米子城跡三の丸フェスや米子の街うろうろ徘徊の後も歩き足らぬ気がして、グーグルマップで適当な高さの山を選んで登ってみることにしました。
それが初めて登る安田要害山(安田要害山城跡)です。
安田要害山城跡は、尼子氏の本城の月山富田城とそれを守る10の支城の尼子十旗(あまごじっき)との間を繋ぐ10の城砦「尼子十砦(あまごじっさい)」の1つです。
安田要害山の登山口は長台寺にあると調べるも、現地近くではナビは頼りにならず、あらぬ山中に入り込んでさまよう嵌めに。 最後は案内看板を頼りになんとか長台寺に辿り着けました。
長台寺ではお寺の人の気配が無く、ここに車を停めて良いのかな?と戸惑っていると、後から軽自動車で来て靴紐を締め直してる人がいつもここに停めてると言うので安心することが出来ました。
なお、今回のぷち登山のお供はWONDA缶コーヒーおまけのインプレッサWRC2006です。
ワンダWRCラリージャパン公認プルバックカーコレクション全5種のうちの1つ。
ミニカー撮影してる間に先に登って行った人を追って、仁王門を潜り長台寺の境内へ侵入。
既に先行者の姿は見えず。 石段を上って行きます。
長台寺
参拝させて頂きました。(-人-)
この長台寺本堂の裏手が登山口となっています。
長台寺と要害山の案内(由来)、要害城山(281m)については説明文の終盤に。
尼子時代の古城跡。 山頂からは眺望佳絶。 また、登山道には88個の地蔵があります。
山頂までは1130mの道のりとある。 それでは14時57分、登山スタートです。
登山口の石段を上るとすぐに神社の祠。 お寺の裏に神社あり。
ここでも参拝させて頂きました。(-人-)
神社の祠の左側からけっこうな登山道が続きます。
すぐにはぁはぁぜぇぜぇ有酸素運動状態となる。
登山道にはお地蔵さんが点々と。 88個の地蔵があるという。
武者だまりを通過。 このように城跡の案内看板があるのは分かりやすくて嬉しいです。
鐘突堂跡。 これは城跡というよりお寺の建物跡かな。
勾配を登ってピークを越え尾根を歩く、また勾配を登ってピークを越え尾根を歩く。
その繰り返しが続く。
八幡成との案内看板が立っていた平坦なスペース。 郭跡のことかな?
けさかけの松。 朽ちて倒れてる松の木がある。
案内看板はもはや城跡は関係なくノンジャンルのようだ。
右斜め上に行くと大成平という場所に。 でもそっちには行かず左側の登山道を進みます。
夫婦松って? ここに松の木の根が残るのみで夫婦松の在りし日の姿はもう見られない。
七曲坂。 山頂まで210mのラストスパート。
七曲がりの坂だけにつづら折りに登る。 一段一段が高くてキツい階段が続きます。
そして、山上部まで登ってきました。 あとはなだらかな道を歩く。
山上部はとても整備されてて気持ち良く開けた空間となってます。
山頂の主郭跡に向けて郭跡が段階状になっており城跡の構造が分かりやすいです。
15時23分、山頂の主郭跡に到達です。
安田要害山(標高281.2m)の説明板。
戦国期には尼子勢の城塞が築かれるも、毛利勢に攻められ攻防争奪の末に1565年に落城。
山頂では先に登って行った人が待っていてくれてました。 登山中は全然追い付けなかったです。
そして、いろいろと登山情報を教えてくれるので、まだ登ったことない山のこととか興味深く。
お隣に見える山は母塚山で、山頂には観音像が立っている。 よく見ると車もある。
山頂まで車で上れる母塚山からここ安田要害山まで縦走できるそうなのでいつか挑戦してみたい。
安田要害山の山頂からの眺めはとても良かったです。
大山がまっすぐ良く見えました。
米子城跡がある湊山です。 午前中は三の丸フェスに行ってましたね。
安田要害山の山頂はまさに眺望佳絶。 とても良い場所なのでまたここに訪れたいと思いました。
というので、安田要害山(安田要害山城跡)はひとまずの攻略としました。
16時12分、下山。
お地蔵さんにお尻を向けてしまってるのでここは次回は前向き駐車が良いだろう。
最後に、安田要害山(安田要害山城跡)の遠景をバックに。
この日は米子城跡三の丸フェスや安田要害山登山などで歩数計は23,185歩。
帰宅後の体重測定では年初来はおろか、ここ10数年で最軽量のハイブリッド化が進んでました。
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カマロ | 日記
Posted at
2021/03/31 22:02:39