息子との交互運転のロングドライブは、2台目デミオです。未知の道路をMT車で走るのは、私にとっても楽しみです。
国内第2の湖だった八郎湖が八郎潟干拓地となり、そこに作られたのが大潟村、というのは、はるか昔の小学生時代の知識です。息子も同様の時期に知ったようでしたが、現地は今回が初めてです。
高速を降りて水路をわたると、干拓地北部を東西に走る大通りです。スケールの大きな平地を横断する道路はひたすらまっすぐで、木々と菜の花が続いています。道路の横には水路があり、その向こうには平坦な農地がはるかに拡がっています。国内ではあまり見ない雰囲気で、ふと「オランダで見た景色に似ている!」と思いましたが、干拓ではあちらが大先輩なので当然です。
干拓地の中心部に、公的機関、住宅、店などが集まっています。その一角にある干拓博物館に寄って、基本的な知識を仕入れました。干拓の計画当時、技術協力を求めた先はやはりオランダでした。浅いとは言え広大な湖の水を抜いて、それを耕地化する過程は、なかなかたいへんだったようです。
北緯40度と東経140度の交点が八郎潟干拓地にあることは、息子は小学生時代に知ったそうです。道標を頼りに耕地の真ん中を通る無舗装道を走って行くと、「交会点」に到着しました。ここはモニュメントが建っているだけの静かな場所で、まわりでは農業生産活動が粛々と行われていました。
干拓地には、「大潟富士」がありました。これは地表から高さ3.776mの小さな山で、富士山のちょうど1000分の1の高さであり、頂上が海抜0mになるように作ってあるそうです。ここに登ると、干拓地が海水面より低いと改めて実感します。塩水湖の水を抜いて耕地にしたのですから、あたりまえです。豪雨時は排水がたいへんだろうと思いますが、それよりも中期的には「大津波が来たらどうするのか?」、長期的には「気候変動に伴って海面が上昇したらどうなるのか?」と心配になります。
男鹿半島北西端の入道崎には、白黒の縞模様の灯台が建っています。店もありますが、連休直後の月曜午前なので、閑散としています。南に少し歩くと、ここでも北緯40度をアピールしていました。目立つところにモニュメントが立っていて、さらに南を通る北緯40度に導くように作られています。
なまはげ館では、この地のなまはげ文化に接しました。男鹿半島も静かな地でしたが、下北半島ほどの「地の果て」感はなく、日常的な感覚の延長上で一周しました。
Posted at 2022/05/31 22:58:14 | |
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