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惰眠のブログ一覧

2005年05月27日 イイね!

昔乗ってたGC

昔乗ってたGCいま、GC型と言うのはスバル・インプレッサの型式として広く認知されているらしい。でも、僕にとっての「GC型」は1981年ごろから作られていたマツダ・カペラのことだ。
 何しろ、免許を取りに通った教習所で、生まれてはじめて運転したのがこの車だったのだから。

 スーパーカー少年だったくせして免許を取る頃にはすっかり車についてノンポリになっていた僕は、どう言うわけだかこのFF車がすっかり気に入ってしまった。
 だから、当時の我が家の事情もあったのだけれども、父を口説き倒して手に入れた「うちの家族の一番最初のファミリーカー」は、この型のカペラになった。

 中古車雑誌には確か35万円と、ほぼ当時の相場どおりの価格が提示されていたその車は、販売店に行くと(記憶では)27万円に値下げされていた。ちょうど年末で、年式が更に一年落ちることを嫌っての値下げではあったようなのだが、一度に8万も値段が下がるなんて、まあ要するに「それなり」の品質であったわけだ。まあ、マニュアルミッションでもあったけれど。

 「あと2年は乗れますよ」という担当営業の台詞には、実際全く嘘がなかった。購入当初、やたらトラブルが多くてクレーム修理したあとは大人しく動いていたこのカペラ、2年を過ぎたあたりから開き直ったかのようにトラブルの百貨店状態に豹変した。
 始動時だけ4本あるうちの1シリンダーに火が入らなくなったり、ワイパーがきちんと作動しなくなったり、必ず何かの警告灯が点きっ放しになったり、雨水がトランクに溜まって金魚が飼えそうになっていたりと、これでもかと言うばかりのトラブル攻勢を受ける羽目になった。

 それでも自損事故で「絶対に直せない」くらい壊すまでの約4年乗っていたのは、なんだかんだ言っても、妙に愛着が湧いてしまったからだ。
 それに、ある意味感謝さえしている。マイナートラブルに見舞われつづけたお陰で、車の機器的故障に関しては(自分で言うのもナンだけど)随分と鷹揚になった。それどころか、このカペラの後継車を使っていた頃、インパネにひとつも警告灯がつかない状況が逆に不安だったほどである。

 しかし「カペラ」は知名度の低い車だった。
当時アルバイトをしていた塾で、教え子の中学生に「センセーイ、車、なに乗ってんのォ?」と聞かれて「カペラだよ」と答えたら、誰一人としてそんな名前の車は知らなかった。中学生じゃしょうがないと言うなかれ、大学の仲間でさえ「それ、どこの車?」なんて聞いてくる奴が少なくなかった。
 趣味のディーラー新車見物行脚で「今お乗りの車」を話すと、多くの他メーカー販売店で「グレードはSG-Xですか。人気ありましたからねえ」と、よほど熾烈な販売合戦でも繰り広げていたのだろうか、遠い目で語られたのだけが慰めだった。
 などとつい僕も遠い目をしてしまうが、そんな体たらくじゃあバブル期にマツダがあっさりカペラの名に見切りをつけたのも仕方なかったのかも知れない。
Posted at 2005/05/27 18:53:42 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日本の車 | 日記
2005年05月19日 イイね!

都心の軽装甲機動車

都心の軽装甲機動車朝、仕事先に向かうために麻布十番を歩いていると、先の信号に写真でだけは知っている、厳つくも格好いい車が引っかかっているのが見えた。重機のコマツが作った陸上自衛隊の新型車両「軽装甲機動車」だ。この型はイラクにも派遣されている。

 僕の生活圏には自衛隊病院もあるので、オリーブドラブに塗装された古いグロリア・バンや73式小型トラック(ミリタリー・パジェロ)などの自衛隊車両を見かけることは決して稀ではないけれども、れっきとした戦闘車両が平和な日本の街中にクラウンやBMWの3シリーズなんかと並んで信号待ちをしている姿は、ちょっとある意味ショッキングな光景である。
 個人が所有するオーストラリア軍の制式トラック「ピンツガウアー」が停まっている車庫も(別の意味も含めて)凄かったが。

 信号が変わってこちらに走ってくる車体を見ると「富教」の白いステンシル(型抜きの文字ペイント)が確認でき、それで富士教導団の装備品だとわかった。
横を通り過ぎる時にもう一枚撮影。
 自衛隊の広報宣伝戦略の一環とは言え、こんな絶望的に視界の悪そうなでっかい車で混んだ都内を走らなければならない隊員を少し気の毒に思った。

