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il pastor fidoのブログ一覧

2026年11月02日 イイね!

発売後45年のマイナーモデル

発売後45年のマイナーモデル 中央道談合坂SAでHB型ルーチェハードトップ(前期型)に遭遇しました。写真はWikipediaから拝借しましたが、ボディ色やアルミホイールも全く同じであり、塗装もきれいでした。

 1981年に発売されたマツダHB型は、コスモとルーチェが兄弟車となりました。4ドアハードトップは両モデルにあり、4灯リトラクタブルヘッドライトのコスモ(下の写真)に対し、ルーチェはフォグ・前照灯・車幅灯を透明なカバーで連続させた「大型横長2灯?」のデザインでした。

 4灯リトラクタブルも合理性が疑問でしたが、ルーチェのフロントデザインは理解できず、「なぜこのような形に??」と思っていました。実際、このルーチェを路上で見かけたのはごく稀でした。

 冒頭のルーチェが履くアルミホイールは、15インチのメーカー純正品です。ちょうど国内でアスペクト比60%のタイヤが解禁された時期だったようです。タイヤサイズは205/60R15でしたが、過度に大径化・偏平化が進んだ今日ではファミリーカー向けのサイズに思えます。


 これはHB型コスモ前期ハードトップのインテリアで、ルーチェも共通だったようです。「グラフィカル表示のインストルメントパネル」と主張していましたが、初心者マークの私でも「このタコメーターは使えないのでは?」と思いました。


 こちらはルーチェハードトップの後期型で、コスモ後期型とはフロントグリルが違うだけのようでした。このデザインの方が正統派であり相応しいと思いましたが、速度計・回転計ともアナログに変更されており、こちらも正常化されました。
 5代目マークⅡとこのコスモ・ルーチェ(後期型)の4ドアハードトップが、当時はスマートでバランスよいプロポーションに見えていました。ロングノーズ、ショートキャビン、長めのリアデッキの組合せは、今見るとやや違和感があります。

 発売後45年も経過したマイナーモデルを、ずいぶんきれいに維持しておられることに感銘を受けました。わがアテンザは満23歳であり、まだまだ若輩者だと感じました。
Posted at 2026/11/02 23:11:37 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ
2026年10月26日 イイね!

エンジン接続からの解放

エンジン接続からの解放【緩い4ATの空走】
 わがアテンザの4ATの特性は、ブログ「古典的4ATの味わい」でレビューしました。ロックアップするのは第4速のみであり、55km/h以下では解除されます。すると直ちにアイドリング回転まで落ち、クルマは空走状態となりますが、これはエンジン接続から解放された状態と言えます。交通状況が刻々と変化する市街地では、前方の交通状況を先読みし後続車両に注意すれば、この空走を活用するのは意外に快適で、中途半端にエンジンブレーキが効くよりも合理的です。エンジンブレーキが必要なときは直接2速へシフトダウンすればよいので、何ら問題ありません。初めはエンジンブレーキのないおかしなオートマだと思いましたが、市街地走行に適した性格と感じられます。
 
【ロックアップ率が高い6AT】
 マツダのSKYACTIV-DRIVE(6AT)は、高いロックアップ率によるダイレクト感と高効率が特徴だと主張しています。確かにロックアップしている割合が多く、MTに近いダイレクト感が感じられます。マニュアルモードを有し、シフト用のパドルも備えるので、シフト操作も可能です。
 この6ATで一点気になるのは、特定の速度においてシフトチェンジできる範囲が限られていることです。エンジン保護のために過度のシフトダウンを拒否するのは当然ですが、エンジンブレーキがほとんど効かないところまでシフトアップしようとしても、受け付けてもらえませんでした。結果として少しエンジンブレーキがかかった状態が続くことになりますが、古典的4ATの緩さに慣れていると煩わしく思えます。エンジン接続から解放される自由度が与えられないのは今ひとつです。

