先月末にパシフィコ横浜で行われたクラシックカーイベント「ノスタルジック2デイズ」にて、購入したこれらZ32関連のモノ☆
・・・左側はZ32登場時に、アメリカで発行されたZ32ガイドブック「ROAD & TRACK'S Guide to The All-New NISSAN 300ZX」。アメリカのメジャーなクルマ雑誌「ROAD & TRACK」がまとめたZ32本です♪ おなじみの新車紹介本「~のすべて」の北米仕様Z32版、ってトコですね(*^_^*)
そして右側の黒い冊子は、やはりZ32登場時に発行された、日産の社員向けのZ32販売マニュアル☆
このROAD & TRACKのZ32ガイドブック、このようなページがあります・・・
なんと、かのトヨタ2000GTじゃありませんか! アメリカなのでもちろん北米仕様☆
同じレッドの、Z32と2000GTの共演、嬉しいです(*^_^*) このようにZ32が御大2000GTと、堂々と並んで本に載る事ってまずありませんからね、貴重なページです♪
・・・そもそも、なぜZ32本にこのように2000GTが載っているのか?
このページには、2000GTと日産の関わりについて載っているのです☆
その箇所を要約・・・
「ヤマハ製の2リッター、6気筒ツインカムエンジンを搭載した、2000GTという名のプロトタイプカー・・・日産のバッジを付けて誕生すると思われたが、結局はトヨタが生産することになった。この出来事の皮肉さは今は大して重要視されていないが、最も興味深い、両社のねじれには注目を注いでしまう。
1960年代初頭、日産とヤマハは2リッターエンジン搭載のスポーツカーを生産するという、ジョイントベンチャーを立ちあげた。当時日産は、独自でスポーツカーを販売する計画に着手していた。そのスポーツカーは、1.5リッターの、SP310ロードスター・・・イギリスのMGBにプロポーションが極めて似ていた。ヤマハとのジョイントで誕生したプロトタイプ2000GT、こちらは英国風のSP310ロードスターとは違い、欧州のスポーツカーにインスピレーションを求めたハイパフォーマンスクーペとなると見られていた。
日産は従順に、2台の綺麗なプロトタイプを作り、名車BMW507を手掛けたドイツ人デザイナー、A.ゲルツのアイデアも投入した。2000GTの最終デザインは美しく仕上がった。しかし生産時における、ある種の技術的な面々から、日産とヤマハは最終的な合意までには達せなかった。”2000GTとは本来、日産とヤマハの、ショーカー開発プロジェクトだった”と、当時の開発者は言う。そして、”あくまでエキゾチックスポーツカーであり、ポピュラースポーツカーではない。”、と。
1964年の暮れに、日産はプロジェクトから離脱し、ヤマハは新たなパートナー探しをしなくてはならなくなった。最終的に、トヨタのバッジを付けて登場した2000GTは、日本のスポーツカー史上最も興味を浴びる存在となった。しかし、直接的なご先祖様たるBMW507同様、トヨタ2000GTは高価で生産が難しく、セールス面で失敗するのは目に見えていた。ほんのわずかしか作られていない、J.ボンドの映画「007は二度死ぬ」に登場したトップレス仕様が一番有名になった。
トヨタがセールス面で2000GTが失敗したのを目に、日産は新たなスポーツカープロジェクトを立ち上げる。そして1966年には、流麗なロングノーズ/ショートデッキの、決定的なデザインが仕上がった。それはジャガーEタイプや、同年のトリノショーで登場したマセラティギブリ、フェラーリデイトナら欧州のGTクーペを思い起こさせるデザインだった。」
トヨタ2000GT、もしかしたら「日産2000GT」として出るはずだったという事を、改めて知らされました。2000GTとS30、デザインに似通った部分があるのもこの事があったからなんですね☆
今回、当時新型のZ32を紹介するこの本の冒頭にこのような記事が載っていたという事は、Zカー誕生には幻の日産2000GT、そしてトヨタ2000GTの存在が大きく関わっていたからなんですね☆ Z乗りとしてこの事はしっかり覚えておきたいと思います(*^_^*)
スーパーカーとしては成功したが、セールス面では振るわなかったトヨタ2000GT。その2000GTとは対照的にポピュラースポーツカーとしてマルチな成功を収めたS30 フェアレディZ。
そして「量産型スーパーカー」を標榜した、Z32・・・セールス面で振るわなかった2000GTと、スーパーな存在になれなかったS30の、両車が成し得れなかった野望を引き継いでもいたのですね(*^_^*)
Posted at 2013/03/24 23:43:50 | |
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