一昨年の7/7に以下の様な内容のブログを記載しました。
この記事は、
盧溝橋事件の日について書いています。
※以下引用文
7月7日は七夕祭りの日でもありますが、日中関係やら歴史認識問題を語る上では、一つの重大事件が起きた日でもあります。
1937年(昭和12年)7月7日、北京(北平)南方向の盧溝橋にて演習中の我が帝国陸軍に対し不法に撃ち込まれた一発の弾丸が元となり、現地近くに居た中国国民革命軍第二十九軍との間に武力衝突が発生しました。世に言う盧溝橋事件であります。
今ではこの一発の弾丸は中国共産党軍、ひいては其の後ろに付くソビエト・コミンテルンによって仕組まれた罠であると判明しております。即ち当時明治以降、おびただしい血を流して得た朝鮮・満州国という大陸への勢力圏=防衛圏を引いていた我が国と国民党軍とを争わせて共倒れを狙い、一挙にユーラシア大陸を赤化・共産主義化させる目的を以てなされていたのです(赤化した国々の民がどの様な悲惨な末路を辿ったかは歴史の示す通り)。
しかし、この盧溝橋事件自体は現地での停戦協定に依って解決。問題は其の後、7月28日に入り、通州という都市に老いて我が国の守備隊と居留民が国民党軍に依って虐殺されると云う悲劇が起きました。
中国大陸を含めた東亜の安定を願う我が国の真意を解せず、国民党軍は利権を狙う米英を筆頭とする傀儡に成り下がり、其の援助を得、共産党軍と共に無闇な反日・抗日戦争に打って出た訳であります。
事此処に至らばやむ無し。遂に我が国は在留邦人と、共産党・国民党に依る内戦と悪政、搾取に苦しむ現地人を救うべく、立ち上がったのでありました。
世に言う支那(中国の別称)事変、日中戦争の始まりであります。
無論精強なる我帝国陸海軍の前に敵は無く、北京から上海、南京と大陸沿岸主要都市に次々と翻る日章旗。其の御旗の元に秩序は回復し、荒廃した大陸各地から人々は次々と集まって参りました。幸いにして親日政権樹立もなりましたが、相変わらず奥地の重慶に逃げ込んだ国民党軍と、各地でゲリラ戦を展開する共産党軍は無意味な抵抗をするに止まりました。
事変発生から一年半も経つと戦線も安定&膠着。その間に我が国がしたことと言えば、ひたすらに占領地の安定化、鉄道網を筆頭としたインフラ整備に邁進したのでありました。
ただ、惜しむらくは後に発生した大東亜戦争に於ける武力戦の敗退に依り、我が国は大陸からは全面撤退。内戦に破れた国民党は台湾に逃れ、ユーラシア大陸はソ連・中国共産党の支配下へ、朝鮮半島は戦争を経て南北に分断されるなど、現代に繋がる東亜問題の禍根を残す形となったのであります。
現代に於けるロシア、中国、北朝鮮、韓国を筆頭とする特亜諸国の増長、反日的言動、領土問題は将に戦後から現代に至る難事であります。
ひたすらに東亜の安定・平和を願って戦い、植民地や占領地に対しては治安安定化や近代化を推し進めた先人達(赤字経営であったとの由)。其に対し「侵略だ」等と言う勢力こそが、正に歴史歪曲を図る者達であると認識せねばなりません。
歴史にIfはありませんが、もしあの時、我が国と国民党政府とが手を結んで共産党軍を殲滅し、満州国を安定化してソ連の南下を防ぎ、朝鮮を守り、米英の野望を挫く事が出来ていたならば?
今よりはマシな東亜になっていたのではないか?と、思えてなりません。
※以上引用終わり。
此に対して本日以下の様なコメントが入りました。
※以下引用文
T☆ARA
<1937年(昭和12年)7月7日、北京(北平)南方向の盧溝橋にて演習中の我が帝国陸軍に対し不法に撃ち込まれた一発の弾丸が元となり>
当時の回想では上空を通過する2発の銃弾とあります。
可成り高空を通り過ぎたようで、当然被害者はありません。
本当に銃撃があったのか謎です。
コミュンテル発砲説も無理があります。
解っていることは「発砲があったようだ」「用便で点呼に遅れた日本兵が居て騒ぎになった」その2つの事実
盧溝橋へ行ったことがありますか?
