
自験の「実録」を「どぶろっく」バージョンでご紹介します。
夏といえば怪談ですが、今回は怖くない怪談をご紹介します。
10年前、社用で、真夏の岡山県で2泊しました。関東での生活が長い私にとって、倉敷市内で遭遇した蝉しぐれは、長く忘れ難いものになりました。クマゼミの大合唱だったのです。しかも、密度が真昼の暴走族と形容できるほど濃く、まさに耳をつんざく状態でした。
最近、東京の港区界隈を歩く機会があり、真新しい高層ビルの前で、思わず足を止めてしまいました。「ここは、倉敷なのか!」というくらい周囲一帯がクマゼミに占領されていたのです。
クマゼミは、長らく西日本固有の種とされていました。箱根を越えられないという説があったほどです。実際には、神奈川県平塚市辺りが、棲息の東端になっていました。
蝉の棲息数に関しては、いくつかの調査があります。せっかくなので、私と菊池桃子さんがともに幼少期を過ごした多摩川エリアのデータを引用したいと思います。奇遇にも、我々は、直線距離で2km離れていない近所で暮らし、同じ蝉しぐれを聴いて育ちました。
吉野勲(田園生物研究所)が実施した調査は、次のとおりでした。
――アブラゼミ1,061、ツクツクボウシ409、ミンミンゼミ333、ヒグラシ6、ニイニイゼミ4、クマゼミ2(2006~2007年、世田谷区)。
非常に納得できる数値だと思いました。少年時代の記憶と見事に合致します。
こうしたなか、隅田川にかかる桜橋付近では、奇怪な現象が知られています。西岸の台東区側は、アブラゼミとミンミンゼミが半々くらいです。ところが、橋長169.45mを渡った東岸の墨田区側に入るとアブラゼミしかいません。墨田区側は荒川にはさまれた南北に細長い三角州のような地形となっており、ミンミンゼミの進出が阻まれた可能性がありそうです。種としてアブラゼミのほうが生命力が高く、このような分布の差異が現れる一因になったのかもしれません。事実として、ミンミンゼミは、たった200mの距離を広げることができませんでした。元々、蝉という生物は、km単位の移動をする昆虫ではないようなのです。
かの大戦で、東京は焦土と化しましたので、蝉の棲息地の再構築が行われたと考えられています。半世紀に及ぶ長い年月を経て最大勢力となったアブラゼミを押しのけ、クマゼミが急増したのは、ある意味でミステリーです。地球温暖化の影響を説く有識者もいます。
素人の私が観察した限りにおいては、植樹と密接な関係があるのではないかとみています。明らかに、再開発のエリアで大発生が見られているからです。
ある昆虫学者によれば、クマゼミの習性も都会向きだといいます。天敵の気配を察知すると、一直線に遠くまで飛翔してしまいます。アブラゼミは、危険回避をしたあとにループのように元の場所に戻る習性があり、深い森でないと天敵の再攻撃を受けやすいそうです。
興味深い話として、クマゼミの啼き声をスローにすると、ミンミンゼミそっくりになるといいます。何名かのYouTuberがこれを実証しています。ということは、両者の身体構造は似ているということです。その気なれば、クマゼミがミンミンゼミになり切ることは可能と考えられます。何故、クマゼミが発生器を烈しく動かし、ミンミンゼミは緩徐なのか、ここは本物のミステリーなのかもしれません。
実録は、以上です。
ここで、「どぶろっく」師匠の登場です。
半世紀近く経てば、時代が変わり、勢力図も変わる。
――もしかしてだけど、クマゼミの隆盛は、俺が桃子に脈ありになってきた前兆なんじゃないの~。
運命の女神様よ。
この僕に微笑んで、一度だけでも。
Posted at 2025/08/08 08:51:42 | |
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