皆様は国鉄最後の近郊型電車で、京阪神間を疾走した117系シティライナーのうち、急行型仕様に作り上げられた100番台という編成をご存知でしょうか??
今回の「乗り鉄」では岡山地区に残る、その急行型仕様の117系を追ってみました。。
夕刻の糸崎駅で、1762M播州赤穂行普通列車に限定充当される117系100番台に乗車します。。
117系はこの100番台車両が登場した当時は既に0番台車両が京阪神地区で30本が運用され、次は混雑緩和のため、221系3扉車とする構想が立っていましたが、とある事情からこの100番台2扉車6両編成が3本急遽製造されました。。
100番台は0番台の上段下降下段上昇式窓とは大きく異なるスマートな1枚下降窓を採用していて、高級感を醸し出しています。
今や、ロングシート化改造されていないオリジナルな車内を持つ117系はここでしか乗れなくなってしまいましたが、それももうあと半年ばかりの命です。。
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座席下の暖房装置をコンパクト化し、足元のクリアランスを広げ、座りながら脚を伸ばせる構造となっています。。
特急型と言っても過言ではないほどのまとまりぶりです。。(≧▽≦)
実はこの117系100番台・・・
当時、電化されて381系特急くろしお号が走るようになった紀勢本線の架線下を電車を買うお金が無いという理由で走り続けていたディーゼル急行「きのくに」号をいよいよ電車化しようという構想がある中、理想の近未来型の急行型のお手本というコンセプトで試作されたものでした。
当時の国鉄は「きのくに」号を電化するために、信州で余剰となった165系を多数転属させましたが、旧来の垂直BOXシート故、新車にしてほしいという苦情が出てしまい、165系は急行運用を断念し、普通列車運用に回されました。
そして、田舎では良くあることですが、地元からは「急行は不要だから特急くろしお号をわが街に停車させてほしい。」という無理難題な要望が沿線各自治体から出されました。。
そこで国鉄が執った施策が天晴!
東北新幹線の開通で不要となった485系の中古車を紀勢本線に回し、さらにその車両を使って急行「きのくに」号と同じ停車駅に設定したうえ、車両が特急型だという事だけで特急「くろしお」を名乗らせるという施策を執り、実質上は特急を停車させることを口実とした値上げ以外の何者でもない悪名高き処置でした。。
かくして117系100番台車は急行「きのくに」に使われる事なく、3組成が製造されただけとなり、貴重な存在となりました・・。
実はこの部分の座席がいちばんシートピッチが広いのですが、戸袋窓が気になります。。(/ω\)
運転席後ろの窓は0番台よりも広く採られていて、高運転台ながらも前面展望が可能です。(≧▽≦)
昭和61年の設計ではトイレは未だバリアフリー型ではなく、普通のトイレです。。
3本だけ存在する100番台は全て違う車両製造会社で落成されました。
私が乗ったのは「東急車輌」謹製。他に「近畿車両」と「川崎重工」が有ります。。
関東では185系特急型車両にも採用されたフラット天井です。。(≧▽≦)
窓はスマートな1段下降窓の2連式です。。
お顔はなんら0番台車と変わり有りません。。(´・_・`)
まるで特急電車みたいでカッコいいですね~。(≧▽≦)
同じ国鉄型の115系と比べると、その違いは一目瞭然です。。
MT54型主電動機の唸りと共に、瀬戸内海沿岸を走ります。。
夕飯まで、お腹が減ったので、こんなの買いました。。
約2時間40分かけて播州赤穂までやって来ましたが、このまま和歌山には帰宅せず、折り返し列車の乗車して、福山へと向かいます。。
夜はやはりカーテンが全降ろしとなります。。
普通列車に使うのは勿体ないですね~(´・_・`)
いやぁ、流石にこの朝からの乗り鉄は疲れました。~(≧▽≦)
岡山からはこの変顔な115系の編成に乗り。。
城下町・福山に22時30分に着きました。
Posted at 2022/08/25 23:36:47 | |
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