 で、なぜこんな剣呑(笑)なクルマが都心部にいたかというと、陸上自衛隊が全面協力した東宝映画「戦国自衛隊1549」の完成発表披露だかなんだかが六本木ヒルズで行なわれるかららしい。このあとヒルズアリーナを覗いてみると、おなじみ73式小型トラックは当然として、96式装輪装甲車や82式指揮通信車、はては87式偵察警戒車までが並んでいた。

 おお!と思いカメラを向けていると、森ビルでよく見かける青い制服を着た若いガードマンが近寄ってきて「撮影は禁止になっています」だと。
 それはイベントに現れた芸能人の写真は撮影するなって話じゃないの?陸自の装備品も撮っちゃなんかマズイの?と言い返したくなったけれども、こちらもさっさと仕事に行かにゃあならないし、ガードマン君もその辺よく分かってなさそうな雰囲気だったのでさっさと退散した。

 しかし、この日本で、特に機密でもなさそうな軍装品にカメラを向けて禁止を言い渡されるとはねえ。想像すらしておりませなんだ。いや、実はPR用に公開している車両に「秘」以上にあたる装備が付いてるんだったりして(笑)。
Posted at 2005/05/19 21:13:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日本の車 | 日記
2005年05月12日 イイね!

憧れのハワイ航路

憧れのハワイ航路かつてユーノス・ロードスターがデビューした頃、それに試乗した下野康史氏は「運転していると自然に頬が緩み、何者かに向けて訳もなく『ザマーミロ』と言いたくなる」と、あの車の楽しさを表現した。このフレーズを今でも鮮明に覚えているのは、僕自身が下野氏の文章と全く同じ状態になってしまったからである。
 さすがに、助手席にディーラーのセールス担当を乗せた状態で「ザマーミロ」と叫んだりはしなかったが、訳もなく笑い出したくなるような衝動がこみ上げてきて、それを押さえるのにかなり苦労したことを覚えている。

 僕にとってユーノス・ロードスターと言う車はだから、兎にも角にも「楽しい乗り物」なのだ。それがすべてだと言ってもいい。ボディの剛性がどうとかエンジンの出力がこうとか、操縦特性がなんだとか、しかつめらしく考えてもしようがないじゃん、こんなに楽しいんだから!と。
 それなのに何で購入しなかったかと言うと、逆説的だが、楽しすぎたからだ。ノーミソが空っぽになるくらい楽しくて、これは普段使いには向かないなあと思ったのだ。その代わりと言っては何だが、ロードスターに乗りたくてしようがなくなるたびにあちこちのディーラーに出かけていっては試乗をさせてもらったりした。悪い客である。

 あれから何年になるのか、ロードスターも3代目となる今、改めて思い返してみて、実は僕は不思議と2代目ロードスターをそれほど好感していなかったことに気づいた。なぜだろうかと考えてみると、どうやらそれは、車が進歩しちゃったからじゃないのかと言う気がして来た。

 よくよく思い出してみると、初めてロードスターに乗ったとき躁状態に近い浮かれ方をした割には、改良が進んでいったモデルに乗った2度目3度目以降の試乗では、それほど極端には感激した記憶がない。
 単純に刺激に慣れただけだったのかも知れないけれど、思うにあれは細かい改良が積み上げられてスポーツカーとしての洗練度が上がるのと裏腹に(あるいはスポーツカーとして洗練されていったために)、理屈なんか頭の中から消し飛んじゃうような痛快な楽しさが薄らいでいったからじゃないかと言う気がしなくもないのだ。
 以前ゼロナナ兄さんのNB型をチョコッと運転させていただいたときに、凄くちゃんとしたスポーツカーであることにとても感心した一方で、訳もなくザマーミロと叫びだしたくなったりはしなかったのも、その印象を裏付けるように思う。

 うーん、そうすると僕が好きなのはちゃんとしたスポーツカーじゃなくて、ドライバーが能天気なまでにハッピーになっちゃうような種類の車なのかも知れない。
 マツダが公募していたハワイでの新型ロードスター試乗会にゼロナナ兄さんが当選したそうなので、お祝いを申し上げるとともに、初代以降のロードスターを乗り継いできたゼロナナ兄さんにはあとで「そこんとこどうだった?」と聞いてみようと思っている。
 マツダの開発関係者が非公式発言で人一体を謳った初代に対して、公式に人一体を謳う新型は、原点回帰しているのだろうか。スポーツカーとしての完成度は脇によけておいて(笑)、アブナイ薬みたいな効用はある?と。

末筆ながら、改めて。ゼロナナ兄さん、ご当選おめでとうございます。
Posted at 2005/05/12 18:42:07 | コメント(3) | トラックバック(0) | 日本の車 | 日記
2005年04月30日 イイね!

