ストリートピアノの練習や、その他様々な趣味活動のため「みんカラ」を離れてはや1ヵ月が経ちますが、10年以上に渡って月平均7回の投稿を行っていたのを急にゼロにすると、「活字ボケ」の様な症状が出てしまい、リアルタイムな文章表現が閃きにくくなってきてしまいましたので、数回、ブログを復活させてみます。。。
・・・ということで、先日、1週間会社を休んで単独で大阪市の天満橋から南紀・熊野本宮まで、熊野街道・西高野街道・京大坂道・小辺路を歩いた時の様子を綴ってみます。(^^♪
定時の10時に仕事を終えて、そのまま天満橋駅に直行。
スタートは10時30分です。
大阪の中心部から熊野本宮へは今や高速道路も整備され、日帰りで参拝することも十分に可能ですが、このルートを歩くとなると、最短でも8日間はかかります。
今回、完歩を目指すにあたり予算も帰路の交通費・宿泊代金を含めて7万円を見込んでいます。
台湾やタイ・ベトナム・グアム等へのちょっとした海外ツアーよりも高額になってしまいます。。
古代を生きた人々にとっては、この熊野参拝は、きっと今ではそんな海外旅行に匹敵するほどの一大エンタテイメントであったに違いありませんね (≧▽≦)
古代人が往復で16日間も掛けた人生で一大イベントの熊野詣の旅。。
みんなどんな想いで歩いていたのでしょうかね~。
今回はそんな古代人の娯楽に触れてみるために企画しました。。
人生でたった一週間、そんな日が有ってもいいじゃないですか (≧▽≦)
妻と何度かウオーターサイドを楽しんだ八軒家浜がスタート地点です。
↓↓
旧淀川のこの浜に京の都から旅人たちを満載した船が到着し、人々はここから熊野に向けて徒歩で旅立ちました。。
今、私もまたそんな京からの旅人になったつもりで徒歩の旅をスタートさせます。。
船着き場に設置された常夜灯が旅情を掻き立て、古代人への想いを湧かせてくれます。
現在の私の想いと遥か昔の人々の想いを繋いでくれる不思議な空間です。
常夜灯から南進したところの最初の交差点です。
「熊野かいどう」の石碑を発見!(≧▽≦)
本当に間違いなくここが熊野街道だということを確認でき、感動です。。
この石碑は今後、大阪市内で何度か見ることになります。。
振り返ると坂道に建てられたビルの1階部分がユニークですね~。
兎に角、大阪の中心部は高速道路やビルなどが多く、本当にここが熊野街道なのかと、直ぐに不安になります。
古代もこの辺りは街並みが続いたと思います。。
古代人も大阪は都会だなぁなどと思いながら歩いたことでしょう。。
最初の「王子」のある南大江公園です。。
古道歩きでは、チェックポイントの様に「王子」と呼ばれる神社が等間隔に現れ、人々はそこに参拝しながら歩みを進めます。
私も日頃の無事に感謝し、熊野本宮までの8日間の安全を祈願しました。
本件ウオーキング唯一の自撮り写真です。
榎木大明神。。
古道には御神木系の祠も沢山見受けられます。
そういう場所以外は、単なる街歩きですので、御覧の様な石碑がたまに現れてくれるのは頼もしい限りです。
楠木大神です。。
正に自然崇拝の日本の神道の神髄の様な光景です。
道路敷設に当たっても、御神木は切り倒さないと言う、日本人の良き風習の鏡です。
やがて巨大な「あべのハルカス」が近付いてきます。。
目印を見つけて一安心。。( *´艸`)
街道沿いには大阪市内では数少ない緑地帯が数多く見受けられます。
四天王寺前夕日丘には私の檀家のお寺がありますので、少し寄り道をしてお墓参りをします。。
豊臣秀吉公が武士上がりの大阪商人のために建立された曹洞宗のお寺です。
私は大阪商人の父を持つ生粋の大阪生まれの大阪育ちですので、 古来から脈々と続く「毎度おおきに~」「ボチボチでんな~」の大阪商人の血が確実に流れています。。
父や母、祖母、祖父の眠るご先祖様のお墓に参拝します。
「おまえなに呑気に歩いとるねん!」と親父の声がしたように思います。
そして、古代人は必ず参拝したとされる四天王寺さんにも参拝です。。
本当に1時間ほどの歩きでも、内容は濃くてゲップが出る程です。。
大通りにも熊野街道の石碑が建てられていて、安心です。。
南大阪の一大ターミナル、あべの橋・天王寺駅もハルカスビルの完成でスッカリ変わってしまいました。。
天王寺と言えば、南大阪で初めてマクドナルドさんが開店したところです。
小5の当時、幼馴染の女の子にせがまれて、自転車に2人乗りしてハンバーガーを買いに来た事を思い出しながら、ランチはマクドナルドさんで食べました。( *´艸`)
天王寺からは阪堺電気軌道さんの上町線が走る「あべの筋」が熊野街道となります。。
ここからはいよいよ私が生まれてから26歳までの大阪市阿倍野区在住時代の地元テリトリーに突入です。(≧▽≦)
少年時代に剣道を習っていた阿倍野警察の前からチンチン電車は専用軌道へと入ります。。
熊野街道も少し先であべの筋と別れ、左へ反れます。。
ちょうどスーパー玉出さんの黄色い看板の左の道がそうです。
そこにもスタート地点と同じ石碑が有りますが、あまり目立ちません。。
こちらは古代の天文学者を祀った安倍晴明神社です。
狐(お稲荷さん)に守られた安倍晴明の銅像が。。。
こちらは直ぐ近くの阿倍王子神社です。。
私の実家はこの神社の氏子でした。
「もと熊野街道」の石碑が建てられています。。
千年以上前から有ったとおぼしき巨大な御神木です。。
北畠界隈でやがてまたチンチン電車との併用軌道となります。。
私の母校たる思い出深い中学校も昔と変わらないままでいます。。( *´艸`)
姫松交叉を過ぎると、熊野街道は一時的にチンチン電車道と別れます。。
ここは直進せずに左折するポイントです。。
姫松交叉を過ぎると、熊野街道は一時的にチンチン電車道と別れます。。
そして万代池公園の前を通ります。。
ガキの頃によく鮒釣りやシラサエビを獲った思い出深い池です。
今から思えば大阪市内とは言えども、私はかなり自然環境条件の良いところに住んでいたかもしれないですね。。
暑くて思わずコンビニでビールを購入して今いました。。
そして本日の一大立ち寄り地の住吉大社に到着です。。
熊野街道は神社裏を素通りしますので、敢えて裏門からの参拝です。。
大阪市内最大の神社と有り、敷地は広大です。。
いつもお味噌を買っていた「住之江味噌」さんがそんなに由緒正しく、歴史の有るお店だったとは、地元民ながらに全く知りませんでした。。
歩き疲れてたと思ったら、もう学生たちの下校の時間だったんですね。( ゚Д゚)
大阪市内は見どころが多くて、あっという間に時間が経ってしまいますね~。
そして遂に大和川。。。
大和川は近代になって新たに人工的に引かれた川ですので、古代はこの川越は有りませんでした。。
おそらく、高野線の鉄橋の西側に熊野街道は有ったと推測できます。。
くたびれてしまいましたので、この日は浅香山までの歩きとし、
7泊8日のうちの1泊分の宿泊代金を浮かせるために南海電車で自宅へ帰宅しました。。
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