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惰眠のブログ一覧

2007年03月11日 イイね!

皆勤賞の終わり

皆勤賞の終わりアテンザ以降、マツダが新型車を出すたびに横浜のR&Dセンターで開催していた一般向けの説明会には、なんのかんの言いながら皆勤賞を続けていたのだけれども、近く開催されるCX-7の回は、残念ながら観覧できなくなってしまった。あ、MPVのときは開催してなかったか。

 土曜と日曜の2回に分けて、各50人ずつの定員で募集があったのだけれども、定員数に達してしまった由。残念だけれども、これは仕方がない。むしろ、僕などのように購入の可能性が完全にゼロの野次馬が出かけていくよりも、幾許なりとも商談に結びつく可能性を秘めた人が足を運ぶ方が主催側にとっても意味がある。それに、負け惜しみを言えば、僕はSUVには大して興味があるわけではない。これが次期デミオだとか次期アテンザだったら、相当悔しいだろうけれど……。

 でもまあ、どうせなら小泉チーフ・デザイナーに直接会って「CX-7って確かにマツダのデザインのルールを踏襲してるしカッコもいいんだけど、(路線踏襲が過ぎて)コンサバですよねぇ?」くらいの事は言ってみたかった気がする。きっと、ムッとされるだろうけれど。
Posted at 2007/03/12 09:53:26 | コメント(1) | トラックバック(0) | 自動車関係のイベント | 日記
2007年02月28日 イイね!

キャンペーンを張る気はないんだけど……

キャンペーンを張る気はないんだけど……前回のエントリーもこの話題で、なんだか集中連載っぽくなっちゃってる三宅島公道レースの話だ。

 この話題に触れるとき僕は添付の画像にラ・フェスタ・ミッレミリアのものを選んで使っている。実のところ、手元にある自前の公道レースにまつわる写真が他にないというのが最大の理由なのだけれども、図らずも僕の別の意図をも合わせて隠喩する結果になっている。

 ミッレミリアは、元々イタリア半島で開催されていた、公道1000マイルをコースとする自動車レースだ。開催されていたのは1927年から57年まで。57年の開催を最後に、自動車レースとしてのミッレミリアは消滅した。
 今イタリアでやっているのは、現役時代にそのレースを競った車のみが参加できる、一種のエキシビジョン。喩えてみれば、地方都市なんかの祭りで折々にやる「武者行列」とか「花魁道中」みたいな、再現ものだ。で、その再現イベントを日本の公道に移してさらに再現したものが、ラ・フェスタ・ミッレミリアと言うわけ。

 で、その元祖ミッレミリアがなぜ1957年で終焉を迎えたかと言うと、レース中に大事故が起こったからだ。F1ドライバーでもある28歳のスペイン人侯爵が運転するフェラーリ335Sが、観客を巻き込む死亡事故を起こした。記述によって観客の犠牲者数に若干の違いがあるが、運転していたデ・ポルタゴ侯爵本人と助手席のコ・ドライバー、子供5人を含む観客10乃至11人が命を落とした。
 以後ミッレミリアと呼ばれる公道を用いた自動車レースは二度と開催されなくなり、事故を起こしたフェラーリは「長期にわたって」(英語版Wikipedeiaに拠る)著名なレースへの参加を行わなくなった。チームのオーナーであるエンツォも(最終的に罪には問われなかったが)殺人罪で起訴されたらしい。

 自動車文化の根付いた国で開催された、30年の歴史を持つ、著名なグランプリ・レーサーがこぞって参加するような、自動車メーカーがそのレースの名前を冠したモデルを専用に開発するほどのレース、しかも「レース中に人が死ぬことなど珍しくもなかった時代」の事故であっても、こういう結末を迎えた。

 レースの歴史は一面、死亡事故との戦いの歴史でもある。車両規制もそうだし、サーキットそのものの安全性、レース運営者の体制も厳しく問われてきた。太田哲也が提起した訴訟の帰趨からもそれは窺える。