【MT車のクラッチ操作やニュートラルシフト】
 MT車のクラッチには、車両の駆動系をエンジンから解放する役割があります。クラッチを介してエンジンと駆動系が直接接続しており、低速側ギアではエンジンブレーキが強めに効くので、これを弱めたいと思う場面があります。
 走行中にクラッチペダルを踏むか、ニュートラルにシフトすることによってエンジン接続を切ることは可能ですが、これは推奨されないものと理解してきました。わが古典的4ATは、市街地の走行速度(せいぜい55km/h以下)ではエンジンブレーキが欠如していて空走状態になりますが、何も問題ありません。MT車ではシフト位置に応じたエンジンブレーキを効かせることを基本にしますが、市街地走行程度の速度なら、場面に応じてエンジン接続から解放して空走させてもよいと考えます。
 わがMAZDA2(6MT)では、停車時にニュートラルシフトしてクラッチペダルから足を離していると、アイドリングストップが作動することは、ブログ「アイドリングストップとのつきあい」で報告しました。このようにエンジン接続から解放することが作動の前提となっています。

【停車時の自動変速機のN(ニュートラル)シフト】
 MT車では、停車時にエンジン接続を切るのは必然です。この発想の延長上でAT車に乗ってきたので、停車時にNポジションにシフトするのはごく自然な行為となりました。Dポジションでクリープによって動き出そうとするのをフットブレーキで止めておくより、Nポジションにシフトしてエンジン接続から解放する方が、次の点で合理的と考えています。
●運転者は生身の人間であり、何が起こるかわからないのだから、「車両が勝手に動こうとする状態」より「車両が自らは動かない状態」の方が安全である(安全工学的な視点)。
●Dポジションで停車時に振動が生ずる状態より、Nポジションでスムーズなエンジン回転とする方が快適である。
●暖機状態ではエンジン回転が高くなっているが、Dポジションのままフットブレーキで無理やり抑え込むのは合理的ではない。
●急な下り坂の停車時に、駆動力を発生するDポジションに入れておくより、Nポジションでエンジン接続から解放する方が合理的である。急な上り坂の停車時も、パーキングブレーキで十分ならDに入れておく必要はなく、トランスミッションに負荷をかける心配もない。
●わがアテンザの古典的4ATは、DポジションよりNポジションの方が停車時の燃料流量が少ない(ブログ「23年目の再確認」で報告済み)。
●AT車でもNへシフトを動かす習慣があれば、ペダル踏み間違いによる暴走事故の可能性も減るのではないか。普段から「エンジン接続を切る」習慣があれば、異変を感じたときにもとっさにそう操作するのではないか。

 自動車関連サイトでは、AT車の停車時Nシフトを全面否定する記事をしばしば目にします。そこでは、次のような理由を挙げています。
①Nシフトを頻繁に行っていると、トランスミッションが早く壊れる。
②エンジン回転が上がっているときにDへシフトすると、急発進して危険。
③誤ってDへシフトしてしまう可能性があり、予期せず車両が動いて危険。
④停車時はDポジションよりNポジションの方が燃料を多く消費する。
 ①については、メーカー側技術者が異なる見解を述べた記事を見たことがあります。AT車で長年Nシフトしてきましたが、ごく稀に誤って②のような操作をしてもやや強めに発進するだけで大したことはなく、③のような事態は全く経験がありません。④はマイカーでは逆なので、一般論として成り立つかのように主張する記事は完全に虚偽です。
 このような記事には合理性が認められず、Nシフトによる「エンジン接続からの解放」に理があると感じています。
Posted at 2026/10/26 01:30:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ
2026年10月07日 イイね!

九月の雨

九月の雨 2026年の9月は雨続きでした。東京は全日雨だったようですが、私の地元では降らなかった日が少しありました。

 シルバーウィークは出張で埋まりました。つくば研究学園都市で4日にわたる用務がありましたが、この距離では宿泊費は支給されません。家から毎日往復できますが、楽をするために安宿を確保し、マイカーを持ち込んで滞在するのも一案かと考えていました。
 今年は頻繁な台風の来襲です。6月の長崎出張では台風7号が接近して在来線が止まり、帰りのフライトを心配しました。このシルバーウィークは、出張の前半に台風25号が接近しそうであり、大雨の予報が出ていました。8月の千葉豪雨を想起すると、どこで何が起こるか全く想像できません。研究学園都市は一面平坦に思え、そのエリア内に大きな河川はないものの、今年各地で生じたような内水氾濫が起こらないとも限りません。そんなわけでマイカーの持ち込みはやめ、電車で通うことにしました。

