
ここに書くべきではないとも思った。
何かしらまわりの人にも迷惑かけることになるだろうから。
けど僕にはこうすることでしか伝えられない。
そして一旦全てをリセットして前に進みたいから。
許してほしい。
最初におかしいと思ったのは何気ないメールだった。
なんでもない一文だったけれど、ん?って感じでちょっと様子がおかしいような気がした。
今思えばあの時電話すれば良かったと思う。
いずれにせよ結果は変わらないけれど。
数日後、また「あれ?おかしいな~?」って思うことがあった。
その1週間後、ほんとに何かがおかしいことに気づいた。
だけど、その時には彼の8は彼のものではなくなっていた。
過去を振り返るには良い機会だ。
これまでの全てを振り返っておこう。
※以下、読み切るには多大な時間を要しますのでご注意ください。
僕の人生、頭の中はほとんどがクルマで埋まっている。
そんな僕がRX-8を買ってもう5年以上になるけれど、純粋に8と付き合ったのは最初の1年。
(純粋とかっておかしいけどね。)
それからはStolz RE clubと合わせての8との付き合いになった。
だから僕と8との付き合いはStolzとともにある。
みんカラは8を買うことをきっかけに始めた。
なんではじめたのかはよく覚えていないけれど、多分、納車待ちのワクワクを抑えきれず文章にしてみたかったんだと思う。
これをきっかけに誰かと会うことになるなんてことは考えてもなかった。その点は間違いない。
だけど、2007年の秋ごろ、みんカラ友達のlittle_YUUくん(同じ石川県でストーミーブルーの8乗り)に会ってみようと誘われ会うことになる。
同じ色の8をまだ他で見かけたことがなかったのでちょっと興味があった。
そして数日後、feedrx7さんのブログで、ロータリー車が集まるミーティングが金沢であることを知り、little_YUUくんから「面白そうだから行ってみようよ!」と誘われ行くことに。
正直、「え~?ほんとに行くの~?」って感じだった。
知らない人ばかりの集まりなんて、苦手意識もあって不安しかなかったので全く乗り気になれなかった。
けど行ってみると心境が一転。
興奮と感動覚めやらぬ夜を過ごすことになる。
Stolz RE clubの起源は、この年の夏、間瀬サーキットにロータリー車が集まった時から始まってるんだけど、まだクラブ名はなかった。(もっと元を辿ればHSR時代にまでさかのぼるんだけれどね。)
このミーティングの時もまだ名前はないけれど、今の形として始動しはじめる瞬間だった。
その翌月、ツーリングが企画されていたので、それには喜んで参加した。
もう前の自分ではなくなっていたし不安はひとつもなかった。
そこでツーリングの素晴らしさ、楽しさを知ることになるのだけれど、その時の集合場所にそれまで見たことがないインパクトの8がいた。
それが彼との出会いだった。
ツーリングは福井まで行きそこで食事。
その席で彼の横に座ることになる。
自己紹介とアドレス交換、その後少し会話しただけだったけれど、一周り近く年下の僕に対しても礼儀正しく、対応が丁寧な人だった。
親しみやすさと同時にエネルギーを感じた。
その数週間後、広報のK氏から連絡があり、S会長が独立前に勤務していた北陸マツダに呼び出された。
行ってみるとS会長とK氏がいて笑顔で迎えてくれた。
話はStolz RE clubとして今後本格的に盛り上げていくため、8のまとめ役が欲しい。
それをやってみないか?というものだった。
僕はミーティングやツーリングで興奮しっぱなしの状態だったので、自分がこの活動に携われるのであればと喜んで引き受けることにした。
この楽しさをもっと多くの人に知ってもらいたいと強く思っていた所だったので、とてもタイミングが良かった。
でもちょっと不安だな、とも思ったけれどさらに続きがあり、ツーリングで出会った彼が8のリーダーをやってくれることが決まっている、僕は副リーダーということだった。
えっ?!それはすごい♪
最初の不安はすでになくなり、これは面白いことになる!とその瞬間に成功を確信していた。
そういえばなんで僕だったんだろう?その点は今でも知らないけれど。
2008年、Stolz RE clubが本格的に始動することになる。
すでにミーティング、幹部会などで、彼とは何度か顔を合わせていた。
けれど、まだしっかりとした意思疎通はできてなかった。
一度ゆっくり話がしたかったので二人で会おうと誘うことにした。
雪がとけた頃、松任アピタの駐車場で彼と再度対面することになるのであるが、すぐにお互いの考えが似通っていることがわかった。
不思議とベクトル、波長、全てが合っているような感じで何の違和感もなかった。
彼の人との付き合いのうまさがあってのものであるのは間違いないが、相性の良さは疑いようがない。