北京からタクシーで行けます。
紫禁城からおおむね15~20キロ程度の場所で
東京に例えるなら皇居から1号線を15キロ西へいった
多摩川堤防あたりです。
そんな場所で外国の軍隊が連隊(5千人規模)の演習を行えば
ヤンキーが爆竹ならしたくらいでも
軍事的衝突が起ります。
日本軍が挑発してことは間違いないでしょう。
※以上引用終わり
其に対して私は以下の様に返信しました。
※以下引用文。
ブログへのコメント、ありがとうございます。
日本軍が現地に居たのは北京議定書に基づくもので、何等違法行為ではありません。確かに法人保護の名目で其の後各国軍隊が撤収する中で居座り続けたのは賛否両論かもしれませんが、内戦続く最中にはやむを得ないことであります。
現に手薄なところを狙って日本人虐殺の通州事件が起きてますから。
戦後に中共軍政治部発行の初級革命教科書のなかに「蘆溝橋事件は中共北方局の工作である」と記述した資料があるとのことであり、中共による謀略の疑いも大きいです。
現地解決・不拡大方針を目指した日本軍がわざわざ挑発しますか?そちらの方が疑問が残ります。
※スクリーンショット
※以上引用終わり。
何故わざわざ斯様なブログを記載したかと言いますと、あまりにも薄っぺらい歴史知識を振りかざして反日侮蔑的な議論を振りかざして来たことに腸(はらわた)の煮えくりかえる思いをしたからであります。
私の書いてあることはちょっと歴史を勉強すればすぐにわかる程度のことであります。なんならWikipediaで「盧溝橋事件」と調べればすぐに詳しくわかります。
私自身は個人的には色々な考え、意見や立場、価値観があるのは良いと思って居ます。
但し、浅はかな歴史知識で戦地に散った帝国陸海軍の偉大なる英霊の方々、先人を侮辱することだけは断じて許せません。
そもそも余程のことが無ければ飢餓の恐れなくたらふく飯を食べられ、好き放題に物事を言ったり政治を批判しても投獄されず、空から爆弾が降って来る心配の無い平和な現代日本での生活を謳歌出来るのは一体誰のおかげかなのか?考えたことは御座いますか?
其は戦地で散った260万を越える英霊の方々の累々と積み重ねられた屍と、流された膨大な血と汗と涙の上に成り立って居るものなのであります。
其の様な偉大なる先人達に対して、平和に生きる我々がどうして冒涜するような事を言えましょうか?恥知らず、恩知らずにも程があります。
無論戦争でありますから、我が国に加害の側面があったとするのは否定致しません。大東亜戦争に自衛とアジア解放の目的があった一方で南方資源地帯制圧・獲得を第一とする部分があったとするのも、其が功罪両面であるのも又事実であります。
しかし、其は既にABC級戦犯(と言っても一方的に敗者を裁くのは疑問視されますが)として処刑された1000人以上の昭和殉難者の方々の命と、戦後アジア各国へ向けて行われた賠償・補償や経済支援で償われております。
只、恩給等で元軍人・軍属の方々への補償が充実して居る一方で、本土空襲や原爆等の民間人被害者の方々に対してはまだまだ不十分という実情も忘れてはなりません。当時の方々の高齢化が進む昨今、政府はしっかりとした対応を急ぐべきであります。
こうした様々な部分を踏まえた上でも、浅はかな知識だけを振りかざして来る輩は正直うざったいのであります。
まあ、所詮サヨクは其の程度の奴なのですが(苦笑)
もう少し帝国陸海軍と神州日本の歴史を勉強して出直して来なさい。と言いたいところであります。