私には特殊な技術があります。
大抵どんなモノでも、一度ばらせば頭に構造が入ってくるというモノです。
精密なものや電子機器は無理ですが……これ、かなり便利です。
私自身は全く意識しないんですけれど、部品のちりや合わせ面が判るので、組み上げる際には楽ですね。
覚えている訳でもないですし、サバンにありがちな写真記憶も出来ません。
たとえば力の流れ、油圧配管なら圧力源からたどれば終点での動きが読めます。
バネが入っているなら、どちらに力がかかっているかを想像できます。
ありとあらゆる機械部品のカタチは、必ず意味があります。
だから、見れば理解できるのです。
まあようやくここまで判るようになったか、というのが自分の中の感想だったりします。
どんなものごとでも、どんなに遠くに見える頂きでも、辿り着くための道程があって、その途中が雲かかっててたりしたら、まあ足が止まりますよね。
その道はもしかしたら途切れているかも知れない。
途中で断崖絶壁があるかも知れない。
越えられない壁だったりしたらどうしようか。
その迷いがあるから、普通は踏み込まない領域というのが有ると思うんですよね。
そしてためらって踏み出さないのが当たり前だとはおもうんですけれどね。
そんなこととは関係なしに踏み出せるようになると、「まあやってみるか」ぐらいになります。
考えてみれば、4年半前に出会った上司、もう定年したとは思いますが……考えたら定年直前の落ち着いた人ではなかったのです。
多分誰の目にも破天荒な方でした。
ただ、普段という意味で見れば紳士の趣味で極めて渋い方で、和装をこよなく愛しつつもスーツが似合い、こ洒落た帽子とパイプの似合う重喫煙家の上大酒呑み。
どう考えたって、私の知る「上司」のイメージから大きく逸脱していました。
ただ、いい人でした。もう少し悪い人でも良かったのに、そう思う位「人の良い」方でしたね。
あ、タダ単仕立てのスーツに帽子をかぶり、パイプくゆらせながら悪い笑いが似合いそうでできない人だっただけです。
それが出来たら多分私の中で完璧な人でした(笑)
その上司が言っていた言葉があるんです。
「この世には『なりたい人間』と『したい人間』がいる。
前者は立場に執着し、後者は立場を利用する。
前者は辿り着いて終わるが、後者は辿り着いてから事を成す」
まとめるとこういう感じでしたか。
まあぶっちゃけ私は後者ですか。
ふつーは出世して云々なんだろうけど、自分は異動も給料も考えずやりたいことやってる気がするんですけれどね。
まあ、一応見捨てられてないってことは、回りもそれなりに認めてはくれてるのかも知れませんね。
ただ人間としてはあんまり良い人間ではない、とは自分で思っていますんで……皆に好かれるという経験は一切ありません。
実際好き嫌いが自分で理解できていないので、服装もちぐはぐだったり、その時々の趣味もおかしいことがあります。
多分、ホントに好き嫌いは無いんだと思います。
そんな人間が、天職だと思ったのは、その上司と出会った時の仕事です。
仕事内容を要約すると、受けた要望通りに業者にモノを作らせそれを判定するというもの。
プロマネの物真似ですわ。
技術者と対面して直接腹を割って話し、疑問を解決し、設計をさせ隅々まで読み、できあがりを試験させ、成果を上司に報告する。
よくよく考えたら、あの約4年の月日はホントに楽しかった。
自分で設計してる訳じゃないけれど、全体を完全に把握しているのは自分しかいない。
だから何を聞かれても解答出来たし、根本的な技術やその欠点も掌握していたから、全く隙はなかった。
おそらく、周囲の反応からして、あそこまで徹底したのは多分自分だけだったんだろうと思う。
戦いは自らを知り、いくつカードを切れるように持てるか、で決まる。
その時、自分の背後に一切の不安要素がなくなるまで煮詰めていく行程は確かにかなり大変だし時間もかかる。
ただそのカードを増やすことが重要なのだけれども、いつ、どうやってカードを切るかの戦術自体はプレゼンの「読み原稿」として起こす。
最初の一年は結構それが重要だった。
次の年から、「勝利条件」と「撃破目標」さえはっきりしていれば良かった。
良く資料を作る際、そう、大学のレポートだってそうだ、「正解に近い情報を知りもせず羅列する」事が、多分多くの人がやる事だと思うけれども。
私が自分で行うプレゼン資料自体は、作成=戦術に変わっていったのです。
隅々に置くべき情報を置き、置かなくて良い情報は省き、順序をそろえ、自分が配置したオブジェクト一つ一つに意味を持たせていく。
こうすれば、資料ができあがった時に私の発表内容は全てプレゼン資料に収まっているのです。
原稿を用意する必要などありません。
なぜなら、説明する相手は資料を読んでもらいたいわけではないからです。
当然読み原稿を覚えても仕方がないわけですね。
それからは仕事の量が一気に減りました。
これを天職と呼ばずして何を天職というか。
充分な賃金をもらい、時間も余裕があり休みはたっぷり、そして仕事は恐ろしく順調で楽しい。
元々開発したいと思って、大学を目指し、大学ではOBにお願いし、そして一直線に上り詰めたとこ、そう言う感じでしたね。
まあ、当然転々と作ったものの手直しや云々で出張も多かったですけれど。
そう言う第一線からは一旦退きましたが、自分のこの技術はあの仕事をしている際に身に付いたものでした。
全体を俯瞰して全てを掌握する。
そしてそれは、子供の頃から夢見ていた、何でも知っていて何でも出来る人間のソレとも近いものじゃないかとは思っています。
ただし、私の場合はそれが機械的なものに限る訳です。
しかも、知ってる訳ではなくて、見て理解する。知らなくて良いし、説明もできなくても見れば全て判る。
考えたら反則的な技術だと思いますが、どうやって身につけたのか自分で理解していないので教えることができないのが難点ですね(笑)
近いことは、師と仰ぐ男からも言われました。
「そこまで考えていつも走ってる癖に、なんで出来てることに気づかないの。判ってると思って説明してなかったよ」と。
超・感覚派なんです(笑)
理論派に見えるのは、ただめんどくさいぐらい論理的に話すことと、くどくどしつこいから、だけですね。