
クルマのチューニングには、様々なアプローチが有ります。
第一に外装スタイリング、第二に内装、第三に足回り、そして第四にエンジンパワー。
およそ現代の量販車というものは、自動車メーカーが商品の販売戦略として定期的にモデルチェンジを行い、従来モデルの陳腐化を図るとともにその時代ごとのトレンドを創り出し、消費者はその中から自分の好み、価値観、生活スタイルに合った1台を選ぶという需給関係の消費経済が成り立っています。そして一般的な日本人は、日本国内で国産メーカーの新車を購入するのが大多数で、ほとんどの場合、同じ国産車へ買換えを行っています。
国産車のデザイン、性能については、いわゆる個性が無い、外国車の模倣、とりわけドイツの御三家と呼ばれる欧州メーカー車との比較で、それらの対抗馬と国産メーカーがみなしているスポーツカー、高級サルーン、ホットハッチと呼ばれるコンパクトカーは常にドイツ車を正として、それに対してどれ位い近付いたか(つまりどれ位い速いか遅いか、高級かそうで無いか、剛性が有るか無いか)という論点で批評されるケースがほとんどであるように思われます。
この論議の争点は、世界でも有数の自動車生産国である日本のクルマが、第一級の欧州メーカー車に、特にライバルとみなす同等スペックのモデルに比べて常に劣っているという劣等感というか、ほとんど信仰に近いドイツ車至上主義の視点からスタートしているように感じます。
でも国産車は、壊れない。ディーラー等のサービス網が全国各地に張り巡らされている。安心。そしてここが一番優れた点だと私は思うのですが、国産車に乗る日本国内ユーザーは、ドイツの御三家と呼ばれる欧州メーカー車に近い、ごく近い走行性能、安全性能、そして乗り心地を、その2/3とか、半分とかのコストで手にする事が出来る。
同じ、じゃ無いですよ、性能グラフで見れば恐らく近い領域まで、という意味です。
そうです、素人でも一度乗り比べればその違いは感じられる。例えば超高速での直進安定性、例えば上質な乗り心地や車体剛性から来る安心感、高級感。でもそれは有る意味、あたりまえの事なのであって、恐らく国産メーカー各社のせいでは無いのでしょう。
クルマ文化の成り立ちからして違うし、クルマの社会的な位置付けも日本とは違う。お気に入りのクルマで、長距離を高速移動し、毎日通勤に使用したり家族で長期滞在のバカンスに行く。
これに対し日本では、長距離といってもせいぜい片道400~500kmを、年一回往復する程度ですが、高速道路といってもせいぜい80~130km/hで巡航するのが普通のドライバーですね。
例えば、日本の東から西まで2,000kmを縦断する最高速度250km/hもOKなフリーウェイがあったなら、クルマは全然いまと違う発展の仕方をしていたかも知れません。でも、日本のモータリゼーションは、そういうクルマ発祥の地とはまた違った歴史を歩んで来ました。
勿論、同等以下のコストで、例えばサーキットでの動力性能、計測タイムではそれら御三家を上回る性能を持つ凄いクルマも世に出されていますね。そうしたステージまで上り詰めた世界でも屈指の自動車産業国にあって、御膝元の道路行政、インフラがいまだ100km/h以下で走る事しか許されない状況にあることは、一人のクルマ好きとして残念でなりません。
その事だけを捉えて論議すれば、普通は、多くの人は、LFAの性能を必要としないのですから。
でも、日本のクルマ好きは、諦めません♪
ひとりひとり違う生活環境、ライフスタイル。職業、収入、家族構成、居住環境。その人なりに考えて、自分の価値観、許される経済力のなかで自分に合うクルマを手にし、自由に走り回る。
経済的に、社会的に許されれば(許されなくても無理やり、の場合も有りますが)、私財を投げ打ってスタイリングや内装、足回り、そしてエンジンパワーに手を入れ、他人と同じ若しくは他人と違う、自分だけのオリジナルを造り上げて、自由に走り回る。
『みんカラ』に登場する多くのブロガーの人達は、まさにそういう人達なのだと思います。
いつまでも、愛すべき悪ガキでいたいものですね。
・・・って、これ、ボディブレースのインプレ書こうとして書き始めたら、全然違う内容になってしまったww
(ーー”)ナンデダロウ・・・
Posted at 2011/12/09 12:54:14 | |
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