
2009年11月、KOMATSU AIR BASE航空祭が終わると、すぐに私たちは再びヨーロッパに旅立った。
今回はANAではなく、格安のALITALIA航空だった。その日は大安だったからハネムーンカップルで満席だった。
航路は、関空から北極圏周りでローマへ。昼過ぎに発ったからシベリアの大地は闇の中で見えなかった。夕暮れの時刻、西の地平線に夕焼けを見た。だが、いつまで経っても夕焼けは続いた。地球の自転方向とは逆に進む飛行機が、極地の近くを飛んでいれば納得がいく。
夜明けには間のある時刻にローマに着いた。写真はそのときの機窓から見たレオナルド・ダ・ヴィンチ空港近くの夜景。
ナポリでも新市庁舎を建てようと地下を掘ると、そこには古代ナポリ軍港の遺跡が出現、工事は止まったままだった。このことはローマでも同じだった。
イタリアでは、北部が南部を養っているのだという。ミラノやベネツィアは北イタリアで稼ぎ頭なのに比べ、南イタリアは古代ローマ遺跡を中心とした観光地しかなく、何かしようと地下を掘れば遺跡が出てくるんじゃ都市の発展はたやすくない。
ローマでは、「真実の口」に手を入れてみたが難なく手は出てきた。
コロッセオ・・・この狂気の建造物は、そのときまだ観ていない映画「グラディエーター」を髣髴とさせた。後に「グラディエーター」を何度も観たのだった。
トレビの泉ではガイドから注意を促された。「あそこの一団、あれジプシーよ。決して近づかないで。まるで魔法のように人の懐から金目の物を盗む。何回実演を見せられても、その芸術的手法を見破れなかった」と。
命から2番目に大事なパスポートがちゃんと定位置にあるか、そっと確かめた。
トレビの泉は、その格調の高い彫刻と噴水が見事に調和していた。泉に背を向けてコインを投げるともう一度ローマに来れるということわざに、さていくら投ずればいいのか迷ったが、とりあえず50ユーロセントを投げ入れた。ケチったせいか、いまだに旅に出れないでいる。1ユーロにすればよかったなー^^。
映画「終着駅」でおなじみのSTAZIONE TERMINIの近くが集合場所だった。しかし、日が暮れると方角が分からなくなった。石造りの「高層建造物」が視界をさえぎる。ここは現地の人に聞くしかない。イタリア語は分からなくても英語さえカタコトでしゃべれれば、とりあえず迷子になることはない。
アルプスを越えて、向かった先はパリ。花の都パリだ。
11月に入り、ちょうどパリはクリスマス一色だった。商店街には華やかな電飾がきらめき、シャンゼリーゼ通りの先のエッフェル塔も、たぶんコンピュータ制御であろう電飾が七色に変化していた。エッフェル塔建造120年目で、クリスマスと合わせると七色電飾になったらしい。ラッキーとはこのことだ。
とくにシャイヨー宮から見るエッフェル塔は絶景だった。塔の股の間に見えるのは、ナポレオンも出た陸軍士官学校。
この時期、パリの人々は何時になったら眠りにつくのだろうか。
ハネムーンの若者たちから「お父さん」という尊称をすでに与えられていた私は、エッフェル塔を背景に彼らの集合写真を何枚も撮った。帰ってから旅行会社経由で彼らに配ろうと思ったのだが、「個人情報保護法」がそれを妨げた。残念なことだ。
モンマルトルの丘には画家たちが集まっていた。あまり商売気のない画家たちは、それでもこの丘の重要な住人たちだった。
遠く見渡せば、パリ市内が一望できた。
フォトギャラ入口↓
Posted at 2012/10/27 17:22:32 | |
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