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2014年03月26日

父の故郷を訪ねて・・・(青春18きっぷ4回目)

父の故郷を訪ねて・・・(青春18きっぷ4回目) 3月23日(日)・・・

昨夜は新宮市内の木
賃宿に宿泊し、新宮駅で7時20分頃に改札を受けました。。

いよいよ今日は父の故郷の駅で途中下車します。。



新宮駅までかつて蒸気機関車の牽引する列車が走って居た頃、乗客が煤煙で汚れた顔や手を洗うために設けられたホームの洗面所が未だに残っていました。。


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昭和の遺構・・・旅情をそそるこの設備が残る駅は本当に少なくなってきました。。

私の乗車する新宮発多気行326D普通列車は7時28分に紀伊長島からの下り始発322Dとして2両編成で入線後、後部に連結手が手際よく出庫させてきたキハ40型1両を増結し3両編成となって運用されます。。

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この日は非常に珍しいキハ40型非ワンマン車とデッキ付寒冷地用キハ48、それにワンマン仕様のキハ40が増結された3両編成でした。

しかもこの列車はローカル線では貴重な車掌の乗務する列車・・・

時刻表では列車番号の末尾に「D」のつく列車が車掌乗務列車で、「C」のつく列車がワンマン運転されているようです。。

(この編成は非常に珍しいので、鉄道好きな方向けに、後日詳細をアップ致します。。)



ローカル線では平日も土日祝日も同じダイヤであることが多く、この326Dも本来なら熊野市に有る高校や、会社に通う通学生や通勤者で満員だろうと思うのですが、今日は日曜日。。

始発駅からの乗客は僅か5人足らずでした。。


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朝日が眩しい熊野川を渡り、列車は熊野灘に沿って、防風林に守られながら昨日通った線路を北上します。

熊野市から、車窓 は岩場の連続するリアス式海岸になり、列車は山間部のトンネルを抜けては入り江の駅に停車するパターンを繰り返します。。


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大泊、波田須、新鹿、二木島、賀田、三木里、九鬼、大曽根浦と続く各駅も美しい入り江の奥にある小さな漁村の駅です。。

父親の故郷である相賀駅は一旦やり過ごし、海岸線から離れて山間部へと分け入る紀伊長島~梅ケ谷間の峠越えの登り坂区間を楽しみます。。


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画像は峠の頂上付近で一瞬見える尾鷲湾です。。

列車は画像の湾の奥の尾鷲駅から、エンジンを全開にして重苦しく峠を上り、梅ケ谷駅へ至りますが、急坂故、一駅間を走るのに12分を要してしまいます。。

326Dは阿曽駅で下車して直ぐに来る下り329C普通列車でまたもや相賀をやり過ごし、大曽根浦へと戻ります。。

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329Cは昨日も乗車した軽快型ワンマン気動車で、運転席と客室の仕切りが無い為、予想通り私と同じ18きっぱーと思われる、鉄分の濃い御仁が前面展望を楽しんでおられました。。

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私が何度も相賀駅を通過して行ったり来たりするのはそれなりに理由が有ります。。

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ご覧の銚子川橋梁から見た父親の故郷の海がいちばん綺麗に見えるからです。。


名古屋方面から特急列車に揺られてきた観光客は、例外となく必ずここで歓声をあげます。。



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大曽根浦駅では折り返し列車までの15分間で、海岸線まで出てみます。。

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南紀の名産、みかんの木と、早咲きの桜が入り江の眺めに彩を添えます。

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尾鷲湾越しに見える大台ヶ原方面の山々は、この時季でも未だ冠雪しているのが判ります。。

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大曽根浦からは再びキハ48型2連の上り多気行328C普通列車に乗りましたが、こちらはワンマン仕様のキハ48でした。。

そして12時36分、散々寄り道をして、ようやく父親の故郷、相賀駅に到着しました。。


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そこには父親から聞いた通りの景色が展開していました。。

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「お父ちゃんの住んでた家のすぐ前が大きな船津川でな、透き通った水が流れとってやな。。」

「家の窓から川に飛び込めたんや。」

「いつも守さん(兄)とたー坊(弟)のワシの3人で対岸まで飴ちゃん賭けて競争して泳いでたんや。。」

「ある日、仁子(妹)が私も飴ちゃん欲しいから競争するちゅーんで、ヨーイドンでみんなで泳いだんや。。」

「そしたら仁子だけが斜めに泳いでどんどんと河口の方へと流されたんや。。」

「女の子やから馬力無かったんやろけど、守さんビビって、直ぐに後を追いかけて泳いで、お父ちゃんも対岸へ渡って河口へ走ったんや。。」

「ほんで、河口で仁子を間一髪のとこで捕まえてな。。」

「河口から外へ流されたら渦巻の潮の流れで命落とすんや。。」

「難儀な事やったのにたー坊はへらへら笑って見とっただけや。。」

「ええか、おまえも海で泳ぐ時は引き潮と川の流れ込みにはに注意せいや。。」




画像の景色が船津川と父の暮した集落です。。

今では両岸に堤防が出来てしまっていますが、父が暮らした当時は川の直ぐ傍まで家が建っていたようです。

川の澄んだ流れだけは当時と変わっていません


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川筋にある古い民家は父が暮らした当時から変わらないのかもしれません。。