非常に気持ちの良い出会いだった。
それから、毎月定例のミーティングが行われ、その都度、事前に幹部会が行われるようになる。
通常のミーティング、ツーリングなどの企画であればさほど問題はないが、大変なのはサーキットで行う年に1回のビッグイベントだ。
特に最初のタカスサーキットで行ったイベントの際は、かなり頻繁に打ち合わせが行われた。
同じロータリーエンジン搭載車。しかし、RX-7とRX-8だけとってみてもコンセプトは大きく違う。
当然オーナー層、オーナーの感性、求めているものも違い、その中でさらに街乗り派とサーキット派となるとその壁はさらに高い。
しかし、それらを同じ会場に、それもみんながサーキット走行することを前提に呼び込まなければならない。
Stolz RE clubがサーキットで行うイベントは、サーキットに集まるだけではなく、参加者みんなが走る。
ロータリー搭載車であれば車種問わず、FD、FC、RX-8、コスモ、ルーチェ、みんな一緒に走ることができる。
この点はStolz RE clubの根幹ともいえる特徴である。
サーキットが初めての初心者でも安心して参加できるよう、大きなサポートが用意されている。
幹部会では様々なことが話合われ意見が活発に交わされる。
全てが良い意見で無駄なものなど何ひとつない。
しかし、前述のようにビッグイベントとなるとターゲットの見極めは非常に難しい。
イベントの方向性、参加料金を含め考えなければないらない要素はたくさんあるが、その線引きに難儀する。
営利目的ではなく赤字も覚悟の上ではあるが、リスクは避けなければならない。
何かを立てれば何かを失うリスクが増す。
有意義な議論がなされるが、大きな決定には皆頭を悩ます。
ひとつの決定で悪い方向に傾く可能性があり、決定には慎重にならざるをえないからだ。
しかし、その中で彼は違っていた。
妥協点、折り合いをつけるポイントを見事に判断しズバッと決定打を出してくる。
当然その後には、じゃぁここはどうする?という話になるが、その点もこうすればいいと結論を出してくれる。
この決定力、決断力は彼ならでは。
割り切りと思い切りのよさ、その点の読みはO代表、S会長ですらかなわない点ではないかと思う。
Stolzとは「誇り」という意味である。
メンバーがメンバーであることを誇りに思えるクラブ。
ミーティング、ツーリング、サーキットを貸し切ってのビッグイベントなど、Stolzは幾度も成功させてきた。
O代表、S会長は言うまでもなく、平凡なスケールでは計ることができないものすごい人だけれど、彼の力もそれに匹敵するものがあった。
だから彼の力はStolzに多大な貢献をもたらしており、彼抜きでこれまでと同じことをしようとしてもできなかったことは明白である。
そんな彼と僕は非常に親密な関係を築くことができた。
彼はサーキットにどんどんはまっていったが、僕は変わることはなかった。
しかし、そのバランスも自分で言うのもあれであるが絶妙であったと思う。
イベントの際は双方の観点から意見を出すことができる。
幹部会のあとは2人でらーめん屋に行くのが僕らの定番だった。
そこでさらに、あ~だこ~だと話が続く。
時には不満をぶちまけたり、なんでも相談し合える仲だった。
何かあれば電話し、Stolzのこと、クルマの改造のこと、なんでも相談する。
彼と驚くほど似通っているのが、好み、センスだ。
彼がルックスを変えるようなパーツを買うときは、これどう思う?と相談される。
ここはいいけどここがね、と言うと、やっぱりそうだよね~と彼も同じことを思っている。
車種、エアロパーツ、ホイールなどの好み、ほんとに些細な部分についても見事にお互いがそこに着目しているといった感じである。
そんなことが何度もあった。
なんの話にしても意見は大概一緒。
違ったとしてもベクトルまで違うことはまずない。
僕が彼を尊敬しているのは当たり前のことであるが、彼も僕に対して敬意を払って接してくれる。
また彼の奥さんもよくできた素晴らしい方であった。
飲み会の後は家に泊まらせてもらったこともあり、色々気をつかって頂いた。
イベントでも率先して協力してくれる人で、うちの嫁とも仲よくしてもらえた。
さらに彼の交友関係はとても広く、もともとはR-3や8RTから始まっていた。
その8RTからの流れで、8オーナーの雪宮さん、ツバイソさん、コスケさん、そして彼と僕が主要メンバーの「食いしん坊倶楽部」という、うまいものを食べに行くだけのクラブがあり、それにも頻繁に誘って頂いた。
最初は皆8で集結していたが、今では誰も8に乗ってくるものはいなくなった。
目的地はほとんどが能登であったが、セカンドカーなどに乗合い現地に向かう。
おかしなことかもしれないが、この形がオーナーズクラブの終着点とも言える姿、かもしれない。