 レースの歴史は、その時代その時代で可能な限りの、人が死なないための努力を最大限に払って、それでもやっぱり人が死んで、それに対応するため更に努力して……という積み重ねでもある。
 『チヒロ謹製』さんの表現を借りるならば「過去50年近くに渡って、山と築かれた死体の上に、いまのサーキットでのレース環境が整った」のだ。
 事故が起きないように対策する、仮に事故が起きても深刻な事態にならないように準備する、万一深刻な事態に至っても最悪の結末だけは迎えないように備える。こうしたフェイル・セーフはモーター・スポーツを健全なものとして扱うならば、最低限の条件だ。

 無論、対策を最大限に講じてなお避けられない「最悪の結果」はある。もはや死亡事故はおこらないと言われたF1で、ローランド・ラッツェンバーガーが、アイルトン・セナが死んだように。
 だが、そのことを三宅島公道レースで人が死ぬ可能性(もしくは蓋然性)を容認する材料に持ち出すのは飛躍だ。論点のすり替えといってもいい。100の対策を尽くしてなお101の事象を防ぎきれないことと、本来100の対策が必要なのに50や60しか出来ず51や61の事象が防げないことを、同列になど論じられない。
 100の対策を打ち続けることで今日に至ったモーター・スポーツなのに、50や60の対策でも構わないなんてことにしたら、宮城光氏の懸念する「過去に安全に留意し選手権を戦って来た事をリセットする事になり、今後の日本のレースシーンに大きなダメージを与える事とな」る。

 まあ、そういうことは脇に置いておくとしても、だ。
万一、競技参加者でも観客でも犠牲者が出たら、石原都知事への批判に巻き込まれて、オートバイもライダーも必要以上の逆風を受けることになるってことが、MFJにしろ推進の論陣を張ってる人たちにしろ、どうして想像できないかなあ。
 ただ単に「オートバイは(やっぱり)危ない」って話にされるんじゃない。石原批判をするのが目的になるから、オートバイは「危ないものでなくてはならない」って前提で語られることになるのが。

 週刊誌なんかに『無謀な暴走ライダーを付け上がらせる石原都知事の傲慢』だとか『人命軽視、興行(利益)優先のMFJ』とか『盛り上がればいい――ライダーたちの無責任』なんて見出しが躍るのが目に浮かぶんだけど。
 挙句「良識ある一般の人たち」による『人が死んでも構わないなんて野蛮なオートバイ・レースは断じて開催反対』運動とか、巻き込まれ型の被害事故であっても『悪いのはバイクに決まってる。つーか、二輪なんて死んでもいいって思ってる奴らが乗るもんだろ?』とか、「3ない運動」強化とか、そういう情景がすっごく思い浮かぶんだけどなあ。

 そういう事態が仮に現実になってしまったときに「日本はモーター・スポーツの文化がわかってない」とか「頓珍漢な批判ばかり」とか「煽動マスコミは無知」とか言ったって後の祭り、負け犬の遠吠えだ。
 だからレースを実施するのならば、そんな最悪の結末を招かないために、あらゆる安全策を講じなければならないし、少なくとも初回では絶対に重大事故(レースに疎い世間一般の目から見ての『重大』)が起きてはならない。――それだけの備えが出来ないのならば、実施するべきではない。
Posted at 2007/02/28 19:00:28 | コメント(2) | トラックバック(1) | 自動車関係のイベント | 日記
2007年02月26日 イイね!

あれれ?マン島TTの日本版じゃなかったの?

