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zymol 初心者のブログ一覧

2010年06月01日 イイね!

ネトウヨ

ネトウヨという言葉がWeb上に流れている。
ねとうよ・・・・寝とうよ・・・・・寝ているよ、がなまったものなのかなと最初思った。それにしても、その語源、活用法などがあいまいで、よく理解できないでいた。
NEETなら語源ほか使用法は手に取るほどよくわかる。頭文字をほどいて日本語に並べてみれば誰でもが分かる。しかし、「ねとうよ」はなかなか分からなかった。私こそが情報弱者かもしれないとも思った。いや、焦った。かつて美しかった日本語、その乱れは尋常ではないことは従来から指摘されていた。

その後、おぼろげながらも、「寝とうよ」が「ネットウヨク」の略であることが分かったとき、ではその定義と用法は?使用するひとたちはどんなひと?など調べていくうち、じゃああなた方は本当の右翼のことを知っているのかを訊ねたい衝動に駆られた。

浅沼稲次郎暗殺事件(あさぬまいねじろうあんさつじけん)とは、昭和35年10月12日、東京都千代田区の日比谷公会堂において、演説中の日本社会党委員長・浅沼稲次郎が、17歳の右翼少年・山口二矢に暗殺された事件である。
これについては、当時、他人の家のTVでその瞬間を見、以来右翼とは恐ろしいことを本気で実行する思想だと恐怖すら覚えたものだ。民主主義否定の亡国思想だとも思った。

そして現在の、ネトウヨである。
どうやら両者には根本的違いがあると気づいた。気づいたのが遅かっただけである。何せ、情報弱者なのだから。

多くのマスコミが真実を伝えなくなってから、彼らの情報源の多くはインターネット上から得るほかなく、仲間内で情報交換などを行うのが特徴らしい。思想と呼ばれるには、勉強不足甚だしくとても歴史に偉業として残される類の思想などではない。

じゃあ、自分はどうなのか自問した。過去、小ブログにもそのことを書いた。右翼左翼と言ったところで時代の流れで基準は大きく変わり、とても定義づけは難しいと書いた。中道こそ難しい。
基準が変わるから、彼らや私の立場も変わる。こんな曖昧な「基準」であるゆえに、たとえネット上の流行語だとしても認めるわけにいかない。

しかも、インターネット上で匿名という名の隠れ蓑に潜んで、自らは弾の飛んでこない場所から、その時々に色んな鉄砲を撃っている。よく弾切れしないものだと思うが、どこかにとてつもなく大きな倉庫でもあるのだろう。あるいは、運び屋が手を変え品を変えして提供してくれるのかもしれない。
面白い時代になったものだ。
自分に引き当てて考えれば、およそ見当が付く。たまには矛盾の中に身を置くのもいいものだ。

山口二矢以外にも右翼と呼ばれた集団がいた。いた、というのは現在はいないということではない。弱小化により目立たなくなっただけである。街宣車に乗って大音響で軍歌を流すのは右翼ではない。左翼なんかでもない。まったく別の裕福な組織だ。不景気の折、ほとんど出てこないだろう?本来裕福なのに、景気に左右される右翼や左翼なんておかしくないだろうか。それにしても威勢がいい。元気だ。いつも何を食べているのだろう。

作家、故三島由紀夫は、文壇で不動の位置を占めていた。資産家でもあった彼は、私財を投じて「楯の会」を結成、市ケ谷で自ら最期を遂げる。私は、彼こそが本当に国を憂い天下国家を論じてその正当性を命を懸けて闘った右翼だと思う。最期の報に接したのは、仕事中の山奥である。ジープの中波受信機で知った。しばらくは、ねとうよ状態になった。作品に傾倒していた時期があったからである。

転じて現代のネトウヨ、そこまでできるのだろうか。いわば自殺なのだが、三島は自らの思想が当時の社会情勢では異端とされたから、武士道の作法により身を殉じたのだ。

苦労せずに育った団塊の世代以降、「自由」を盾に弾の飛んでこない場所から下手な鉄砲を撃っている。笑止千万である。たしかに、なかには敬服に値する格調高い文をもって、あたかも三島を演じるかたもいる。
が、絶対に長続きしないし、第一本当の鉄砲すら撃ったことがないであろう。いいかげんに、そんなことで国は変えられないことに気づくべきだと思うのだが。
なぜか。
あなた方の鉄砲の射程距離や、あいまいな的に向かって射る弾丸では決して敵に届かないからである。   だが・・・・・・・
敵の発射した弾丸が自分の耳元を衝撃波でつんざいてゆく恐怖に耐えられるなら、私は批判をやめその軍門に下る。

*非コメ解除します。
Posted at 2010/06/01 22:38:10 | コメント(2) | トラックバック(0) | Internet | 日記
2010年06月01日 イイね!

法治国家

今日から6月である。無事にここまで来れたのは、かろうじて日本国が「法治国家」の体をなしているからである。
国家の基本法である日本国憲法は、成り立ちと内容が戦後アメリカから半ば強要されたものとはいえ、今日まで日本国民を守ってきた。

言論の自由や表現の自由などなど、考え方によっては自由奔放なこれら生活態度が、何でも許されるといった都合主義的発言をこれまでメディアや国家指導者、そして一個人までもが許容されると思い込んでしてきた。もちろん、かくいう私も例外ではない。

しかし、本当にそれは永久に存続し国民を守ってくれる「万能の盾」だろうか。よく考えてみたい。

いま、国家が破綻しかけているギリシアでさえ「法治国家」である。否、民主主義の本家本元ではないか。憲法はもちろん国民生活を守り国家の平和と繁栄を謳いあげている。であるにもかかわらず、毎日のようにいたるところで暴動が起きている。

翻って日本はどうか。
国土のすべてを海に囲まれ、長い間鎖国であった。それでも栄えた。理由は私が語るまでもない。
日本の現状をつぶさに眺めるならば、永劫しあわせで豊かな未来が約束されているなどと、誰が断言できようか。宮崎東部の畜舎はいま空である。

東シナ海のガス田の利権を巡っては、当初の日本の思惑は大きく外れ、国益さえ失おうとしている。
沖ノ鳥島を「ただの岩」だと主張して止まない国もある。そうした事例は枚挙の暇さえない。

では「法治国家」の「法」とはどのような適用をいうのか。
誤解を恐れずに一言でいうなら、それは「自国」の理想を掲げた単なる自己満足の集大成でしかないということである。もともと民主主義を掲げていない外国からみれば、じつに「ちゃんちゃらおかしい作文」にすぎない。

いまではどこの国にも法体系が整備され、表向きは独立した民主国家のように見える。だが本当にそうだろうか。
国際法など、ないも等しいではないか。

結局は、わが身を守るのは自分である。そうはいっても、非武装国民のすべては身を守る術がないし自衛隊はがんじがらめで身動きひとつ取れない。これが実態である。

国家侵略にあたっては暴力だけが武器ではない。各々の国のエゴによる「非武装侵略」こそが、「合法的」な「槍」と「よろい」をまとって密かに攻めてくるから国民には知りようがない。

取り急ぎゆえ拙文お許しを。


*本件に関しては、各位安全上の観点より非コメント扱いとさせていただきます。


Posted at 2010/06/01 12:57:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | History | 日記

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