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ラスト サンバーのブログ一覧

2017年12月26日 イイね!

阪和線の103系電車が知らぬ間に居なくなっていて、死ぬほどショックな件。。。

阪和線の103系電車が知らぬ間に居なくなっていて、死ぬほどショックな件。。。


鉄道ヲタクな私としたことが・・・・

気が付けば全く居なくなってしまっていた阪和線の103系電車。。

今年一番の悲しい出来事でした。。





先日、阪和線のとある駅で103系が来るまで待ってみて、一向に来ないので駅員さんに聞いて、初めて全廃になったことを知りました。。


103系。。。

それは私が3歳の時の出来事。。。

それまではチンチン電車の南海平野線沿線で暮らしていて、幼い私の中では「電車は1両で走る」というのが常識でした。。


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そしてチンチン電車の前面にがぶりつきながら初めて股ヶ池停留所上を走る阪和線の「繋がった電車」を見て、地球が爆発するかのくらいの衝撃を受けた阪和線の青い新型(当時)電車。。


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この電車を一目見た瞬間に長い長い私の鉄道ヲタクの人生が始まりました。。

オレンジ色のオンボロ電車の中で、ひときわ輝くスカイブルーの103系。。

当時はもちろん非冷房で、夏場は窓を全開にしてMT55型モーターの爆音を聞くのが大好きでした。。


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その後、阿倍野区の播磨町に引っ越し、7歳(小2)の時に母が癌を患い、天王寺の総合病院に入院した際も、学校が終わればずっとこの電車で自宅近くの鶴ヶ丘駅から母の病院に通いました。。



次第に母の病状が悪化していく中、遂に父も体を壊して入院・・・


小3の時に兵庫県・尼崎市の立花駅近くの伯母宅に預けられ、東海道本線で阿倍野区内の小学校へ通学する際、やはりスカイブルーの103系が東海道本線でも走っていました。。


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いつも運転士の背後から運転操作を眺めながら通学していましたが、当時の国鉄は労働組合が強く、昼間でもカーテンを降ろして運転する運転士が多く、前面展望を見るのはよほど良い(反組合側の)運転士に巡り合わない限り無理でした。


世間では私の事を「両親の居ない可哀想な子」だと腫れ物に触るような扱いでしたが、当の本人は親の目から逃れ、毎日毎日103系電車に乗って通学できるなんて夢の様な気分でした。。

少年野球チームの練習に行けなくて、レギュラーから外されてしまい、友人関係も希薄になり、かなり悔しい思いをして、野球なんて大嫌いになってしまいましたが、この103系が居てくれたお陰で、本当は辛い筈だった幼少期をとても楽しく過ごすことが出来ました。


また、この当時は「大きくなったら103系の運転士になろう!」という夢と希望を抱き、日々の鉄ヲタ行動に磨きがかかり、充実した日々を送ることができました。


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世の中の男の子の間では、スーパーカーと特急電車が憧れの的だった時代。。


私は他の乗り物よりも何よりもこの103系が殊更大好きで、小学生低学年の頃から幼馴染の間では変態扱いされてきました。。



完全に私は「変わった奴」でした。。



この無機質で冷たいステンレス地のままの扉や、剥き出しの蛍光灯、さらに冷たい青色のシートが織り成す、「殺風景」の骨頂の様な車内アコモ、「これこそ本当の扇風機」とばかりに天井に設置されたデザイン性のかけらもない丸形扇風機。


そして下品極まりない音を出すコンプレッサーと、電車が停止していてもうるさい主抵抗器を冷却するブロアーの音。。。


走り出すとギコギコと揺さぶられ、立っているのも困難なほど揺れる金属バネ台車。。


そして車両全体から醸し出されるその不愛想さが本当に大好きでした。


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こちらの画像は幼少の頃の私が毎日利用した天王寺駅8番乗り場です。。


当時、鶴ヶ丘駅~天王寺駅間の運賃は子供10円という破格値でした。。




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この食パンの様な切妻型デザインな前面は決してカッコいいとは言えませんが、この地味さこそが103系の最大の魅力だと思います。



そしてこの不細工さが自分自身と被って、とても他人とは思えない存在です。


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そして遂に9歳(小4)の時に母親が他界し、10歳で父親と2人で鶴ヶ丘の自宅に戻って暮らすようになってからは、103系電車との間に少し距離が出来たしまいましたが、子供の頃に毎日見ていたこの103系同士の離合という当たり前の風景が、もう永遠に見れないなんて。。。

最後にゆっくりと阪和線を訪れる機会すら作れなかったなんて、

残念極まりない。。


去年から今年にかけては海外の乗り鉄なんかもしましたが、肝心の103系の最終日を知らずに乗ることが出来なかったなんて、本当に今年最大の失敗でした。。


この電車が無くなるということは、自分の中の何か大切なものを失ってしまうという様な感覚です。



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取り敢えず、大阪近郊では未だ大和路線とおおさか東線、それに奈良線にウグイス色の103系原型車が残っているということですので、来年、年明け早々訪問してみようかと思っています。。



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今度こそ本当に行動を起こさないと、もう永遠にこの電車に会えなくなるかもですね。。。



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アナログな計器類が並んだ103系。。。

お疲れさま!


今年は大阪環状線からもオレンジ色の103系が消えてしまい、

一つの時代が終わってしまいましたね。。。

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「生徒達と「祈りの杜」訪問  http://cvw.jp/b/860472/48596363/
何シテル?   08/12 23:11
ラスト サンバーです。よろしくお願いします。 サイドに大きな六連星を施し、ヒサシ(国鉄・上越型EF58の氷柱切りとも言う)を取り付けたデザインのサンバーは、主...
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