カレスト座間でスカイラインに乗る

カレスト座間でスカイラインに乗るREOパパさんと山坂道を走ったあと、お定まりのコースで朝食をとり、ここしばらく会っていない友人たちの消息などについて話をしたあと「折角だから」とカレスト座間へと足を向けた。
 僕と違い、パパさんにはREOくんや奥さん娘さんの家族がいる。それにも関わらず5月連休のとっぱなから、こんなことしてて大丈夫なのか心配になってくるが、その辺の対策は怠りない模様。

 折角ここまで来たついでに、カレスト座間名物の新車試乗をリクエストしたのだが…以前ゼロナナ兄さんから「ずいぶん縛りが厳しくなった」と聞かされていたとおりで、これなら街のディーラーで試乗を申し込んだほうが余程いい。
 その辺をカレスト座間の担当者にちょっと聞いてみると、狭いコースを暴走して事故を起こすケースが頻発したので止むを得ずルールを厳格化したのだと、残念そうな答えが返ってきた。

 確かに、残念だろうと思う。日産(とルノー)の新車をとっかえひっかえ試乗できるのが、この施設の目玉サービスの一つだったはずなのに、ひとり1日1台まで(以前は確か3台)で、しかも申し込みの手順が、印象的に敷居が高く感じる。そのせいか、やはり試乗を申し込む客の数も減っているように思える。

 ま、そういう事情はともかくとして僕とREOパパさんは、スカイライン・クーペの試乗に。リアシートに面白がって座ってみたが、流石にこれは凄い。狭さがちょっと懐かしく郷愁をかき立てる空間ではあったけど、大のおとなが乗るところじゃない。

 運転してどうか、と言っても上限40km/h厳守でショートコースを2周したくらいじゃ何が分かると言うほどのものでもない。
重厚な乗り心地がいかにも高級GTらしくてちょっと心地いいとか、1815㍉も横幅があるのに取り回しは(後輪駆動なのでステアリングが深く切れるからか)存外楽だとか、その程度だ。
 カレストのスタッフに聞くと、基本はZと同じ車だけどもスカイラインの方がちょっと重いのだとか。それが重厚感の源かも知れない。

 ただ、以前ここで現行のフェアレディZに乗ったときに始終付きまとった「なんだ、これ。違うぞ、これ」と言う違和感は基本骨格が同じ車なのに全くなかった。
 思い出してみると、僕がZを余り好感しなかったのは「この乗り心地、ほとんどセドリック/グロリアじゃん」と言う点だった。普通にとっても高級なハイパワー車なんだけど、スポーツカーってキャラクターじゃないと感じたのが原因だ。(スタイルについて思うこともあるけど、それはまた別の問題。)
 最初から僕自身スポーツカーに乗ってるつもりになってないスカイラインは、ほとんど似たような乗り心地であっても、別に何も気にならなかったのだろう。

 受け手の気持ち一つで、OKと感じたりNGに思えたりするのだから、「スポーツカー」って難しいなと思った。
Posted at 2005/05/02 16:29:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日本の車 | 日記
2005年04月20日 イイね!

「それは私、と○○○が言った」

「それは私、と○○○が言った」バブル経済が膨らんでいた頃、マツダは本当に色んな車を作った。今に残るロードスターをはじめ、辛うじて記憶の片隅に残っているMS-8(写真)だとか、その存在すらほとんど知られることなく消えていったクレフだとか。
 そうした濫造乱売は別にマツダに限ったことではないのだけれども、バブルがはじけたあと会社まで傾いた自動車会社は日本にマツダ以外ない。ほかはエッチラオッチラだったかも知れないが、兎にも角にもバブル経済後の不毛の市場を自力で乗り切ったのだ。

昨年11月に日経BPから出ている「マツダはなぜ、よみがえったのか?」を読んだ折、ちょっと意地悪く、それなら「誰がマツダを殺しかけたか?」なんてマザーグースの歌のような疑問が改めて浮かんだ。僕の知る限り「それは私」と名乗り出た人はいない。
 僕は性格的に、疑問に思えば幾ばくなりとも調べずにはいられない。まあ、下世話な好奇心の範疇のことではあるので、割とテキトーに調べてみただけなんだけど一寸興味深いことが分かった。

 マツダがバブル経済の崩壊と期を一にして致命的な経営危機に陥った直接の原因は、例の無謀な販売系列5チャンネル化にあるとされている。それならばマツダを殺しかけた張本人は、まさにこの5チャンネル化計画を発案し推進した人物(経営責任者)であるはずだ。

