本日、関西の鉄道ファンが待ちに待った「京都鉄道博物館」がオープンしました。
私は仕事でひとあしお先にお邪魔していましたので、その時の画像を公開します。
入り口は旧梅小路蒸気機関車館とほぼ同じJR山陰本線の高架橋を抜けた場所に有りました。。
エントランスにはなぜかC62-26と湘南型クハ86初期型が抜擢されていました。
このクハ86型、初期型ではなく当時大流行した正面2枚窓の湘南型の方を残して欲しかったと思うのは私だけでしょうか。。
そしてその横は・・・・
私が生まれた年にデビューした0系新幹線。。。
私の同級生には「ひかりちゃん」「こだまちゃん」が多いのも事実です。。
やっぱ新幹線はこの形が一番いいデザインだったと未だに思っています。
そしてやはり・・・・
JR西日本さんの風雲児・トワイライトエクスプレス牽引機のEF81型と・・・
とうとう乗車することが出来なかった、最後尾の1号車1番個室スイート・展望寝台客車までの数両ががセットで保存されていました。
華々しい車両ですが、その向こうには地味な貨物機EF65-1や、全国各地で活躍した急行牽引機EF58型がきちんと展示されていました。
様々な改造遍歴を持つ昭和8年製の旧型客車も展示されています。
そして、小学生高学年の時に福知山線の旧型客車を使用した普通列車に魅せられて、何度も1人で乗りに行った思い出の有るDD54型機。。
大阪発出雲市行や米子行・鳥取行長距離鈍行もよく乗りました。。
極め付けは浜田5時10分発大阪21時40分着の普通列車かな。。
この車両との出会いが、私が「乗り鉄」活動を始めたきっかけとなりました。
この機関車はドイツのバッハ社製のエンジンにメキドロ社製の変速機を組み合わせた当時としては最新のものでしたが、現在でも通用する近代的なデザインとは相反し、日本の停車・発車を繰り返す運用には適応せず、動力伝達ロッドが折損する故障が多発し、果てはこの折損が原因で脱線事故まで惹起させてしまい、ファンに惜しまれながら僅か10年ばかりで全廃されてしまった悲運な機関車でした。。
でも私の幼少期、現在「鉄ちゃん」な私の礎を築いてくれたこのDD54型は、私が最も好きな機関車でもあります。
そして館内に目をやると・・・
JR西日本さんの新幹線のぞみ号の精鋭として製造されるも、早くも望み運用を引退し、廃車を出した500系をはじめ、昼夜両用583系クハネ581型やボンネット型489系クハ489型が展示されていました。。
いやぁ、昭和の特急型は実に趣きがあっていいですね~。
国鉄を代表するDD51型ディーゼル機関車もとてもいいアングルで展示されています。
床下機器も見れる様、あたかも車庫の検査ピット線に居る様な雰囲気を体験できます。
ミゼットに赤電話に「たばこ」表示、それに駄菓子屋。。
昭和時代の演出も関西らしくていいでしょ~。
現役時代の我々「オッサン世代」にはたまらない風景ですね。。
交通科学博物館時代の最大の見せ場であった、昼夜風景が変化する巨大ジオラマも再現されていて一安心。。
このジオラマは鉄道模型の老舗・カツミ模型さんが制作されています。
指令モニタ画面に血が騒ぎます。。
100系新幹線なんかも私の中ではまだまだ新型だったのに。。。
JR化後に製造されたグランドひかり用100系は屋内展示・・・
国鉄時代に製造された0系は野外展示・・・
どちらと言うと、どちらも屋内展示にしていただきたかったですね。
こちらは私が小4の時に初めて乗った3段寝台。。
今更ながら、52cmとはこんなに狭かったのかと思います。。
食堂からは東海道新幹線や、在来線が実際に走行する風景が眺められます。。
そして、あの梅小路蒸気機関車館もそのまま残されていました。。
実際に動くトロッコ客車を牽引するのはナントC62-2スワローエンジェル。。
あの名門機がトロッコ2両を牽引するアンバランスさが素敵です。
お腹の底に響く大きな汽笛も健在でした。。
お召し用C58は菊の御紋が良く似合いますね。。
急行機ならではの径の大きな美しいスポーク型動輪
蒸気機関車は正にそのものが芸術作品ですね。。
そして、私が何よりも嬉しかったのは・・・・
昭和38年に製造され、山手線、大阪環状線、阪和線と転じた通勤型103系のトップナンバー/クハ103-1・・・
実際は「-2」方が床材まで原型を留めていましたが、どちらを保存するのかとなると、やはりトップナンバーになった様子です。。
グリーンのデコラ板にブルーのロングシート・・・
ステンレス地剥き出しの飾らない実質剛健なデザインは、他のどの車両より素敵だと思ってしまいます。。
いやぁ、この車両が無事保存されていることが確認できただけでも大収穫でした。。
えっ??
何の仕事だったのって・・・???
