
10/2、ブルーインパルス予行の撮影ポイントを決めてから、フライトには間があったので「航空プラザ」のテラスで休んでいると、テーブルの向こう側に50歳台の男性がひとり。
目が合った。どちらからともなく話しかける。聞けば埼玉から来られたそうな。同じくヒコーキ撮りが目的だが初心者だと謙遜される。ほんの小一時間のうちに、私はその方から航空自衛隊員について核心を突いたお話を聞けたのだった。
写真のパイロットは本人ではありません。
私「小松基地はF-15のメッカです。隊員は寸暇を惜しむように、滑走路の周囲に設置されたジョギングコースを走っています」
埼「よく知っています。私の息子があれに乗っています」
私「えっ!?」
埼「F-15のパイロットで、現在千歳基地にいます。ほとんど埼玉の実家へ帰ってきません」
私「私の息子はパイロットではありませんが、別の理由でほとんど帰ってきません(笑)」
埼「埼玉の実家は、入間基地と厚木基地が近くにあって、幼少の頃からパイロットにあこがれていたようです。私の仕事の関係でアメリカでの生活も経験しています。航空自衛隊へは、法○大学を中退し入隊しました。最初は、防府の教育隊で隊員としての基礎をみっちり。操縦はプロペラ練習機から始めて14年間、ようやく念願のF-15に単独で乗れるようになりました。私が隊を訪れると幹部の方は非常に親切です。でも、『入ったからには訓練といえども命を落す覚悟だけはしておいてくれ』と」
私「小松にもT-4練習機があります。上官からの罵詈雑言に対して、いつでも文句ひとつ言わずに『ハイッ』です。これが14年間も続くとなると、相当の精神力が要りますね」
埼「精神力は大切です。それと小学生のとき野球、高校に入ってから陸上をやりまして、精神力と体力の基礎はその時得たのでしょう。今はトレーニングによって筋骨隆々で、体脂肪率は6%台をキープしています」
私「ところで、ほとんど実家に帰れないというのはどんな理由で?」
埼「ひとことで言えば、忙しいといったところでしょうか。戦闘機乗りは毎日が戦いなのです。ちょっと気を緩めるとたちまち脱落です。心身の健康度は定期的にチェックされ、歯・目はもちろん大切ですし8Gに耐え得る体かどうか厳しく検査を受けます。腰痛が出たなどとばれようものなら、自分の座を虎視眈々と狙っているライバルが喜ぶことになります。常に向上心を持って健康に留意しなきゃ。酒・タバコはダメ。
それに自分の時間があってないようなものですから。非常召集にはいつでも急行できるよう、自分の現在の居所を報告しておかねばなりませんしね。外出となると制服ですし、私用の携帯も持たせてはくれません」
私「ふーむ、イーグルドライバの道は厳しいですね」
埼「その代わり衣食住は全部、パンツまで支給品です。隊にいる限り生活上の不都合はありません。貯金もだいぶ貯まったことでしょう」
私「自由時間がないということは、結婚のチャンスも少ないということですね」
埼「年に何度か、合コン・パーテイがあります。でも、隊員は女の子にお金を巻き上げられるだけの存在です(笑)。一生独身の隊員もいます」
私「話は変わりますが、F-15に冷房って付いてるんですか?」
埼「付いています」
私「カメラは?」
埼「自分がF-15に乗っている姿を撮ってくれと息子から言われているんですが、急いでいたためしょぼいレンズしか持ってきてなくて。自分の機じゃなくて仲間の写真でもいいと言われているんですが」
私「貴重なフェンスの中のお話、ありがとうございました。そろそろ『仕事場』に戻ります」
埼「じゃあ、どうも」
先の大戦では、多くの優秀な若者が南方の空に散っていった。これらの方々が生きておられたら、日本は現在とはまったく違った道を歩んでいるかもしれない。
Posted at 2010/10/04 21:47:05 | |
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