さて・・第2回を書きたいと思いますが・・ちょっと不思議に思ったことがありまして・・私の・・特に印象に残っているサーキットの一つに・・
「バサースト:Bathurst」
・・なるコースがあります。GRIDの前身であるTOCAでのバサーストは「当たり前」のように入っているコースなんですが・・ここがもー、「鬼コース」で・・とにかくサーキットの中間にツイスティなブラインドコーナーが複数あり・・よくクラッシュしたものです。ちなみにこのバサーストは・・多分FD3S・・RX-7の特別仕様車の名前にも使われた事があるので・・知っている人もいると思います。まぁそんな感じで今日もご愛読くださいまし。
⑤ スパ・フランコルシャン
「1924年に第一回のスパ24時間レースが開催される。ヨーロッパグランプリは1925年に開催。F1ベルギーGPを始めとする各種の大きなイベントが開催される。
レースが開催されるようになった当時は全長14km以上ある長い公道コースだったが、スピードが出過ぎるために開催を中止しコースを改修、現在のコースの原型は1978年に造られた。サーキットはレース専用の部分(Les Combes - Stavelot間)と公道(Stavelot - Les Combes間)が混在していたが、常にレースが開催できるように公道部分にバイパスが作られ、現在は完全なレース専用のクローズドサーキットである。難易度の高い高速コーナーが多い事から、ドライバー達のコースに対する評価は高い。
2003年にはEU圏のたばこ広告禁止により、F1が開催中止となったが、2004年には復活を果たし、その際、バスストップシケインが改修された。2006年はピットレーン周辺の問題からF1が開催されなかったが、2007年に再びバスストップシケインとピットレーン施設を改修し復活した。
コントロールラインを過ぎるとすぐに訪れるのが1コーナーの右ヘアピンラ・ソース(La Source)。コントロールラインからコーナーまでの距離が短く、右に鋭角に切れ込むヘアピン状のコーナーであるため、決勝スタート直後に度々ここでクラッシュが起こる。以前はコーナーの立ち上がりのアウト側に縁石があったが、ナイジェル・マンセルがさらにその外側を走るラインを見つけて以降、ほとんどのドライバーが彼のラインをトレースするようになったため、その縁石は取り除かれたが、2007年の改修により再び縁石が設けられた。過去の縁石の配置ではコース外に出ても縁石を踏まずにコースに復帰できたが、2007年の改修ではコースに復帰するためには必ず縁石を越えなくてはならないように縁石を配置したため、コースをはみ出して大回りすることはタイムロスにしかならないようになった。
これを過ぎると、左、右、左と上りながら小刻みに曲がる世界のサーキット屈指の名物セクションオー・ルージュ(Eau Rouge、フランス語で赤い水の意)がやってくる。300km/h近いスピードで駆け抜けるこのセクションは、ドライバー視点からは壁のように見えるといい、現在世界中に存在するサーキットの中で、最も度胸が試されるコーナーのひとつと言われている。イモラ・サーキットでアイルトン・セナらが事故死しF1の安全性が問われていた1994年には、オー・ルージュは危険性低下を目的としてタイヤバリアの敷設したシケイン状のコーナーになったが不評だったため、翌年からランオフエリアを広げることで元の形に戻された。なお、オー・ルージュ(赤い水)とはコーナーの近くを流れる川の名である。日本の温泉地にも時より見られるもので、川の水に鉄分を多く含み、赤く見えることに関係している。
オー・ルージュの出口にある左コーナー ラディオンを越えると、ケメル・ストレート(Kemmel)に入る。長いストレートである事と、オー・ルージュの抜け方によって最高速度が大きく変わる事から、オーバーテイクが頻繁に行われる。2000年、ここでミカ・ハッキネンが周回遅れのリカルド・ゾンタを挟んでシューマッハをオーバーテイクしたことがある。このシーンは各メディアで「20世紀最高のオーバーテイク」と言われるほどスリリングで驚異的なものであった。」
・・・ラ・ソースのヘアピンから脅威の登り坂のオールージュ・・そしてケメル・ストレート・・スパのすごい所はこの前半のコースレイアウトですね。あと・・天候が非常に変わりやすく、当然路面変化も刻々と変わるので・・オールージュは屈指のコースレイアウトだと思います。私もTOCAなんかで走りますが・・とても怖くてorz
⑥ ニュルブルグリンク(南コース)