あれれ?マン島TTの日本版じゃなかったの?先週書いた三宅島公道レースに関して、おや?と思う話が出てきた。
都議会の予算特別委員会で、大っ嫌いな共産党に突っ込まれた石原都知事が、例の如く相手を小ばかにしながら答弁した内容(都議会のHPで音声記録を聞くことができる)によると、知事が肝煎りで進めている公道オートバイレースは、マン島ツーリスト・トロフィー(マン島TT)に倣ったものではなく、マンクス・グランプリのセニア・クラシック・クラスだと言う。

 いや、「マンクスのセニア・クラシックだ」と明言したわけじゃないんだけれど、「都がやるのはTTじゃない」と言い切った石原都知事のクラシック云々の説明が該当するのは、それしかない。「TTの前座レース」なんていうからマッド・サンデーやるつもりか?正気か?と思ったのは余談の類だ。しかしそれにしても、巷間流布してる話と随分違うじゃないかよ。

 ま、それはそれとして議事の模様を聞くと、他にも中々興味深い事実が浮かび上がってくる。まず、当初MFJ(日本モーターサイクルスポーツ協会)の公認もしくは承認競技として開催すると宣言していた三宅島公道レースだが、いま現在の時点では、そのどちらも取れていないこと。
 東京都の大原総務局長の答弁によると「(公道でのレース開催は)前例がないので、現状では公・承認のいずれにもならない可能性がある」らしい。しかしながら「MFJからは協力の確約を得ているので(公・承認が得られなくても)同等のものになると考えている」、また今後とも公・承認のいずれかが得られるよう引き続き努力するとなっている。協力はするが公・承認は下ろさない……その意味するところは、なんだろうか。
 下手に公・承認を下ろしたら、最悪の事態が起こったときに「不慣れな都の役人に代わって安全性に問題ない(他の一般的なレースと比べても)と判断したMFJに責任がある」とかって話にされちゃうのを危惧しているのか。ま、大いにありうる話だ。

 メーカーに関する話も面白い。質問に立った委員が自分で調べてきたところに拠ると、本田技研工業は「公道でのレースには参加しない」と答え、もう一社スズキは「MFJの公認がつかなければ参加しない」と表明したとのこと。
 これに関して都の事務方は「(開催)反対との意見は直接には聞いていない。昨年7月と12月に協力を要請したが、そのとき頂戴した意見を踏まえて検討中である。それがまとまり次第、改めて理解と協力を求める」と答弁した。
 えーと。それって、限りなくNoに近い反応しか帰って来なかったってことじゃないの?2度も協力要請しに行ったのに。

 MFJの上げたレポートに拠ると、レースの安全性確保のためにライダーの技量(ライセンスのレベル?)で参加者を限定するつもりのようだけれども、しかしMFJは公認しない、メーカーは出て来ないと言うような状況では、一体どんな出走者が名乗りを上げるか知れたものではない。

 ホント、二輪にしろ四輪にしろ、レースってのはモーター・スポーツでしょうに。半世紀以上昔ならともかく、少なくとも現在は。人が死んでも仕方ないなんてレベルの安全対策しかできないようなシロモノは、スポーツの名に値しないと思うんだけどなあ。悪趣味な「見世物」でしかないような気がするんだけどなあ。
Posted at 2007/02/26 14:13:46 | コメント(3) | トラックバック(0) | 自動車関係のイベント | 日記
2007年02月22日 イイね!

「ダメ、絶対にダメ!」

「ダメ、絶対にダメ!」今月の初頭から、このブログのPV(ページ・ビュー)数の履歴に妙な傾向が出ていた。毎日毎日、過去の特定のエントリーがほぼ一定の回数閲覧されているのだ。対象となっているエントリーは、昨年12月14日付でアップした三宅島公道レースに関する記事だ。
最近取り立ててニュースで扱われた話題でもないはずだし、なんだろうかと不思議に思っていたのだけれども、今日ようやく、どうもその原因とおぼしきことが判った。

 昨日付けのオンライン版夕刊フジ(ZAKZAK)の記事に「慎太郎にダメ出し…三宅島公道でオートバイレース構想」という見出しのものが掲載されている。それに拠ると三宅島公道レースを東京都と共同主催するMFJ(日本モーターサイクルスポーツ協会)の依頼を受けて現地調査を行ったホンダワークスのOBライダーが『「絶対に公道レースはやってはいけない」と結論づけ、「小さくてもいいからサーキットを作るべきだ」と提案』したとされている。(二重カッコ内太字は記事引用)

