このたび八ヶ岳を訪問し、前回のブログの通り、森林軌道トロッコ廃線跡が今尚残存していることを確認出来、当初の目的は達成することが出来ました。
後はこの大自然といかに戯れるかです(^^)v
つい2週間ほど前までは、異常気象による大雨で氾濫していた「みどり池」も水が引いて通常の状態に戻っており、一安心です。。
みどり池を発っても暫くは森林軌道トロッコ廃線跡の線路が続きます。。
このコースはメインルートではない為、本当に人に出会いません。。
唯々、美しい自然のありのままの姿が続くのです。。
池塘に敷かれた木道で初めて先行者を追い抜きました。。(^^♪
それにしても何処までも綺麗な景色が続き、心が洗われます。。。
苔生す倒木とか・・・
まるで宮崎駿さんのジブリの世界です。。
数少ない自撮り画像。。
こんな感じの道が延々と続きます。。
地元、関西の山には無い雰囲気の森林です。。
やがて、1時間強の歩行で本沢温泉のテント場に出ました。。
ここには日本一高いところ(2150m)にある野天風呂温泉が有りますので、それ目当てにキャンプをする人も多いようです。。
こちらがその野天風呂を管理されている山小屋「本沢温泉」さんです。。
頂上を目指さなくてもここまで森林を歩いてくるだけでも十分ですので、いつか年老いた時にはここと先ほどのみどり池の「しらびそ小屋」さんを目的地としてまったりと来てみたいです。
売られている飲料水は湧水による自然冷却ですが、これがまた凍りそうなくらい冷たい!!
で、その自慢の温泉はこの硫黄岳を望む沢沿いにあり、小屋からは5分ほど登らなければなりません。。
登山道からの入り口です。。
そして現場に到着! (^^♪
「雲上の湯 日本最高処野天風呂 標高2,150m」の標記が凛々しいです。
これがその野天風呂!
なんと着替えるところはおろか、洗い場なども一切有りません。( ゚Д゚)
女性が入浴するにはかなり勇気が要るお風呂かもです。。
自分で木の蓋を開けて入ります。。(^^♪
幸い、誰も居ないので気兼ねなく入れます。。(^^♪
折角だから自撮り記念撮影 (^^)v
お見苦しいオッサンヌードですみません m(__)m
あ~本当に気分は最高です。( *´艸`)
温泉水の中に含まれる硫黄の匂いがぷんぷんしています。(≧▽≦)
30分ほど温泉で休んでまた歩きだします。。
5分ほど歩くとこんな地点に。。( ゚Д゚)
なんと先ほどの野天風呂は登山道からも丸見えだった訳です。。(*´Д`)
そこから45分くらいで、夏沢峠に到着しましたが、どうやら先ほど追い越した方にヌードを見られた疑いが濃厚です。。
夏沢峠は麦草峠から赤岳にいたる主要縦走路上に有ります。。
よって連休の今日はここから急に「人」「人」「人」です。。
マイナーな稲子湯ルートを選んでおいて良かったです。(^^♪
前方を歩く人に連なって、本日宿泊する「根石岳山荘」を目指します。
標高は高くなり、いつの間にか雑木林の歩行から森林限界となるハイマツ帯の歩行に変わっています。
10分も歩けばなだらかな山頂を持つ根石岳が見えてきました。。
後ろのピークは東天狗岳です。 (^^♪
流石にメイン縦走ルートだけあって、御覧の様な大きな道案内看板が立て
られています。。
そして、とうとう本日宿泊する根石岳山荘さんも見えてきました。。(≧▽≦)
何処となくハーモニカの音色が聞こえるなと思ったら。。
小屋番の人が屋根の上で休憩しながら、ハーモニカを奏でておられました。
(≧▽≦)
未だ14時前ですが、取り敢えず小屋にチェックインします。。
実はこの小屋に泊るのは2015年9月の「リピート山中さんの雲上黄昏コンサート」以来、2回目です。。(≧▽≦)
若い頃からなぜかルーティーンになっている小屋到着時のコカ・コーラの一気飲みを済ませます。。(;'∀')
そして、夕飯まではまだまだ時間が有りますので、重い荷物は小屋に置いておき、水と貴重品のみを持って、天狗岳に向かいます。。
左側の西天狗岳は山容も大きく行ってみたいのはやまやまですが、夕暮の時間的にギリギリですので、今回は無理せずに左側の東天狗岳だけにしておきます。。
小屋がだんだんと遠ざかっていきます。。
そして先ずは根石岳山頂(2,603m) (^^♪
今回は到達出来ない西天狗岳を背景に自撮り記念撮影です。。
お腹がカエルみたいになってしまって見にくい画像です。(*´Д`)
遠く右端に諏訪湖が見えます。。
根石岳山荘。。
左側から雲が湧いてきました。。
今夜は満天の星空が望めそうに有りません。。(/ω\)
