毎年のことかも。
いつの頃からか、なんとなくこの時期は
ホタルを観に行くことが 「じぃちゃんに会いに」 になってるような気がする。
今年は何度かあちこち行ってしまった。 たくさんの命がいっぱいで切なくなったりひっそり喜んだり。
ほんのちょっと「
うれしい」とものすごくたくさんの「
ありがとう」。
見事な写真を撮りたい撮ってみたいなといつもながらに思うものの、なにをどうしても撮ることができないのはホタルが許してくれんのかもしれん凹
そんな先日、じぃちゃんの祥月命日だった。 お墓参りに行こう、行きたいと思っていたものの行くことができず撃沈(涙)。
けれど夜にはじいちゃんに会いに行ってきた。
そしてその夜にはまた別の意味で
「そりゃ台風もくるわ」。
ケーキ食べるの、どんだけぶりなんだろう(^o^;)
「うわーーぃ♥」
嬉々としてフォークを握ってにこにこのぱーで(謎w) ケーキを口にするのは無邪気なところであるが
「。。。。。。。。。。。。。。。。。じぃちゃん、ケーキ食べてるゆとりもなかったろうな」
そう思うとシンミリと涙味のケーキになってしまうので
「いや、じぃちゃんが身を挺して私達を守ってくれたから今、こんなにありがたいこと。。。。あるんだ、できるんだ。 ありがとうね、おじいちゃん」
天国からじぃちゃんも泣いてる孫 (孫になるんだよな、ウン) よりもケーキでにっこにこぱーの方が見えているならまだマシであろうよ、と勝手な解釈。
そんなにこにこぱーが先日もまた、恒例になってるいつもの近所、ってほどの近所でもないがまぁ遠くもないのよお隣サンでもないのよ、な微妙な近所(^o^;)
、にホタルを観に行った。
。
うん。 今年はホタルも早くてさ、それに加えて行くのも遅くなってさ、、、、、
人っこ一人、ギャラリーもいなかったしほんまに真っ暗の中、一人でブツブツ祈りながら歩いてるあやしさ満載w
ほんとにここのホタルは健気に美しい。。。。。。。。。。。、んだがいなけりゃ仕方ない凹
「ありがとうね」。
見えなくても礼は言う。 ふと見上げると高級マンショ。。。。いや億ションからの光が見えるんだわ。
「中では家族団らんの暖か豊かな笑顔や喜びが溢れてるんだろうなぁ。。。」
「セレブ、ゆとりの光。」
そんな感じである。 ベタなマンションの広告やないで。
「ほたるのひかり、窓の雪ぃ~」
棒読みに歌いながらマンションの光をホタルにみたてて見ていた。。。。。
「じぃちゃんは、こんな明るい光の中で生活してなかったんだろうな。」
またしてもそんなこと考えるとシミタレてくるし泣けてくるではないか。
しかしケーキと違うのは自分がその光の中にいて、にこにこで、、、じぃちゃんが天国から見ていて
「おお、明るい生活しとるんやのぅ」
と思ってもらえないこと^^;
それでも。
たぶん、おじいちゃんだけじゃなくてあの時代にはもっともっと大変な思いをして「国のために」と命を落とした人がものすごくたくさんいる。
その全てのみんなの、その人達のおかげで今の私達が当たり前のように、でも便利で快適な暮らしをさせてもらえていることは間違いないと思う。
今の私がクルマに乗れるのも。 こうしてパソコンを使えるのも。 デジカメを持ち歩けるのも・・・・・
そして目の前にウフフと高級な光を灯している暖かな家庭の人たちにも。
「おじいちゃん、いつもありがとう」
そんな思いで毎晩、じぃちゃんのほうに向かってニッコリと笑顔と声を届けている。
もしおじいちゃんに本当に見えていたらアホで愚かな生き方しかできてないバカな孫 (だよな?) だが あほな笑顔もそれなりに苦笑いで見てくれてるのかもw
そしてそんなにっこにこぱーの笑顔で近所を徘徊してる自分はご近所さんから
「・・・・・・・・・・・アヤシイ危険な喪女がいるから近寄っちゃダメ、目を合わせるのもエサをあげるのももちろん禁止よっ」
などと言わ+思われているのであろう、ウンw
またいつか、じぃちゃんに逢えますように。
Posted at 2018/06/13 22:49:31 | |
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