXPOシティの駐車場を早々にあきらめ
最も人気の無い 日本庭園の駐車場に停めて 会場に急ぐ
エントリーにはネットでの予約が必要で 「予約時間の20分前に来い」と書いてある。
駐車場に停めた時点で 18分前 急いで行って約12分前
ようやくエントリー
内部の撮影は一切禁止
正直言って 造形物そのものの出来は しょぼいんだけど
48年前に 太陽の塔の中に配置したと言うことが すごい
48年間憧れていたものが 今目の前に!
展示の中には 損傷していても あえてそれをそのまま展示してくれているものがあり 実に感慨深い展示であった。
(内容については
こちらを確認すると良い)
30分の鑑賞後 実に満足した顔で記念写真。
2代目BRABUS君と太陽の塔の後姿。
予約サイトでは かなり先までの土日予約は埋まってるんだけど 直前キャンセルがかなりあるので こまめに確認すると良いと思います。
ただ この展示は 当時のEXPOに想いがあるか? 岡本太郎が好きではないとあまりぴんと来ないかも?
僕は万感の思いを胸に万博公園を後にしました。
Posted at 2018/06/10 17:53:04 | |
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