東天狗岳との中間鞍部です。。
取り敢えずは脚を進めます。。
鞍部まで下りてきて、振り返ると根石岳はこんな感じで、小屋側から見るよりもカッコいい感じですね。(≧▽≦)
東天狗岳までの稜線の道は、油断しているとこんな恐ろしいところも有りました。
つづく。。
今年の8月は不安定な天候が続き、趣味のアルプス登山に行くタイミングが全く有りませんでした。
初秋を迎え、ようやく天気が安定しましたので、昨今の大雨や台風襲来で被害に遭ったとおぼしき八ヶ岳の森林鉄道廃線跡の現状確認に出向きました。。
先ず余談ですが、今回の小屋泊山行に向けて、電球式のヘッドランプを改め、LED式のヘッドランプに更新することにしました。
難波のモンベルさんでこんな充電パック式と電池式併用のヘッドランプを発見しましたので即座に購入。。
持ち帰って開封すると、充電パックが無い・・・( ゚Д゚)
取説をよく読むと、お手持ちの充電パックにお繋ぎくださいとのこと・・
な~んだ (/ω\)
6,300円もするから充電パックは付属していると思い込んでいた自分がバカでした
(/ω\)
幸いにも先日購入したハンディカム用の充電パックが有りますので、そちらを使うことにします。。
さてさて、台風接近の初日ですが、この日は移動だけに充当し、しなの鉄道の115系を「撮り鉄」するなど鉄分補給に興じていました。。
お泊りはこちらのホテル。。
マスクをした犬のオブジェが今がコロナ禍であることを物語っています。
東横インさん等の格安ビジネスホテルの無いところでは、御覧の様な身分に相応しくないお高いホテルに宿泊。。( ゚Д゚)
建物内で迷子になる広さです。。( ゚Д゚)
お部屋からの眺めもヤバいです。( ゚Д゚)
お金がなんぼあっても足りませんね。(;'∀')
・・・ということで台風一過の翌日はホテルを6時に出発し、八ヶ岳・稲子湯登山口に7時に到着しました。
既に駐車場は満杯で、辛うじていちばん端にとめることが出来ました。。
登山口からいきなりこの清々しい爽やかな信州八ヶ岳特有の雰囲気が漂います。。
流石に初秋だけあって、赤い実を実らせる木も見られます。
朝露に濡れた赤い実が可愛いですね。(^^♪
そう急坂ではない登山道を1時間も歩くと朝霧が晴れて青空が展開してきました。
太陽の光が差し込んで来ます。。
ところが以前は登山口付近からトロッコ道が有ったのですが、登っても登ってもブルドーザーで整備された道が続き、ようやく発見したトロッコ道は通行止めロープで封印されていました。。
どうやら相当な道の崩壊が有った模様です。。
こちらがトロッコ道の代わりに設けられたブルドーザー道。。
トロッコ道とは比較にならないくらい無愛想な道です (/ω\)
そして、そのブルドーザー道の終端部で、見覚えのある風景が。。。
よく見ると木製の丸太橋。。
そして遂に森林トロッコ軌道の廃線跡が現れました。
昔はここを牛が材木を積載する貨車を引き上げ、下りは「制動手」という人夫が材木を満載にした貨車にブレーキを掛けながら逸走してしまわないよう恐る恐る下ったそうです。。
どうやら今はもうこの部分しか人は入れない様で、それ以外の場所は倒木や土砂崩れが行く手を阻み、一気に自然へと還っていっているみたいです。。
ここももう時間の問題だと思います。。
夏草や、つわものどもが、夢の跡・・・・
まさにその通りの光景です。。
かつて林業で振わったこの山間に、活気ある山師達の声と、貨車を牽引する牛の鳴き声、そして、木々を伐採する鋸のおとが響き渡っていたことでしょう。。
耳を澄ませば今でもそんな音が聞こえてきそうな錯覚にとらわれます。。
もう自然に還ってしまっていて、見ることすら出来ないのかと思っていたトロッコ軌道の廃線跡。。。
今、正に最期のシーンを迎えようとしている中、
時空の彼方から蚊の鳴くような声で私に当時の栄華を、厳しくもおおらかであった祖父たちが生きた時代の様子を伝えてくれます。。
虚ろな光の中、
空トロを引いた牛と共にこの坂を登るもう一人の自分の姿がゆらゆらと幻を見ているような風景の中に映ります。
そして明らかにほがらかに幸せをかみしめた顔をした自分が、現実の世界にいる私の目の前を通り過ぎて行くのでした。。
おおらかで優しかった古き良き時代よ。。
そっとおやすみ・・・
ここで会うことが出来て、
お別れの気持ちを伝えることが出来て良かったよ。。
さて、ここからは「みどり池」までわりとしっかりとしたトロッコ廃線跡を歩きます。。
どうにか自撮りを試みます。。
なんとお腹が出っ張って中年太りの豚オヤジ!
