
前回のブログの続きですが・・・
四国・石鎚山に登った後は、登山の予定も無く、もう1泊して翌日、しまなみ海道をドライブして帰ります。
石鎚山下山後は、松山の道後温泉に立ち寄りました。。
旅館の内湯に「日帰り入浴」として入りましたので、公衆大浴場に入るよりかは、少し贅沢な気分に慣れました。(^^♪
・・そして、伊予西条に帰着後も、未だ夕飯まで時間が有ったので、兼ねてから訪問したかった「四国鉄道文化館」に遂に立ち寄ることが出来ました。
今回の同行者全員が鉄道ファンですので、私の発案で、満場一致で何ら問題なく入館が決定されました。(≧▽≦)
ホテルに帰って着替えずに、全員、登山靴を履いたままでの訪問です。(=゚ω゚)ノ
いきなりジオラマの展示です。。(^^♪
老後、登山も出来なくなったら、自宅でこんなのを作って遊びたいですね~
(≧▽≦)
中学生の時にお小遣いを貯めて、学割周遊券で四国に旅しに来た時に乗った急行列車のヘッドマークも有りました。(≧▽≦)
C57-44号機と、キハ65型が展示されています。。
特にキハ65型は2008年まで四国で活躍しており、末期は普通列車にも使用されていたことから、青春18きっぷでよく乗りに来たものでした。(≧▽≦)
元々、暖地向けのため、タイフォンカバーはスリット状のものが使われています。
この34号車は昭和44年に製造後高松に配備され、四国で最後まで使用された個体です。
キハ65形はシートピッチを大きくし、快適性を向上させたため、トイレは無く、戸袋窓も設けなかったため、出入り口は御覧の様な狭い「折り戸」となっています。
客室はボックスシートのままですが、バケット型に改良されています。
私のイチオシの特等席はこの車端部の2人掛けロマンスシートでした。(≧▽≦)
これに乗って旅をしていた当時を思い出します。
さて、屋外ですが、そこにはフリーゲージトレインの試作車が展示されていました。。
2種類の異なる線路の幅にも対応でき、新幹線も在来線も縦横無尽に走行できると言う触れ込みでしたが、日本人の頭脳ではとうとうその技術を獲得することは出来ず、無用の長物となってしまいました。。
遠く欧州では当たり前の様にフリーゲージトレインが走っている中、この開発の失敗で日本の技術はもう2流、3流にまで落ちたと言えるかも知れません。
「ゆとり教育」の弊害なのか、バブル後の企業の研究費用削減のせいなのかは判りませんが、あらゆる面で、日本の衰退が見られています。
「2番じゃダメなんですよ!1番でなくっちゃ!」という政治家も企業家ももう日本では出てこないのでしょうかね~ (/ω\)
もう手っ取り早く鉄道車両も欧州のシーメンスさん辺りから輸入しますか??
さてさて、線路を渡ったところにも展示館が有りましたので、そちらへ行ってみました。。
0系新幹線が展示されていました。。
この頃の日本が最も輝いていたと思います。。
あと、四国でよく見たDF50型電気式ディーゼル機関車も展示されています。。
こちらは発電用エンジンが日本での開発が行き届かず、欧州スイスの「ズルツァー社」製を使用したタイプとドイツ「MAN社」製を使用したタイプの2種が使われていますが、1号機はズルツァ-社製です。。
その日の夜は、台湾料理で乾杯!
ホテルに着くころには雨が降り始めました。。
さて、その翌日はゆっくりと朝寝坊して、しまなみ海道を通りました。。
自転車では3回ほど今治~尾道間を渡りましたが、車で完走するのは初めてだと思います。。
最後にこんなところに立ち寄りました。。
前から気になっていた、因島の白滝山。。
瀬戸内の美しい風景が俯瞰できる美しい山。。
そこには五百羅漢と呼ばれる石仏が多数祀られています。。
瀬戸内の小さな島の、人知れない不思議空間です。。
そして景色がとても良くて、爽快です。(≧▽≦)
誰も居ない、静まり返った不思議な空間です。。
そして、日本のあらゆるところに有る、悲しい恋の伝説も存在しました。。
Posted at 2022/10/21 23:11:39 | |
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ディープな場所探検 | 日記