 9月21日の夕方から豪雨との予報が出たので、この日の用務は早めに切り上げ、明るいうちに家まで逃げ帰りました。風雨が強くなった夕方には、私が乗った鉄道路線も運転を見合わせていたので、危機一髪と言えました。夜の間は確かに豪雨でしたが、暴風にはならず、私の生活圏では河川氾濫の情報もなくて平穏に思えました。
 9月22日には利用する鉄道路線は通常運転しており、問題なく出張できました。列車からは冠水に見えるエリアもありましたが、学園都市内は全く問題なさそうで、良い天気になりました。

 しかしこの日は印旛沼の堤防が決壊して大洪水となり、また各地で土砂災害も発生していました。私の日常生活圏内では何もなさそうでしたが、たまに出かける数km先のショッピングモールのあたりは、繰り返し冠水していたようでした。近くの親水公園では、土手の高いところまで泥水が達していた形跡があり、調節池としての役割をしっかり果たし洪水を防いでくれたようでした。

 8月の千葉豪雨に続き、9月の台風25号による豪雨でも、予期しないところで予想できない災害が発生しました。何がどう起こるか全くわからないので、豪雨が予想される中をクルマで移動するわけにはいかないと納得しました。

 10月になると雨があがり、久しぶりに晴れてきました。いまも太平洋上では台風27号が進んでいますが、今回は被害はなさそうです。
Posted at 2026/10/07 01:27:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2026年09月19日 イイね!

上信方面 下

上信方面 下 信州北部には義母の実家があり、妻にとっては昔懐かしい地域なので、その希望を聞いて後半の行程を決めました。

【小布施】
 上信越道のICがあるので便利です。ここは栗と北斎(冒頭の写真)の町であるようです。
 まずは北斎館を見学しました。常設展示は祭屋台だけのように思え、このときは北米ロードアンランドの美術館のコレクションが企画展でした。異国に渡った絵ばかり展示するというのは、意外に思えました。
 古風な建物も残る中、栗の店は至る所にあったので、和食処で栗ご飯、カフェでマロンアイスを賞味しました。さらにモンブランケーキを購入し、夕食後のデザートにしました。

【善光寺】
 長野駅で息子をピックアップし、本降りの中を善光寺へ行きました。参道には店が並んでいて、ここも仲見世通りの名がありました。

 本堂に参拝したあと、妻の提案で「お戒壇巡り」をしました。本堂地下の真っ暗な通路を歩き、「極楽の錠前」に触れてくるというもの。錠前に気付かず通過してしまったので、再度まわりました。

【川中島古戦場跡】

 武田信玄と上杉謙信の有名な戦いの場は、史跡公園になっていました。その名称から河川敷の草むらを想像していましたが、住宅地に隣接する公園で、その一画では当時の逸話が紹介されていました。

【松代】

 上信越道の長野ICから近いので、クルマなら便利なところです。この地域を通っていた長野電鉄屋代線は廃線となっており、旧松代駅の木造の建物が残されていました。どこの廃駅にも寂寥感があります。
 かつての松代藩は真田家が治めていたとのことで、真田邸や宝物館を見学しました。宝物館では歴史の説明が詳しく、真田氏の理解が少し深まりました。

 松代城跡も公園になっていました。当時は海津城と呼ばれたとのことですが、内陸盆地にありながらこの名前はなぜでしょう。


 戦時中に大本営を移すべく、この地域で地下壕が掘られました。松代大本営平和記念館で基礎知識を得ましたが、地下壕は無料で見学できるとのこと。
 現地へ行ってみると、ヘルメットを被れば簡単に見学できました。地下深くにもぐるのではなく、山の麓を横に掘り進んだ構造です。その一部が見学コースになっていましたが、最奥部までの往復だけでも予想外の広さがありました。
 このような地下壕が大戦末期にいくつも作られ、想定した目的で使われることはなかったというのは、大いなるムダに思えました。