線路の上に乗って遊んでみるも、あまりにも見苦しい豚オヤジになってしまった自分自身がキモくて嫌になります。。
そして大休止となる「みどり池」の「しらびそ小屋」に到着。(^^♪
ポヨョ~ンとした心休まる風景です。。
ここで定番のコーヒーを頂きます。。
・・と思ったけど、今日は小屋泊だし、車にも乗らないし、熱いから、コーヒーを飲もうという意思弱く、ビールに手が出てしまいます。。
小屋の傍らにリスが居ました! (≧▽≦)
レールの残る小屋の入口階段から小屋内に入ります。。
いやあ、こんなところで飲むビールは本当に最高です!
窓の外は池塘と森林。。 (≧▽≦)
まるでおとぎの国の絵本の風景の中に居るみたいです。。
先ほどのリスが窓のすぐそばに居ました。。(≧▽≦)
今日の宿泊はここではなく、稜線まで登らなくてはなりませんので、前途を急ぎます。。
この「しらびそ小屋」は改めて、ここで泊まることのみを目的に訪れてみたいです。。。( *´艸`)
さてさて、まだまだ生まれて9カ月の孫ですが、ボチボチ伝え歩きをするようになり、いよいよお外歩きをする時が迫って参りました。。
孫にはぜひ私の様な電車好きになってもらって、全国各地へ「乗り鉄」しにつれて回りたいです。。
そんな孫のために、生まれて初めて孫が乗る電車の品定めです(≧▽≦)
先ずは私が幼少(0歳~4歳)の頃、母親の近鉄百貨店通いに付き合わされて乗っていたチンチン電車!
息子も良く乗りに連れて行きましたので、親子3代揃って乗る電車になります。。
私が住んでいた「西平野電停」がある南海平野線は昭和55年に地下鉄谷町線の八尾延伸と共に廃線になってしまいましたが、今尚、上町線の電車は走り続けています。
運転席後ろの「かぶりつき席」も健在。。
上町線は私が4歳~26歳の間住んでいた帝塚山界隈を走り、沿線には通った中学校や学習塾が有ります。。
向こうから走ってくるモ351型は1924年(大正13年)に製造されたモ101型の電装機器に新しい台車と車体を1962年に載せ替えたもので、もう97年間も走り続けている車両です。。( ゚Д゚)
若かりし頃に行きつけた喫茶店(ケーキ屋さん)「ポワール」がある姫松電停です。。
今尚残る大正レトロな建物です(≧▽≦)
チンチン電車のこのサイズ感が小さなお子様には大人気です (≧▽≦)
私も9歳の時に他界した母に連れられチンチン電車に乗ってあべの近鉄に行った日々の事が今でも鮮明に蘇ります。
思えばこの母と一緒にチンチン電車に乗る日常が一番幸せな記憶なのかもしれません。。
こちらは間もなく南海本線の高架化工事で消える浜寺駅前電停駅舎です。
さて、次は、そんなチンチン電車の終点「浜寺公園」にあるこれまた想い出深い「豆汽車」です。(≧▽≦)
電停前の公園入口から公園内を歩いて10分くらいのところに走っています。
平日なのに、幸せそうな家族連れでいぱいです。。(≧▽≦)
この豆汽車は母親よりもどちらかというと父親によく連れてきてもらった様な気がします。
終点の交通公園駅には、なぜかみさき公園のわくわく電車ランドに展示されていたラピート号のカットモデルが有りました! ( ゚Д゚)
是非孫も乗せてあげたいです。(≧▽≦)
