震災から既に3カ月以上も経ってしまいました。
出張先の福島県原ノ町駅で電車に乗り、発車する瞬間に起きたあの地震から…
改札口の外に出され、駅の交番のTVで信じられない光景が流れ、まもなく駅周辺も「津波が迫っているのでなるべく西に逃げるように」とパトカーが走り回る。
幸い、津波の到達は免れましたが、ついさっきバスで通過してきた田園も、長期出張中に良くランニングしていた海沿いの民家も、跡形もなくなっていました。
二駅先で津波に飲まれた列車、乗客の人達は無事だったか気になっていたのですが、たまたま乗車していた警察官が誘導して全員助かったそうです。
http://www.47news.jp/CN/201103/CN2011032801001092.html
翌日、なんとか仙台に辿り着き実家の安全を確認した後、数日間仙台の事業所で災害対応に加わり、勤務先の上越に戻され、対岸の何とやら…な雰囲気に思うところありながらも、次の週末には前回の日記のとおり、物資を実家や親戚に届けに行ってました。
あの時はレンタカーを借りて行ったのですが、ガソリン調達難な状況でも、満タンで借りれて,燃費が良くて,荷物が積める…今だから言えるんですが、かなり無謀だった気がします。
約1ヶ月後、また大きな地震による業務応援でいわきへ。
落石で車両通行が出来ない道を歩いて移動中、また大きな揺れとともに雷鳴のような音。岩石の崩落する音でした。幸い自分達の所には落ちて来なかったが、まもなくその日の作業は中止に…
現地のラジオがとても印象的でした。あの頃、全国放送では怒りを煽るような報道ばかりでしたが、風評被害に苦しむ漁業関係者の方の声を、パーソナリティーの人はとてもやさしく受け止めていました。
仕事で行った所を後で地図で確認したら原発30㌔圏内ギリギリのところもありました。でも当の俺は全然実感も湧かず…
忙しい状態のまま、今度は仙台の実家が青森に引越し。
震災前から予定してたんですが、引越業者を確保できず、結局レンタカートラックを借りて何往復も…
長年住み慣れた仙台から、こんな状況下で去らなければならないのかと思うと、とても残念でした。
思い出しながら書いてみましたが、色々あったんだなぁ…と、改めて思います。
で、今度は私の転勤です。突然ですが…汗
今日から新潟市での勤務になります。
まさか今回は無いだろうと思っていたので、色々と追われている状況です。。
上越での3年間、正直あまり良い思い出はなかったのですが、仕事的にはちょっと悔いが残ります。
次の勤務地…かなり忙しいらしく、やって行けるか不安ですが、心機一転で参りたいと思います。
Posted at 2011/07/01 00:00:04 | |
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