【ドライブの印象】
 帰りは外郭環状線で事故渋滞がありましたが、廻り道をして回避したため、全行程で渋滞はありませんでした。マイカーのクルーズコントロールは定速走行機能のみですが、高速道の長距離運転ではこれで十分であり、疲労感のない運転になりました。
 一般道の長距離運転では、瞬間燃費計とギア・シフト・インジケーター(GSI)が役に立ちます。運転中は道路の傾斜を全て把握できているとは言えず、緩い上りや下りに気付かないこともよくありますが、瞬間燃費によって傾斜の有無がわかりますし、GSIの「推奨ギア位置の表示機能」はギア選択の参考になります。いずれも効率よいMTドライブにとって有用です。
 今回の行程では702km走り、平均燃費は22.05km/Lでした。猛暑ではないものの行程の半分近くはエアコン使用であり、山岳道路も含まれる中では、燃費はまずまずと思えました。
Posted at 2026/09/19 17:57:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旅行/地域
2026年09月17日 イイね!

上信方面 上

上信方面 上 8月の末に富山から長野北部をまわるべく旅程を組み、宿を確保しました。しかし出発直前に豪雨が北陸を襲ったため、前半は上州(群馬)に変更しました。

【城の面影】

 妻との旅行では、城めぐりが必修科目です。沼田城跡は広い公園で、鐘楼が目立つ一方、本丸跡は石標だけでした。城は1532年から150年の短期間だけ存在したようでした。国道145号線はロックハート城の横を通りましたが、ここから眺めるだけにしました。岩櫃(いわびつ)城跡は東吾妻町の山奥にあるようだったので、登山口の確認に留めました。

【草津温泉】
 これまで草津温泉は通過ばかりでした。初めての宿泊先は東の端のほうにある観光ホテルです。温泉地の中心付近は狭い坂道が多く、一般車は入れなそうでしたが、駐車場も限られるので、混雑時にどうなるのか心配になります。

 湯畑周辺は大規模に整備されていて、大温泉地の貫禄でした。熱乃湯で草津名物という「湯もみと踊り」のショーを見学しました。最後の部分はなかなか豪快でした。 


【峠越え】
 群馬県内は霧雨混じりの本曇りでしたが、志賀草津道路を北上すると濃霧になりました。たいへんな視界不良ではありますが、カーブの多い山岳道路の低速運転には支障ありません。峠が近づくと霧は薄くなり、ついにはきれいな晴天になったので、気を良くして蓮池まで下っていきました。

【夏の終わりの志賀高原】
 まずはビジターセンターに寄りました。閉館していた昨年のうちに改装したようで、新しそうな展示が見られました。

 隣接する志賀高原歴史記念館を見学しました(冒頭の写真と上の写真)。これは旧志賀高原ホテルで、「上高地のホテルとともに、昭和初期に国策として建設された。」との説明がありました。確かに、外観、内装とも上高地帝国ホテルに通じるものがありました。

 これと比べると、宿泊は地味なホテルです。53年前の夏合宿の滞在場所ですが、覚えているのは建物の外観、部屋番号と間取りくらいです。内装、設備ともいかにも古く地味でしたが、滞在は快適でした。聞いてみると、今でも進学塾の夏合宿を受け入れているとのこと。施設の規模に比べてレストランの席数がとても多いのは、そのためなのでしょう。


 一昨年の秋と昨年の秋にゴンドラで上った東館山に、今回も上りました。秋には枯れ草しかない高山植物園には、まだ少し花が残っていました。AIによれば、この花の名前はイワショウブ。トンボも多く飛んでいましたが、指に止まってくれるのはいませんでした。

 夏の終わりの志賀高原は穏やかな天候で人影も少なく、とても静かでした。時間に余裕があれば、避暑の目的でゆっくり滞在するのも良さそうです。
Posted at 2026/09/17 01:57:36 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旅行/地域

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il pastor fidoです。  クルマのデザインはメーカーオリジナルのフルノーマルがバランスいいと思います。Value for Moneyのため、国...
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