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口からすぐのところに汽水湖である白石湖があります。。

「白石湖は海の水と川の水が混じってて、チヌがよく釣れたしウナギもわんさか居ったんや。。」

「鰻丼が食いたなったら、朝から湖に仕掛けしといて夕方に揚げたら10尾くらいも入ってることも有ったんや。。」



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白石湖と銚子川、船津川が合流して海に注ぐ河口は、水の流れが複雑怪奇で、水量により、季節ごとに地形が変わるそうです。

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「ある日やな、近所の兄ちゃんが、沖の島でアワビが100個も獲れた言うんで、いつもの3兄弟で爺の櫓漕ぎ船を借りて沖へ出たんや。」

「ほんならやなぁ、さっきも言うた渦巻の潮の流れに捕まって、船がくるくる回って制御でけへんようになってしもた。。」

「ようやく脱出した時に帰ったら良かったんやけど、貝採るのに無理して沖ノ島まで行ってな。。」

「今度は潮の流れで相賀向いて船が進まん様になってもて遭難沙汰や。。」

「爺がかんかんに怒って迎えに来てくれた。。」

「貝採りどころやあらへんかったわ。。」


画像の海に浮かぶ沖の小さな島が父が渡ろうとした島なのかも知れません。。


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「お父ちゃんらの肝試しは、港に繋いだある帆船のマストの先端から海めがけて飛び込む事やった。」

「大きい船になると10mは優に有ったな・・・」

「小学生の高学年になると、男の証としてみんなしたもんや。」

「お父ちゃんは3回転して海に飛び込むのが得意やったけど、下手したら腹から海に突入して、死にそうなくらい痛かったわ。。」

「干潮の時に勢いよう飛び込み過ぎて、海底で頭打って隣町の病院へ担ぎ込まれた子もおったな。」

「海で遊ぶ時は絶えず潮の満ち引きに注意せなあかん。。」


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「ウチは材木屋しとってやな、たまに樵(きこり)のおっちゃんと山に入った。。」

「山には縦横無尽にトロッコの線路が敷かれててやな、機関車操縦したり、トロで坂を下ったり、それはそれはおもろかった。。」

「まあお父ちゃんはガキやから、切った木の本数を数えてノートに書く役割やった。」

「大人はみんな朝は漁船で漁に出て、帰ってきたら材木の仕事しとったな。。」

「みんな朝から晩まで働いてるからこそ生きていけるんや。。」


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なるほど、父親の言う通り、街中では今でも複数の材木屋さんが営業を続けていました。。


引本集落に有る私の家と同じ宗派の禅寺にもお参りしました。。


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さて、相賀の街でも先の東日本大震災を受けて、防災意識が高められていて、津波避難所が整備されていました。。


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標識に沿って登っていくと、祠が有ったので手を合わせます。。

祠の裏は父が登ったと思われる参道が続いていました。。


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そこからは父の育った相賀の集落が見下ろせます。


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「相賀は裏は山で、目の前が海っちゅーそら最高にええとこやったわ。」

「もういっぺん生まれ変われるんやったらまた相賀がええな。」

「せやけどまぁ、大阪商人を30年近くしとったら、やっぱ商売人が一番肌に合うてるんかもな・・・」

「まあ、おまえもがんばれよな。。」

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この記事へのコメント

2014年3月26日 23:57
いいですねー
そうやって父親との思い出を尋ねられる場所があるって

僕は生れてこのかたずっと父親とおんなじ場所で暮らしてたから
田んぼか山くらいか
たまに乗せてもらってた大型ダンプの思い出しかありません(笑
コメントへの返答
2014年3月28日 13:55
私は生まれたところで育ち、人生の最後までその土地で暮らせる人が羨ましいです。。

無いものねだりですね。。

父親も相賀の街でずっと暮らしていたかった筈です。。

ご先祖様のお墓も有り、古くからの親戚や友人の居る故郷。。。

息子は21歳になりますが、ずっと今の家、今の土地に暮らしたいと言っています。。

正解だと思います。。
2014年3月27日 5:47
父との思い出が沢山ですねうれしい顔ムード

僕は一緒に暮らしてるので、顔も見たくなかったりもあっかんべーワラ
コメントへの返答
2014年3月28日 13:58
今は少なくなりましたが、2世代~3世代で暮らすのが本当の家族の姿だと思います。。

私は9歳の頃から父親と2人暮らしでしたので、そんな家族に憧れました。。

まあお嫁さんには苦労をかけてしまうでしょうけど・・。
2014年3月27日 5:51
電車で訪れるのがいいですね(^-^)

歴史ある町並みですね(^O^)
コメントへの返答
2014年3月28日 14:01
車では自宅から4時間程度で走りますが、列車で来た方が、遠くへ来たなって気がするだろうと思って。。。

