2度目の本州北端ドライブは8月下旬に龍飛崎を目指しました。息子との交代運転なので、2台目デミオです。今回も往路の東北道は悪天候で、豪雨の中をひたすら北上しました。
東北道の青森ICを出ると、三内丸山遺跡はすぐ近くです。息子によれば「これが三内丸山遺跡のシンボル!」とは小学生時代の知識とのこと。
現物は巨大ですが、骨組みだけなので、どんな建物だったかは想像するしかありません。
遺跡の説明文はとても簡素で、物足りない印象でしたが、想像で勝手なことを書くスタンスではないということでしょう。敷地内には竪穴式住居がいくつもありましたが、その多くは小学生の集団が学習の一環として建てたものだったのは意外でした。
五所川原で宿泊し、そこから龍飛崎に向かいました。海岸沿いに津軽半島一周を考えていましたが、この夏の豪雨のために東岸の国道280号線、西岸の国道339号線とも不通箇所があったので、内陸を通る県道が唯一の経路でした。龍飛崎手前の国道280号線沿いには小さな集落が散在していて、昨年大間崎の手前で見た海岸道路と似た雰囲気を感じました。
龍飛崎灯台は丘の上にありました。その少し先には防衛関連の監視装置が置かれています。演歌「津軽半島冬景色」で有名になった「竜飛岬」ですが、人影まばらで静かです。近くにはこの曲の歌謡碑がありますが、ボタンを押すといきなり「ごらんあれが竜飛岬~」と2番が始まるのはご愛嬌です。しかし半島の北端はこの丘ではなく、東岸沿いの漁港の先でした。さらに北にある帯島には、道路でつながっていますが、これを本州に含めるのかどうかはわかりません。
謎の「階段国道」の途中には、中学校の跡地がありました。青函トンネル建設で賑わっていたころに使われていたとのこと。確かにトンネルの存在はこの地域にとって大きいようです。「青函トンネル記念館」からケーブルカーで地下に降り、作業用トンネルを見学しました。
このあたりは、トンネル工事の当時は関係者が生活する中心地区であったようですが、いまでは全て片付けられています。少し南にある「青函トンネル入口広場」は、トンネルに吸い込まれる新幹線を間近で見学できるようになっていました。
五所川原では、この地域独特の「ねぷた」を見学し、20mを超える巨大さに圧倒されました。太宰治の生家たる「斜陽館」にも行きましたが、昔の名家の豪勢な生活の裏に、小作人からの収奪の構図も改めて認識されました。
今回の津軽半島は、昨年の下北半島ほどの寂寥感や「地の果て感」はなく、あちこちで人間活動が垣間見られたため、日常の延長の気分でまわれました。2名乗車の交互運転によるDE型デミオのロングドライブは快適です。往復で1,000kmを超える行程は高速道の割合が多かったのですが、降雨時は除湿目的でエアコンを作動させつつ、時間を稼ぐために100km/hペースを維持しました。車載燃費計によれば、今回の平均燃費は20.7km/Lあたりだったように思います。
Posted at 2022/10/09 16:36:09 | |
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