交通公園には、昭和の雄、D51型蒸気機関車と、阪堺電気軌道の旧型チンチン電車「モ121型」が静態保存されています。
D51型には車番プレートの代わりに流行アニメの「無限」HMが掲げられています。
私が幼少の頃に母に連れられて乗った旧型チンチン電車も若いお母さんと小さな子供達の憩いの場となっていました。。
私が幼少の頃のままの姿で残るモ121型130号機。。
この入口から母親に手を繋がれて幼少の頃の私が乗り降りしていたのかと思うと胸が熱くなります。
車内は廃車当時のままですが、天井からは錆びの汁が垂れているのが心配です。
ほのぼのとした標語 (^^♪
降車希望ベルを押すと「チン」と鳴り、電球ランプが点き、字が浮き上がります。
こちらがその降車希望ベル釦 (^^♪
昭和レトロなフォントで文字が書かれているのが素敵です。(≧▽≦)
未だ日本人の体が小さかった頃に合わせて造られた運転席。。
身長180cmの私が座ると、先ず脚のやりばに困り、胴が長くて窓が目線の下になってしまいますので、かがんで運転しなければなりません ( ゚Д゚)
方向幕の順序表。。
昔の電車には必ずあったカノピースイッチ!
下衆な鉄道ヲタクの盗難被害にも遭わず、いまこうして残っているのは非常に貴重だと思います。
窓の外をほのぼのと先ほどの豆汽車が走っていきます。。(≧▽≦)
いつまでもモ130号機と一緒に黄昏ていたかったのですが、孫を連れて行く電車を精査するため次に進みます。
いつでもここにくれば懐かしいこいつに会える。。
ちなみに浜寺公園のすぐ外は運河になっています。。
私が幼少の頃は埋め立ては進んでおらず、白砂青松の一大海水浴場でした。。
最近は水質が幾分か良くなり、底のゴロタ石と砂が見えるようになりました。
幼少の頃住んでいた西平野電停から天王寺駅前行チンチン電車に乗り、あべの斎場前で下車し、浜寺駅前行に乗り換えて、ここで海水浴を楽しみました。
さて次は南海電車で貝塚駅まで出て、2両編成の電車が走る水間鉄道さんです。。
水間鉄道では私の知り合いが運転士さんをしていますので訪ねました。。
この車両は、東京の東急電鉄が1962年(昭和37年)から導入を始めた日本初のオールステンレス車両7000系で1988年(昭和63年)に廃車となり、10両が水間鉄道にやってきました。
そのうち8両は2006年(平成18年)、冷暖房機やATS車上装置、ドアチャイムの設置などで改造されて現在の1000系になりました。
(残る2両は通常運行はされませんが、線路上を走行できるようにちゃんと整備されています)
南海6000系と並んで貴重な日本のステンレス車両の草分けです。
今でもなんら遜色のないデザインです。。
運転士さんは私の知り合いです。。
私も運転士の免許(甲種動力車操縦者免許)を持っていますので、同年代の知り合いが運転しているこういう姿を見ると、絶対といっていいほどまた運転士に戻って運転してみたくなってしまいます。。
平成19年佐伯工業とありますが、その横の非常弁の説明のフォントが昭和の電車を物語っています。。
単線でゆっくりと走り、途中対向もある水間電鉄さんにも是非孫を連れてこようと思っています。。
のんびりとした車内。。。
昭和レトロなスピーカー。。
そして「THE 扇風機」!
