744kmを11時間かけて下関までやってきた翌日は、九州に渡り、国東半島から耶馬渓を経て佐賀県に至ります。(^^♪
今回はその国東半島のドライブについての記載です。。(^^♪
ホテルで朝一番の朝食を食べた後は、直ぐにスタートし、未だ陽が昇りたての関門橋を渡ります。。
昨日、Benz-Eクラスを購入後初めて使用した所謂「自動運転モード」を設定して、最初の目的地である宇佐八幡宮に9時前に到着しました。(^^♪
平日の朝早い到着ですので駐車場はガラガラです。
入口にはなんと明治24年ドイツ製の今は無き旧大分交通・宇佐参宮線のミニSLが奇麗に保存されていました。(^^♪
宇佐八幡宮と言えば社会科の日本史で習った道鏡の神託事件の現場であることで有名ですが、高校の時に覚えた事件の詳細については既に忘却の彼方です。。(´・_・`)
歴史に名を遺す大きな神社ですので、最初の鳥居をくぐってから本殿までは結構距離が有りました。。
本殿では深くお辞儀をして。。。。
日頃の安寧に感謝の意を伝え、これからも平和な日々が続くよう、祈願申し上げます。
妻も孫が2人になった分、祈願する内容が増え、それに比例して手を拝す時間が増えました。。
参拝後は宇佐八幡宮の直ぐ近くに有る、豊後高田市が推し薦める「昭和レトロの街」に行ってみました。(^^♪
街の中心には大規模な観光客用の駐車場が設けられていました。
なかなか懐かしい備品が集められています。。
幼い頃は市場に有ったこんな新幹線の乗り物によく乗せてもらったものです。。。
あれっ?これは東海道新幹線ではなく、東北上越新幹線ですので、私が高校生の頃に作られたかなり新しいものですね~。
グリコの「おまけ」もとても懐かしいですね~。(≧▽≦)
「男の子向け」と「女の子向け」が有りましたが、今それを言うとフェミニルト達が「男女差別だ!」とか言ってグリコさんが吊し上げに遭うとても世知辛い世の中になってしまいました。(/ω\)
このブリキの新幹線、私も持っていました!(≧▽≦)
そして、彼女と長電話するために10円玉を何枚も用意した「赤電話」。。
(≧▽≦)
そう言えば昔は空き地には必ず土管が有りましたよね~。(≧▽≦)
今から思えばなんでなのか、かなり不思議です。。
このタイル張りの流し、私が小学2年生~4年生の終わりまで預けられていた叔母の自宅にも同じのが有りました。。(≧▽≦)
小学校の机ですが、私の時代は2人分が一緒の長い机でした。。。
街全体が昭和レトロで纏められています。。(^^♪
昭和レトロを楽しんだ後は、国東半島の代表的な観光地、熊野磨崖仏を訪問しました。。
インドア派で歩くことが大嫌いな妻を、長時間、しかも山の中の階段を歩かせることになってしまいました。。(=゚ω゚)ノ
入口から15分ほど歩くと、熊野磨崖仏に到着しました。。
熊野神社は和歌山県の熊野本宮由来ですが、こんな遠く離れた九州にまで熊野神社が有るとは驚きです。。。
しかも、守護神は「不動明王」ですので、神仏習合の極みと言ったところですね。。(´・_・`)
磨崖仏の直ぐ上に、熊野神社が有りました。。(^^♪
帰路は来た道を引き返します。。
さてさて、その次は。。
両子寺までやってきました。。(^^♪
「見ざる」「言わざる」「聞かざる」・・・
日光東照宮をはじめ、日本ではこの言葉はなぜか神社で多用されます。。
紅葉がかなり進んでいて綺麗です。(≧▽≦)
こういう「お山の神社」には例外となく「奥の院」が存在しますので、さらにここから登山します。。
登山が嫌いな妻も、もう慣れっこです。。
急坂を登る苦労の甲斐が有って、奥之院が見えてきました。。
岩窟に建てられた神社の裏側はこれまた神秘的です。。
それにしても大変なところに建っていますね。。( ゚Д゚)
有名な仁王像のところで記念撮影です。(≧▽≦)
そしてそこからは国東半島を離れ、耶馬渓へと向かいました。。
ここは妻のお気に入りの場所です。。
Benz-E クラスでも Audi A1 の時と同様、何度も往復しました。。
つづく