養子に来る前の父親の姓のお家が何軒も有って驚きました。。
2014年3月27日 12:40
風光明媚な場所で、かつてのDD51重連貨物を観たかったですね。

釣りで行ったものの、列車は見た事なく、終わりました(´ω`)

それにしても、渋い編成ですなあ(^^ゞ

銚子川は、四万十川よりも美しい、日本一の清流として、特集番組を観てました♪

実に良い場所ですねえ(´∇`)

紀伊長島~七里美浜まで、入り江を移動しながら、亡き親友と釣りをした想い出が甦ります(^^ゞ

コメントへの返答
2014年3月28日 14:06
DD51の鵜殿貨物・・・

四日市駅構内では見たものの、紀勢本線内では私もとうとう見ず終いでした。。

3両編成でキハ40が2両含まれるのは珍しいでしょ~。

確かに銚子川の水は綺麗で、透き通ってエメラルド色に輝いていました。。

魚も美味いんだろな~。

私の父親も釣りが好きでよく連れて行ってもらいましたが、南紀~中紀~泉南方面で、紀東へは社会人になってから上物釣りで新鹿や二木島辺りに通いました。。
2014年3月27日 15:26
いいですねぇ〜
お父上の育った故郷を訪ねる。
自分の父は道頓堀川の今の『スポタカ』の土地で、旅館業と玉突き屋の家庭で育ったそうですが、もう面影はありません。
川沿いのコンクリートに手形を着けたそうですが、未だに探せていません。
コメントへの返答
2014年3月28日 14:09
うわ~

大阪人の中の大阪人ですね~。。

私は大阪生まれの大阪育ちでしたので、父親もてっきりそうだと思っていましたが、故郷はこんな海と山と川と湖が綺麗な田舎だと知った時は驚きました。。

父の生家とおぼしき場所に居た同姓のおばあちゃんに事情を話そうかと思いましたが、思いとどまりました。。
2014年3月27日 18:39
この界隈は、私の父も愛した場所でした。
あっ、魚釣りで、、、、、でしたが。

私も同行して、ここら界隈でワムだらけの紀勢貨物や
80系南紀を追いかけていました・・。
コメントへの返答
2014年3月28日 14:13
やはりここへは釣りで来られる方が多いんですね~。。

私の父親の言うように魚がわんさか釣れるのでしょうか??

次回は釣り目的で来ようと思います。。

80系気動車・・・

少年時代は天王寺発、紀勢本線経由の名古屋行「くろしお」号なんてクレイジーな列車も有って、夏休みの温泉旅行でよく利用しました。。
2014年3月28日 12:26
今の歳だから 理解できる・共感できるモノ。親の故郷。

18切符を使って とても充実した旅でしたね。
鉄ヲタやってて ヨカッたですね(笑)

ほらほら、電車に向かってカメラを構えるタイミング、線路の微妙なカーブで車両のお尻の見え具合とか…
計算されてますやん。
コメントへの返答
2014年3月28日 14:18
親の故郷には確かに自分のルーツが有りました。。

そしてここでガキの頃の父親が走り回っていたと思うとなんだか泣けてきました。。

鉄ヲタ万世~~

鉄道写真・・・

うっ。。

確かにベンチのお婆ちゃんが立つ前に・・・、ポールの影が列車の顔にかからないタイミングで・・・、桜の木が列車の頭に来た時にシャッターを切る・・・・とか計算している自分が居ます・・。

やっぱ重症のヲタでつか??

2014年3月28日 13:12
とてもいいお話を聞かせていただきました。
なんだか潮の香りと懐かしさをジワ~ッと感じさせていただきました。
私は、すでに25年ほど前に父親を亡くしており、あと10年もすればなくなった当時の父親と同じ年齢になるのですが、今の年で父親と会話をしたら、どんな会話になるんだろうなと想像させていただきました。
コメントへの返答
2014年3月28日 23:13
ありがとうございます。。

私の父親は18年前に他界しました。

ここへ来てみて、父親が生存中に連れてきてあげれば良かったなと後悔しています。。

9歳の時に母と他界し、以来ずっと男手ひとつで私を育ててくれた父親の優しさと力強さ、それにおおらかさはこの土地こそがもたらしてくれたんだなと痛感しました。。

次に生まれる時も、この父親とその父が愛した母親の子で生まれたいと思いました。。
2014年3月29日 8:50
うぉ~名作シリーズですね。
深いいです。

おのずと年を食うと自分のルーツを探しだしますが、結構先祖の遺伝子、強くひいていますよね。
私は父の母。祖母とそっくりで、私も逞しく働き者で一生いるのかな、と思います。
そんな風におもうと、先祖を敬う気持ちが自然と出てくるようになりました。
歳ですねー‥(笑)

ラストさんは山に海に、お父さんの影響が強かったようですね~
コメントへの返答
2014年3月29日 11:38
ありがとうございます~。

リカちゃん未だそんなこと思う歳じゃないのに・・・。

今は未だしっかりと親の脛かじっておかないと・・・。

女の子は普通父親に似て、男は母親に似るって言うけど、私は母親の記憶があまり無いのでどちらに似たのかは比べようがありません。

多分、父親に似たと思うのですが・・・。

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