 MFJに調査検討を依頼されたワークスOBは宮城光氏という人物。僕は二輪の世界にはまったく疎いのだけれども、ちょっと調べてみると「幾つ年間チャンピオンを獲得してるんだ……」と言うくらい華々しい戦績を持つ人だと判った。
 その人が今月5日に自身のHPのBBSで「三宅島公道レース開催は絶対中止すべきだと考える」と明言しているのだった。大体だけれども、過去記事の閲覧がコンスタントに発生し始めた時期と重なる。

 さて、これをどう受け止めたものか。僕は2輪車乗りではない。けれども、4輪車でなら自分の運転で三宅島外周道路を走り回った経験がある。率直に言って、この周回道路を自分の車で存分に走り回れたらどんなに素敵だろうと感じた。ここでレースができたらいいだろうなあとも思った。でも、周回道路を走りながら、それは無理だろうとも思っていた。

 例えば、相模湖東インターで中央道を降りて国道20号線を西進、相模湖駅前交差点を左折して湖畔に向かうコースを、レース・スピードで競い合いながら事故を起こさずに走り抜けることができるだろうか?
 三宅島の外周道路をコースにするというのは、道幅などの条件も含めて、それにかなり近いシチュエーションを繰り返すと言うことでもある。

 三宅島の公道(生活道路)でレースをやりたい。大いに結構。ならば、レースを実施するに十分な安全措置を講じなさい。それには、どのくらいの水準の安全措置が講じられれば十分なのだろうか?

 サーキット・レースでも死人が出ることはある。しかしそれを「仕方がなかった」といい得るのは、考えうる最善の予防措置を講じてなお、それでも回避し得なかった場合のことだ。
 仮に、公道でやるのだから安全レベルがサーキットよりずっと低くて構わないと参加希望者が言ったとしても、残念ながら社会はそれを容認しない。死亡事故が起これば、「主催者は危険性を認識しながら十分な対策を講じないままレースを強行した」となる。

 そこで改めて。では、どのくらいの水準の安全措置が講じられれば十分なのか?
人が死んだ時に「可能な限りの措置は取ったんだけれども不幸な結果を避けられず残念だ」と言えるのか。賛成、反対の分水嶺はそこにある。
 前出の宮城氏はサーキット・レースと同等の水準でなければダメだと考えているようだ。そして物理的にそれが実現不可能だから公道での開催は「ダメ、絶対にダメ!」と結論したのだろう。

 小林ゆきと言うモーターサイクル・ジャーナリストは自身のブログで、レースに危険は付き物、エントラントはそれを承知で参加する、別にレースでなくても車やバイクの事故は起こる、危険だと思うならば参加しなければいいとしている。宮城氏に比べて、安全対策の水準が低くても構わないというスタンスだ。

 僕は宮城氏の考えを支持する。リスクがあるのならば、可能な限りそれを遠ざけるべく措置する。そしてリスクが現実になったときでもダメージを最小に留められるように措置する。そして――それができないのならば、リスクを犯すのは止めなくてはいけない。
 出走者がリスクを承知だったかどうかの問題ではない。社会的な責任や公共の秩序・善良の風俗(公序良俗)とは、そういうものだ。個人が冒険に挑むのとはわけが違う。行政組織の名においてイベントを行うならば、細心にも細心を重ねるべきなのだ。
Posted at 2007/02/22 18:20:52 | コメント(3) | トラックバック(0) | 自動車関係のイベント | 日記
2006年12月14日 イイね!