 僕はかなり長いこと、マツダのメインバンクである住友銀行からやってきた和田淑弘氏の舵取りが問題だったのだと思い込んでいた。自力での経営再建がもはや不可能となり、フォードの傘下企業になった時の社長が彼だったからである。更に、たまたま知己を得た幾人かのマツダの中堅以上の幹部に雑談的に「やっぱり銀行から来た社長が原因だったんでしょ?」なんて話をすると「それはまあ、ゴニョゴニョ…」と口を濁すのは、消極的な肯定の意味だと理解していたからだ。

 しかしこれは大変な思い違いだった。ちょっと調べれば分かることだったのだけれど、和田氏がマツダの社長に迎えられたのは1991年の12月。問題の5チャンネル化を含む中長期経営計画(マツダ・イノベーション計画、通称MI計画)がスタートしたのは88年の5月のことだ。つまり、財務畑に明るい人物をトップに据えなければ会社が危ないとの認識が、この時点で既にあったということなのだろう。

 左前になった経営を立て直しえなかったという意味では、和田氏もまたマツダを殺しかけた一人ではあるのだけれども、そもそもの原因を作ったのは彼ではない。
 MI計画に基づいて5チャンネル化が実行され始めた89年当時の社長は、古田徳昌氏である。氏の社長就任は1987年の12月。当時現役の通産官僚だった古田氏を、マツダは三顧の礼で社長に迎えたのだという。

 自動車製造業の黎明期ならいざ知らず、現代の自動車産業は一国の経済政策とも極めて緊密な関係にある。特に「国民車構想」の例に見るように、自動車産業の発展を国策的に推進してきた我が国にあっては、通産省(当時)とのパイプの太さは、会社の命運さえ左右しかねない。
 ロータリーエンジンなかりせば通産省の指導のもとプリンス自動車のように「お取り潰し」にあっていた可能性のあるマツダとしては、あるいはその思いが同業他社よりも強いかもしれない。現職の通産官僚を招いた背景には、恐らく政治的な思惑があったのだろうと推測できる。

 話を元に戻す。古田氏の社長就任は87年12月。MI計画のスタートは88年5月。この間、ほぼ半年である。世界の市場を相手にする企業の中長期経営計画が、果たして検討開始からスタートまで6ヶ月で策定し得るものなのだろうか?
 最近の三菱自動車の経営再建策に関わる動きなどをみていると、半年でスタートにまで持ち込むことは必ずしも不可能ではない、とは思う。
 でも「不可能ではない」からと言っても、ふつう常識的に考えれば、半年で実行に移せなんて言うのは余程の非常事態だ。販社の新規立ち上げやロジスティックスなど最初からきちんと動かすつもりなら、半年未満の準備期間では無理というものだろう。
 まあ、当時の新聞記事なんかでも見れば一発で分かるのだろうけれど、そんな素敵なものは生憎と手元にない。だから想像で物を言うしかないのだけれど、プロジェクトがスタートするまでの準備期間が半年以上だったとするならば、問題のMI計画を走らせたのは古田氏の前任社長である。

 古田氏の前任は、山本健一氏だ。

 マツダの現役中堅幹部が「それはまあ、ゴニョゴニョ」と言葉を濁した意味が、これでハッキリしたのではないだろうか。
山本健一氏といえばロータリーの神様。通産省主導の合従連合計画の渦に飲み込まれ1960年代で消滅する筈だったマツダを救った大恩人である。
 傍証とはいえないだろうが、こういう話も目にした。「トヨタや日産並み(当時)の販売5系列を持つことは、山本健一氏の悲願だった」。
 神を罵るものよ、呪われてあれ。神を称えるものに祝福あれ。かくしてMI計画破綻にまつわる責任追及は、聞こえてくることがないのではなかろうか。

 長々紙幅を費やしたが、これらは僕の想像の域を出ない。でも多分、間違っていないだろうとも思っている。まあ、MI計画の検討ががいつ始まったのかさえ分かれば、こんなにあれこれ想像しなくっても答えは一発な訳だが、頭の体操には都合がいい。
 推理小説じゃあないけれど、手に入る断片的な情報を色々と見比べて考えをめぐらせるのは、それが自分の仕事や生活と関係なければないほど、仕事の合間のチョコチョコした気分転換に好適だ。こういう勤務態度は全く誉められたものではないけれども。
Posted at 2005/04/20 15:56:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日本の車 | 日記

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何シテル?   07/24 21:51
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