さてさて、娘とのお花見デートネタで中断した鉄ヲタネタですが・・・
第1編の続きです。。
草津線沿線が桜満開の頃のお話です・・・・。
典型的な国鉄・近郊型電車のアコモに揺られながら近江路の旅は続きます。。
いつ乗っても昭和時代標準仕様の垂直BOXシートは旅情を誘います。。
草津線の電車は、単線なのによく飛ばしますのでかなり激しいピッチング&ヨーイングに見舞われますが、これぞ国鉄電車の醍醐味です。。
ステンレス地が剥き出しの扉がいかにも国鉄・・・
その冷たさは、下手にデザインされた平成生まれの電車より、いかにも電車らしさを感じます。。
川崎重工昭和50年製・・・・
私が11歳・小学5年生の時に新造された車両で、もう40年も使われています。。
3度の飯より電車が好き・・・
昼食は売店で買ったカルビーさんの「かっぱえびせん」と無糖紅茶で済ませます・・。
今日は国鉄型の「乗り鉄」」ついでに、平成3年5月の正面衝突事故で一時は廃線の危機から脱却した信楽高原鐡道さんを探方しました。。
貴生川駅で乗り継いだ信楽高原鐵道列車は最新鋭の単行気動車でした。。
事故の慰霊碑の位置を確認する為、列車の最前部の展望スペースを陣取ります。。
運転士さん・・・
真横に変なオッサンが張り付いて鬱陶しいでしょうが、しばし我慢を・・
貴生川駅を発車して大きな川を渡ると、列車はいきなり連続登り勾配に差し掛かります。。
信楽高原鐵道は全線で営業距離が14.7kmですが、次の信楽宮跡駅までの距離がなんと9.6kmもあるという特異な線形です。
前々回のブログでご紹介した平成3年に惹起した42名もの死者を出した正面衝突事故は、その駅間に有る列車交換施設(小野谷信号場)を過ぎた地点で発生しています。
これがその小野谷信号場跡・・・
事故後は廃止され、信楽高原鐵道は事実上、始発駅から終着駅まで列車がすれ違えない状況となっています。。
JR快速列車が「青」の信号現示を確認して進入した問題の信号機は現在は勿論使用されていない為、ご覧の様に横に向けられていました。。
正面衝突事故はこの地点から信楽宮跡駅までの何処かで発生しました。。
しかし、残念ながら下り列車ではその場所を特定する事は出来ずに信楽駅に到着・・・。
信楽駅では「信楽焼」の街らしく沢山の陶器のタヌキの陶器が私を出迎えてくれました。。
駅前には巨大陶器タヌキも居ました。。
信楽の街は高校生当時に乗り鉄に来て以来です。。
街の至る所に陶器屋さんがあり、タヌキの置物が所狭しと並べられています。。
日本人ですから先ずは地元の神社にご挨拶方々お参りです。
神社の境内に相撲の土俵がある日本古来からの造りです。。
神社を出たところでこんな車が・・・
妻の車選びの最中、実は私が妻車候補の中で最も欲しかったアルファ・ロメオさんのジュリエッタです。。
こんなところで会うなんて・・・
近くのお寺も参拝し、1時間ばかりで信楽の街を後にします。。
帰路も最新型のディーゼルカーに乗車です。。
事故の際に「赤」のまま変わらなくなってしまった運命の出発信号機が見えます。。
奇跡の復活を成し遂げ、今はスッカリ平和なローカル線となっています。。
帰路こそは慰霊碑の位置を現認しようと運転台後ろに張り付いていると・・。
慰霊碑は信楽宮跡駅から貴生川方に300m程の地点に有りました。
信楽駅の出発信号機の停止信号を冒進した事故列車はこの慰霊碑のもう少し貴生川寄りの、基点ヲ去ル5.4km/約11分間走行した地点で、加速中(反対列車は惰行運転中)に正面衝突した計算になります。
今日は列車の中で数秒間の黙祷ですが、次回来訪時は時間をとって献花しようと思います。
これは、小野谷信号場からの長い下り坂を走行し、貴生川の街へと入って行くところの前面展望です。。
せめてこの場所での鉢合わせなら見通しが良いので正面衝突は免れたのではないかと思うと悲運な事故が悔やまれます。。。。
信楽高原鐵道を後にして、草津からは湖西線の国鉄型を探訪すべく、新快速電車に乗り込みます。。
そして、山科駅で湖西線に乗り換えますが、新鋭の223系が使用されていて拍子抜けし、直ぐに京都駅に戻り、後続列車に乗り換えます。。
後続列車は幸運にも先程の113系原型車で、ダイヤ改正後の湖西線にも国鉄型が健在であることが確認されました。。
そして、志賀駅で下車して京都方面行列車を待っていると、なんと衝撃的な出会いが・・・・。
おやっ??
なんととっくの昔に絶滅したと思っていた117系原色カラーです。。
このシックなデザインは昭和55年当時の国鉄無料金列車としては一世を風靡したと言っても過言ではありません。。
シートの形状もモケットも当時のデザインのまま・・・
福知山線転属組の一部ロングシート改造車の300番台車だったのが残念ですが・・・
・・・という事は、この電車、福知山線専用新塗装から改めて昔のリバイバルカラーに塗り替えられたという事になりますね。。
30年前にタイムスリップした様なホームの風景。。
この117系原色車に遭遇出来たことが今回の旅の最大の収穫となったのは言うまでもありません。
そして、娘から「焼肉食べたい」のメールが入り・・・
本当はもっとこの117系で湖西線を往復したかったのですが、そそくさと帰宅・・・
お昼ご飯をかっぱえびせんで浮かせた分以上の出費となってしまいました。。
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