三宅島で公道レース、ねえ……

三宅島で公道レース、ねえ……来年の4月下旬に任期が切れる東京都の石原慎太郎知事が旗を振って、来年11月にも三宅島で公道レースを開催したいらしい。というか、都はその準備に向けて予算措置をする方針を決めたと報じられている。

 のりもの好きの一人として、個人的にはこういうイベントが実現するならば歓迎したい気持ちはある。三宅島にしばらく滞在して、島の外周道路を走り回った経験を思い出しても、たしかに山岳路然とした(まあ、島と言うのは海底から突き出した山の頂上部分なんだけど)コースは面白かったし。

 雄山噴火の被害が仮になかったとしても、くさやと明日葉とカメノテとダイビング以外にとりたてて産業のない三宅島の経済にとって、都が後ろ盾になって開催される大型イベントは確かに観光客誘致の目玉として大きな期待を寄せたいところだろう。

 ただ、様々な懸念材料と照らし合わせてホントに実現できるのかと言う可能性を考えると、どうもこう――3期目への出馬を表明した石原知事の、人気取りのニオイが鼻についてならないのだ。

 そもそも、今の三宅村に開催費用として見積もられているおよそ3億円を拠出できるだけの経済的な体力があるのか。仮にあったとして、島民の日々の生活に直接的に資する目的にではなく、一過性のイベントのためにそれを費やすことが果たして妥当なのかどうかと言うことも考えなくちゃあいけない。

 島に二つある港の一方は、確かまだ火山ガスの危険地帯に含まれているために(土石流による損壊は修復されたんだっけ?)運用できなかったはずだし、同様に空港もまだ使えない。自然現象に由来するこうした問題点が1年後にはクリアされてる保証はない。
 仮に空港と港湾の両方が使えるようになっていたとしても、ちょっと風の具合が悪いとすぐに降りられなくなる航空便や、竹芝桟橋から東海汽船でほぼ丸一日かかる最大定員1700人少々の船便など、交通関係の隘路はいかんともしがたい。空港ロビーなど、30人も人がいれば大入り満員になってしまうのである。

 いまだ火山ガスの噴出が続いているような状況で、島を一周するコースをちゃんと走らせられるのか。そんな状況下で出走するエントラントを、どの程度確保できるのか。上手く確保できた場合、それじゃ今度は宿泊施設はどうするのか。島外からの客人が飯にありつく食堂は足りるのか。

 公道レースだからと言う点は多少割り引かなくちゃいけないにしても、既存の三宅島外周道路の幅は、決して広くはない。事故が起こりそうなポイントで、しかしエスケープが全く取れないような条件の所も――元々ただの生活道路だから当たり前なんだが――あちこちにある。抜きつ抜かれつでエキサイトすると、大げさでなく人死にが出かねない。

 事故が起きた際の救命救急体制も、既存の医療機関では対処しきれないだろう。離島と言う条件も、緊急に高度の医療を施す必要がある受傷者にとって、ネガティブな要素だ。
 そのためにアドホックで医者を(旗振り役の都知事が『レーサーなんだから事故で死ぬのは当たり前』なんて思ってるのではない限り)招聘する筈だけれども、むしろ高齢化の進む村の、常日頃の医療体制を強化してやる方面にするのが行政の果たすべき役割なんじゃないのかなあと、どうも首を傾げたくなってしまう。

 都知事と村長はこれら問題を一つずつ解決していくと宣言しているようだけれども、残り1年に満たない期間で片付けきれるものなのだろうか。面白い企画だけれども、いま行政が三宅島でやるべきことは、公道レースじゃないと思う。
 なにも来年でなくていいじゃん。5年くらいかけて島民の生活や村の経済基盤を立て直してから、万全の準備でやれば十分じゃん。なんか金の遣い方やタイミングが間違ってる気がするんだよなあ。

 それともやっぱり、4月の選挙で若い有権者に自分への投票を訴える材料として、11月のバイク・レース開催は譲れませんかね。
Posted at 2006/12/15 11:53:57 | コメント(1) | トラックバック(1) | 自動車関係のイベント | 日記

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何シテル?   07/24 21:51
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