
「ゆっくりと12月のあかりが灯りはじめ、慌ただしく踊る街を誰もが好きになる。」・・・・・と、娘や嫁の好きなB`zの曲の歌詞にも歌われいる様に、12月になれば、街のどこからともなく綺麗なメロディーが聞こえてきて、なんとなくホッコリと暖かい気分になれますよね~。。。。。
私の亡き父と母は、昭和ひと桁生れにもかかわらず、共に大の楽器好きで、戦時中も国家総動員法が発令される中、母の勤める歯科医院の地下で仲間を集めて闇のコンサートを開催していた様です。。
父と母は当時の言葉で揶揄される、いわゆる「非国民」だった訳です。。。
そんな両親に育てられた私ですから、当然、幼少の頃から音楽を習わされた訳で、なぜか父の得意とするギターを習わされず、母の得意とするピアノを習わされていました。。
今から思うと、どうやらウチはカカア殿下だったみたいです。
一枚目の画像は現在も私の家でひっそりと余生を送る母の形見のピアノです。
そして下の画像は父の形見の「古賀正雄ギター・KOGA30号」です。。
私はギターは全然ダメなので、今ではこのギターも高校時代にバンドをやっていた息子しか弾けません。。
そして毎年、クリスマスが来ると、ケーキを囲んで父と母のギター&ピアノの伴奏で「清しこの夜」等のクリスマスソングを歌わされていました。。
そんな私も当時は男の子でピアノを習う子は殆んど皆無で、母の主催するピアノ教室では女の子達の中でぽつんと1人、目立ってしまい、辞めたくて仕方ありませんでした。。
当時はガキは外で野球やドッジボールや鬼ごっこをするものと相場が決まっていましたが、決まった時間にピアノを習わされていたので、野球やドッジボールも練習不足で全く主力選手になれず、面白く有りませんでした。。
母が他界後も、中学生まではピアノを続けましたが、剣道部に入部したこともあり、自然とピアノからは遠ざかってしまいました。。。
そんな私がピアノを再開したのは結婚して息子が生れた年のクリスマス前からでした。。。
クリスマスの日にはピアノの伴奏で歌を歌わせ、やがて娘が加わり・・・
そして私の小さい時と同様に息子と娘にピアノを習わせ、誕生会やクリスマスには演奏会に出たり、家でケーキを囲んで歌ったりしました。。。。。
そして息子や娘も段々大人になり、家族ではなく、それぞれの人と過ごすようになり、いつの間にかまたピアノの調べがウチから消えていました。。。
そうこうしていたある日、息子が急に、「オヤジよ、カノンちゅ~曲知ってるか??」って聞いてくるので・・・・。
私「ああ、涙のカノンな・・・・・。」
息「あの曲のバイオリンが、勉強部屋で休む時に丁度いいな。」
私「アホか~バイオリンやとぉ~??オマエまだ尻が青いな~~。カノンは弦楽&ピアノよりも断然、パッヘルベルのピアノソロのカノン、しかもジョージウイストン演奏バージョンが最高やな。」
息「ほ~そりゃいっぺん聞きたいな・・・うん、是非聞きたい・・・」
・・・となり、20年前のCDを息子にレンタルする事に。。。。。。
次の朝、「オヤジよ、あれ最高やったわ~。」「俺またピアノするわ!!!!!!!!」となりました。。
狙い通りでした。。。
ピアノピースを調達して、このクリスマスには久々にピアノの美しい旋律が聞けるかな???
とりあえず私はピアノの上で思う様に動かなくなった片手でB`zの「いつかのメリークリスマス」を弾いて娘受けを狙いつつこのクリスマスを越す事にします~。
そのあとで、なにやら黒鍵を使わなくて済む「ハ長調」で意外と簡単そうなので、息子に「カノン」を教えてもらおうかな。。。
鉄ヲタもいいけど、久し振りにマタ~リとするピアノに戻ってみようかな~ (長文すみません)
***下記URLは「パッヘルベルのカノン・ジョージウイストンバージョンです。。音が出ますのでご注意下さい。。。
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Posted at
2011/12/13 20:46:24