終点の水間駅まで15分の旅は歩き始めの孫にとってちょうどいい時間ではないでしょうか。。。
孫の乗り鉄の下見をするほどジジバカになってしまいました。。
先日、関西の国鉄型電車ファンにとっては不穏なニュースが飛び込んで参りました。。
それは、大和路線で活躍する国鉄型通勤電車201系が遂に廃車になるというニュースです。。
早速、公休日に青春18きっぷの残片を使って乗って参りました。。。
こちらは新今宮駅の画像で、右を見ても左を見ても201系ばかりなのに、とても廃車になるとは考えられませんが、紀勢本線113系や和歌山線の105系が1日にして全車両が置き換えられた様子を見ましたので、この10月に一気に置き換わっても不思議では有りません。
特にこの日は、真っ先に置き換えられるであろう、朝に1本しかないJR難波発奈良行の快速運用に乗車しました。。
大和路線の快速は通常は221系で運用されていますので、非常にレアな列車です。。
側面種別行先表示器はLED化されていますが、非常に見にくく、快速奈良行であることが読み取りにくいです。
爆走を期待したのですが、ラッシュ時間帯故、新今宮~王寺の快速区間では前を走る電車につかえて低速運転でした。
奈良からは221系の区間快速京都行の運転席後ろに張り付いて、こちらも間もなく廃車となる国鉄型通勤電車103系探しです (^^♪
因みにこの横並びとなった205系の回送、実はこの後「普通王寺行」として下って行きました。
大和路線の普通運用にこんな205系が入るとは知りませんでした。。
・・・ということは103系も入る事が有るのでしょうか。。
この日の103系は意外にも早く発見出来ました。。
城陽駅の引き込み線で待機中!
直ぐに221系区間快速から下車しました。。
区間快速がホームトラックを抜けると直ぐに103系が入換を開始しました。
いつ見てもわくわくドキドキの世界です。
塗装が継継モッパでオンボロ感が漂います。。
車体側面からは主抵抗器の放熱を冷却するブロワーの音が独特な「ウーーン」というモーターが回転する連続音を立てて唸っています。
線区別ボディカラーを採用した国鉄型の残党ももう日本中でほんの僅かになってしまいました。。
マンションの背景は103系に良く似合います。。
これぞ THE 通勤型!
割り切った殺風景な車内に・・・
剥き出しの蛍光灯と、昭和感漂う大きな扇風機 (^^♪
昭和初期から変わらない弁当箱型スピーカー (^^♪
同じく弁当箱型非常通報釦+昭和フォントの文字・・・(^^♪
「田」の字型側面窓。(^^♪
無機質なステンレス地剥き出しのドアと冷たい感じのブルーのシート。
そして何よりも極め付きがアナログメーターと機器類が並び紙製の運転時刻表が差し込まれた運転台! (≧▽≦)
正に 「THE 昭和」 を今に伝える貴重な通勤電車です。
奈良線では複線化工事がたけなわです。。
今は単線ですので、停車駅で行き違い待ちを頻繁に行います。。
複線化されれば到達時間が短縮され、車両運用も少なくて済みますので、古豪の103系は淘汰されてしまうのでしょうか。。
それとも大和路線201系と共に淘汰されてしまうのでしょうか。。
暫くは目が離せません。。
京都駅ではそのまま103系で折り返すことにしました。。
田の字型窓の向こうは木幡付近で並走する京阪電車です。。
103系とは木津で別れて、今度は113系の居る草津線へと向かいます。
ひとまずは大和路快速に乗り。。
加茂でキハ120の単行に乗り換えです。。
一気にローカル然とした線路になります。。
柘植で下車。。
早速113系がやってきました。。(≧▽≦)
湘南色から緑一色の京都地域色に統一されてからは味気なさが漂う113系ですが、やってきた編成は全ての車両が未更新・原形のままのBOX型クロスシートを配備する編成でした。。(≧▽≦)
非常に小さい窓で前面展望の効かない運転台背面。。
前面風景が見えず、壁が立ちはだかるので「壁車」と呼ばれています・・
危険感が漂う座席の金属製の掴み枕も特徴的ですね~。
上着掛けは国鉄型の定番です。。
やはり103系と同様、無機質なステンレス地剥き出しのドアが素敵です。。(≧▽≦)
そしてアナログ機器類が並ぶのも昭和国鉄型の特徴です。。
ちょっと汚いですが、今やもうあまり見られなくなってしまった「和式便所」ももちろん健在です!(≧▽≦)
今どきのステンレス車体ではなく重厚なスチール車体も素敵です。
柘植からは爆音モーター車に乗り、草津まで乗車。。
新快速に乗り継ぎ・・・・
京都からはこれまた113系で湖西線堅田へ・・・
堅田からは117系!(≧▽≦)
地元和歌山ではもう2年前に全廃された117系がまだまだ元気に走っています。。
まだまだ新車だと思っていた221系が東海道・山陽本線から追い出されるとは、なんだかもうそんなに月日が経って自分自身も歳をとってしまったのかと思うと悲しくなりますね。。
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