ここでも色々楽しい思い出ができた。
そして彼のこととなると絶対外せないのが彼の8の存在だ。
僕は彼のファンであると同時に、彼の8のファンでもあった。
彼の8は言うまでもないがカッコイイ。
走りに関する点では純正部品を探すのが難しいぐらい手が加えられている。
何度か運転させてもらったことがあるが、初めて乗ったときは、笑えるぐらいに面白いクルマでビックリした。
コクピットに収まれば、体に触れるもの全てがノーマルの8と異なり、走りに関してはノーマルの8と比べると、フィーリングは自動車とカートの差と思えるほどのインパクトがある。
そして彼の8のエキゾーストノートも特徴的だ。
NAロータリーらしいハイトーンで素晴らしくいい音がする。
そんな魅力的な彼の8であるが、乗るにはそれなりの覚悟がいる。
コクピットに座れば文句なしに楽しい体験ができるが、その後、物欲に悩まされることになる。
僕にとって、一番乗りたい8であると同時に、一番乗りたくない8でもあった。
彼は仕事の都合で石川県にやってきた人であったが、地元の人以上に地元をよく知っていた。
グルメもよく知っているが、道をよく知っており、裏道(抜け道)を走らせたら地元の人でも驚くほどだ。
彼といればいろんなところに連れて行ってくれる。
僕は彼の後ろを走るのが好きだった。
常に最高のロータリーサウンドを聞きながらドライブできる。
さらに彼はオー○スの場所も熟知しているので安心だ。
リ○ッターに当たって置いて行かれてしまったこともあったけれど...。
そんなこんなで楽しくやってきた訳であるが、昨年自分自身に変化があった。
私事的なことなど色々なことが重なり活動へのモチベーションが急降下。
持ち直そうとしていたけど余計に負担になり、自分が何をしているのか、何がしたいのか、自分の存在意義などなにもかもわからなくなっていた。
メンバーにオープンにすることはなかったけど、幹部会で幹部から降りることを伝え、普通のメンバーとしてイベントには気が向いた時だけ行くことにした。
自分の行動が自分の意志なのか、義務感なのか、なにもわからなくなっていた。
なので実は昨年途中からは幹部として活動していない。
自分探しの時間としてこの時間は大事なものだったと思っているけど、今思えば彼に負担をかけていたと思う。
あの時は自分でいっぱいいっぱいだったし周りなんて全く見えてなかった。
その間も、連絡は頻繁にとっていたけど、今思い返せは彼からは悩み話が多かったように思う。
いろんなことがあった時期だった。
どんな話でも笑い話として笑ってたけれど、色々ありながらも一人で頑張っていたんだろうなと思い返すと今更ながら申し訳なく思う。
僕ももっと元気に接することができれば良かった。
あの時は支えになれずごめんなさい。
そして今年の春。
みんカラではツーリングの話なんかで盛り上がりをみせている他県の方の情報を多く目にするようになる。
昔は僕も色々考えてやってたなぁと懐かしく思うと同時に、自分はまだやりたいのかも?という気持ちが次第に大きくなってきていた。
調度そんな時、彼から電話があった。
内容は、また一緒にやろう、というものだった。
僕は彼が助けを必要としていることに応えたい気持ち、彼の後押し、高まりつつあった気持ちもあり、僕はやらせてもらえるのであればと、復帰することを決めた。
K氏がFDを手放し離脱することになり、実行部が手薄になったためではあるけれど、自分の気持ちとこのタイミングは見事にリンクしていた。
K氏がいなくなり、今年の活動の進行は彼が中心となった。
幹部会にしても議事などは事前にしっかり用意されており、取りまとめも完璧だった。
使命感なのかわからないけれど、自分がやるという意思に溢れていた。
その流れで4月のミーティングを順調に終える。
そして5月のナイトミーティング。
ここで冒頭の不可解な部分に戻るが、彼はこなかった。
ミーティングについては話が何もまとまっておらず、O代表も予定が入り欠席。
ドタバタの中、S会長と戸惑いながらもミーティングをこなすことになった。
そんな中でも参加メンバーが多かったこともあってうまく形になり、S会長も僕も安堵し非常に気持ちは充実していた。
僕の中では、彼に「ちゃんとやれましたよ~!大変だったんだから~」と報告したい思いでいっぱいだった。
その思いを彼に伝えたかった。
しかし、今だにそれはできていない。
現在、彼の8はGarage Attivoにあるらしい。(※過去形)
この春、エアロが全てリニューアルされてさらに変貌を遂げるはずだったのに、現在も以前の姿のまま。
新しいエアロはすでにA'myuにあるらしいが装着されていない。
僕の知っている情報はそれだけしかない。
それ以上を知る術がない。
なんでこんなことに?