「第一次世界大戦に敗れたドイツで、当時の政府が失業者に職を与えるために建設した。1927年の開設当初は全長が22.8kmの巨大な北コース(独:Nordschleife)と全長7.7kmの南コース(独:Südschleife)の2つに分かれており、現在は北コースが20.8km、南コースが5.1kmとなっている。
当初の名称はNürburg-Ringだったが、1933年にナチスがドイツのモータースポーツ全体に資金援助を行った事で改修され、このときに名前からハイフンが取られNürburgringとなった。
1950年代のF1創成期からその開催地として利用され、幾度かの中断やレイアウトの変更を重ねながら、現在もホッケンハイムリンクと共に、ドイツ国内でのF1の開催地に名を連ねている。また、名物であるニュルブルクリンク24時間レースの開催地としても有名である。
なお、ドイツ語の発音では「ニュルブルクリング」が、より正確である。」
・・・ゲームで有名なのは・・多分北コースでしょうね。全長20キロ以上で・・舗装路のつぎはぎがあるコースですが・・R35 GT-Rをはじめ・・多くの市販車がベンチマークとして北コースを走ってきました。・・・がっ!私はあえて南コースを上げます。これはDTMなんかで非常に名物なコースなんですが・・コースレイアウトが本当に自然で・・走りやすいしオーバーテイクの見せ場もたくさんある・・個人的にはかなり好きなコースです。ちなみに・・南コースは日本のゲームで出ることはほとんどありませんが・・これまたTOCAで走ることが出来ます。北コースはクルマのベンチマーク同様、ゲームとしてのリアリティの限界に挑戦するように各社こぞって収録してますが・・・さすがに難易度が高いために嫌いな人のほうが多いですね。・・・GT4のリアル24時間は泣きますよorz
⑦ マツダ・レースウェイ・ラグナ・セカ
「マツダ・レースウェイ・ラグナ・セカ(Mazda Raceway Laguna Seca)はアメリカ合衆国のカリフォルニア州モントレーにあるサーキット。マツダが筆頭スポンサーであるため、その名が冠されている。ラグナ・セカとは『渇いた内海』の意。
1957年に造られ、急激な下りを伴ったS字コーナー「コークスクリュー」で知られる(図の7・8・8Aにかけての区間)。1987年に現在のコースレイアウトに改修。近年はチャンプカー、A1グランプリ、MotoGP、アメリカン・ル・マン・シリーズなどの開催地となっている。」
・・・個人的には嫌いなコースの一つですが・・まぁ有名どころを上げておかないとって事で・・。GTとかやってるとずっと「MAZDA」の看板がいたるところに見えるのですが・・やっぱりマツダがメインスポンサーということみたいです。コースが細いのにルマンのLMPクラスがばんばん走っているのはちょっと驚きますね。
⑧ モンテカルロ市街地コース
「F1モナコGPはインディ500、ル・マン24時間レースと並ぶ世界3大レースの1つであり、コートダジュールの海岸沿いをガードレールをかすめて走り抜けるモンテカルロ市街地コース(3,340m)を舞台に行なわれる。モナコ王室の協力を得て、1929年に開催された国際レースを起源とする伝統の市街地レースである。F1にもチャンピオンシップがスタートした1950年から名を連ねており、いくどかの中断をはさみ、2008年で66度目、F1GPとしては56度目の開催となる。
2003年にはプールサイドシケインの出口からラスカスまでのレイアウトが変更され、路面もかなりの部分で再舗装が行なわれた。
直線はほとんどなく道幅も狭く、ガードレールに視界をさえぎられるテクニカル・コース。コースにはトンネル区間が存在する。
勝者を選ぶドライバーズ・サーキットとして名高く、5連勝を含む通算6勝のF1記録を樹立したアイルトン・セナや、通算5勝のミハエル・シューマッハ、同じく通算5勝のグラハム・ヒルなどは、敬意を込めてモナコ・マイスターと称されることがある。」
・・・モナコマイスターという称号を持つドライバーは世代最強でもある・・って思いますが・・去年のF1モナコGPは「トラクションコントロール装着禁止」って事でもあり・・しかも雨天だったのでそれはまさに地獄絵図のような状態でした。今年も雨が降って欲しい(車速はF1としてはあまり速くないので・・純粋に腕の戦いとなる。)って思うのは私だけでしょうか(笑)
さて・・今日のYOUTEBEをば・・
・・・ニュルブルグリンク、オールドコースのドリフトです。通常やる奴はいません。とっても危ないからorz(っていうか自殺行為だと思うが・・)
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Posted at
2009/01/21 21:23:59