昔ふと、転勤とかでいなくなってしまうことってあるのかな?彼がいなくなったらどうなる?と考えたことがある。
ずっと石川県にいるのか?と直接聞いたこともある。
ずっといる、という返答だったけれど、彼がいなくなることなんて想像もできないし、想像したくもなかったので考えないようにしていた。
だけどいつ何が起こるかわからないのは誰でも一緒だし、気持ちの中で何らかの覚悟はあったかもしれない。
でも、こんな形で事態が急変するなんてことは予想できるはずもなかった。
情報を耳にした時は、ショック、この先どうなる?といった感じの感想は出たけれど、その瞬間はまだそれを現実として受け入れていなかった。
しかし、時間がたち、夜になり、受け入れようとするほどに眠れなくなり、朝まで過去のことを考えてしまう。
最終的な結果が同じであったとしても、もっと一緒に楽しいことができたはずだった。
昨年の自分の離脱、空白の期間が悔やまれる。
ネオバ買った時、一緒にタカス走りに行こうって言ってくれたのに。
鈴鹿で行われるR-3ファイナルミーティングにも誘ってくれたのに。
間瀬でのビッグイベントのために盛り上げていくはずだったのに。
彼がいたから復帰することができたのに。
今年は久しぶりに一緒に走れるはずだった。
そんことよりも、自分のこと以上に彼の心境を思うとさらにつらい。
リニューアル目前にして、準備万端の中、なぜこんなことになる?
彼のクルマ、サーキットへの思いを知っているだけに本人のつらさは想像を絶するものがある。
僕だったら受け止められる自信が持てない。
それほどまでのことが起こっている。
これが悪い夢であってほしい。
毎日そう思う。
けど、おそらくこれが現実。
受け入れなければならないみたい。
僕にとっては、事情、経緯、何があったのかなんてどうだっていい。
Stolzもみんながいるからなんの問題もない。
そんなことより、いつでもいいからまたうまいもん食べに行こう!
言ってたじゃん。食いしん坊倶楽部はみんなが8を降りたときでもそのつながりを継続できるクラブだって。
だからこれまでの関係は終わらないしこれからも継続される。
何があってもそうあるべきだと思う。
アピタの駐車場で初めて1対1で対面したときのお気に入りの写真。
僕たちのスタートだった。
時を戻せるならこの瞬間に戻りたい。
でも下を向いてばかりいられない。
上記の長文は5日ほど前、朝まで眠れなかったので書き残してみた文章。
今では話が少し進んでいるし、気持ちも幾分楽になってきた。
先日、しゃちょうのとこでアライメントを取り直してきた。
A'myuのガレージには彼の8があった。
リニューアルのためAttivoから運ばれてきたようだ。
少し時間がかかりそうだけれど、リニューアルされた彼の8にまた出会える。
なんだかとんでもない変更も含んでいるようだけれど、詳細はあえて聞かないことにした。
出来上がった姿が見れるのを楽しみにしていたいから。(しゃちょうがんばって♪)
これからも彼の8はそう遠くに行くことはないだろうし、それだけで安心できる。
この8の存在は頼もしい。
残念なことではあったけれど、色々と考えさせてもらえた。
何かとても大切なものに気づかせてもらえた気がする。
ありがとう。